【日米地位協定とは】簡単にわかりやすく解説!!締結背景や内容・問題点など

 

みなさんは、日米地位協定というものを聞いたことがあるでしょうか?

 

名称からしてどのような内容の協定か、想像がつかない方もいるかと思います。

 

日米地位協定は戦後から現代まで続く日米関係を説明する上で、大変重要な協定です。

 

そのため、戦後日本の安全保障体制を学ぶ上で、その内容を正確に理解しておくことが大切です。

 

そこで今回は、『日米地位協定』の締結背景や内容・問題点などについて簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。

 

日米地位協定とは? 

 

日米地位協定の正式名称は、

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定

といいます。

 

日米地位協定は、1960年(昭和35年)、締結された日米安全保障条約(新安保条約)で日本への駐留が認められたアメリカ軍について、細かい取決めをしたものです。

 

新安保条約の目的を達成するため、日本に駐留するアメリカ軍がスムーズに行動できるよう、アメリカ軍の日本における施設・区域(米軍基地)の使用を取り決め、日本におけるアメリカ軍の地位などについて規定されています。

 

日米安保条約と合わせて、現代の日米の安全保障体制にとって、極めて重要な取決めとなっています。

 

日米地位協定の締結に至る背景 

(降伏文書に調印の様子 出典:Wikipedia)

 

 

第二次世界大戦の敗戦国となった日本は、戦後、アメリカのGHQによって占領され、その統治下に置かれました。

 

 

そして、日本はアメリカにとって、東アジアの重要な拠点として位置づけられました。

 

そのため、戦後のアメリカが率いる西側陣営と、旧ソ連が率いる東側陣営の対立(東西冷戦)において、日本はアメリカの西側陣営に組み込まれていきます。

 

つまり、アメリカは日本を占領した際、日本を保護する名目で日本国内各地に米軍基地を作り、ソ連の東側陣営の勢力下にある北朝鮮や中国などのアジア諸国に対して対抗しました。

 

このように、日本は軍事上アメリカにとって重要な拠点となり、「極東の防波堤」として位置づけられました。

 

その後、1951年にサンフランシスコ平和条約が締結され、ついに日本の主権が回復され、アメリカの統治からも離脱することとなりました。

 

 

しかし、アメリカは1950年の朝鮮戦争の勃発など、東側陣営との対立が激化する中で、軍事上の重要拠点である日本からの完全な撤退を避けるべきと認識するようになっていました。

 

そのため、アメリカは占領軍のうちアメリカ軍のみ日本に引き続き駐留を許すという内容の「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧安保条約)を日本と締結しました。

 

そして、1952年には、この旧安保条約に基づく具体的な取り決めとして、日米行政協定が結ばれました。

 

1960年に、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(新安保条約)が締結されると、日米行政協定を改正する形で、新安保条約の締結に伴う細かい取決めがなされました。

 

これが、日米地位協定です。

 

 

日米地位協定の詳しい内容

 

日米地位協定は、全28条から構成されています。

 

ここでは、日米地位協定の主な条文の内容について詳しく説明します。

 

①米軍基地について

協定第3条では、アメリカ軍が基地の設定や運営、管理などのために必要なすべての措置を執ることができる旨規定されています。

 

なお、外務省によれば、これは治外法権のようにアメリカが基地を自由に使用し、基地に日本の主権が及ばないというわけではなく、基地内でも日本の法令が適用されるとしています。

 

②空港や港、道路の無料使用、免税措置

協定第5条では、アメリカ軍は基地のほかにも民間の空港や港湾、道路を自由に使用できる根拠を示し、これらを無料で使用できる旨定めています。

 

また、協定第12条では物品税やガソリン税などの多くの免税措置も定められています。

 

③基地の提供費の日本負担

協定第24条では、アメリカ軍基地の地代などの費用を日本の負担とすることが定められています。

 

一方、基地の維持管理費はアメリカが負担する旨の第24条で定められていますが、実際は日本が「思いやり予算」を組み、多くを負担しているとのことです。

 

④公務中に起こした事件・事故に対する裁判権

協定第17条では・・・

 

「合衆国の軍法に服するすべての者に対して、また米軍基地内において、合衆国の法令のすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。」

 

と定められています。

 

アメリカ軍に対する裁判権は日米双方が持っています。

 

しかし、両者が競合した場合、アメリカ軍人等が公務中に起こした事件・事故については、日本国民が被害者だとしてもアメリカ軍に第一次的裁判権があるとされました。

 

日米地位協定の問題点とその後の影響

 

日米地位協定については、様々な問題点が指摘されています。

 

それはつまり、日米地位協定はアメリカにとってとても有利な協定であり、様々な点で不平等な内容であるということです。

 

こうしたことを受け、日本では日米地位協定が不平等な内容のものであるとし、協定の改定を求める人が多く現れました。

 

日米地位協定については、上で述べたような

「基地関係の費用を日本が負担していること」

「アメリカ軍人が公務中に起こした事件等についてアメリカが第一次的裁判権を持つこと」

 などといった不平等な点が多く指摘されています。

 

特に、裁判権の問題については、協定においてアメリカ軍人が公務外で犯罪を犯した場合でも、被疑者が基地内にあるときは日本が起訴するまで身柄がそのまま置かれ、日本側が逮捕できないとされています。

 

1995年、アメリカ軍人が当時12歳の女子小学生を拉致し、集団強姦した事件が発生しました。

 

このときは、裁判は日本で行われましたが、日本側に犯人が引き渡されなかったことが大きな問題となっています(沖縄米兵少女暴行事件)。

 

こうした不平等であるとの指摘が協定締結後からなされていますが、協定の運用改善がされた以外で、一度も協定自体の改定は現在までなされていません。

 

まとめ

 日米地位協定は、1960年に締結された日米安全保障条約(新安保条約)で日本への駐留が認められたアメリカ軍について、細かい取決めをしたもの。

 日米地位協定では、アメリカ軍による日本における米軍基地の使用と、日本におけるアメリカ軍の地位などについて規定している。

 日米地位協定は、基地関係費用の日本による負担や、アメリカ軍が第一次的裁判権を有することなどが定められており、アメリカに有利な内容で不平等な協定と指摘されている。

 不平等であるとの指摘がずっとなされているが、運用の改善がされたほかに、一度も協定自体の改定は現在までなされていない。