【徳川将軍15代の覚え方 6選】超・簡単!!語呂合わせや各将軍の特徴・性格・出来事など

 

日本の歴史上、264年間も続いた江戸時代を築いた徳川家。

 

初代家康から15代慶喜までを順番に覚えることや、それぞれの将軍のエピソードを語ることはなかなか難しいでしょう。

 

今回は15代までの将軍の覚え方や、特徴・性格・出来事をおさえていきましょう。

 

はじめに徳川15代将軍を確認しよう!

(徳川将軍家の略系図 出典:Wikipedia

 

 

江戸幕府を治めた徳川家の歴代将軍は順番に以下のようになります。

初代 徳川家康(いえやす)

2代 徳川秀忠(ひでただ)

3代 徳川家光(いえみつ)

4代 徳川家綱(いえつな)

5代 徳川綱吉(つなよし)

6代 徳川家宣(いえのぶ)

7代 徳川家継(いえつぐ)

8代 徳川吉宗(よしのり)

9代 徳川家重(いえしげ)

10代 徳川家治(いえはる)

11代 徳川家斉(いえなり)

12代 徳川家慶(いえよし)

13代 徳川家定(いえさだ)

14代 徳川家茂(いえしげ)

15代 徳川慶喜(よしのり)

初代徳川家康は豊臣秀吉の死後、秀吉の嫡男・秀忠が幼かったこともあり実質的に幕政を執る立場になりました。

 

そして、天下分け目の戦いである関ヶ原の戦い、大阪の陣などで勝利をおさめ天下人に上り詰めました。

 

以後、徳川家は繁栄し15代にわたって幕政を担ったのです。

 

簡単!徳川15代将軍の覚え方

①鉄板!定番の語呂合わせ

さて、15代も続いた徳川家。徳川15代の覚え方は何通りかありますがそのうちのひとつを紹介します。

 

「徳川は、家康ひみつ、つの、つよし、はなよ、さもよし、15代」

 

という覚え方です。

 

◎出だしの「徳川は、家康ひみつ」は初代から4代までです。

 

家康=徳川家康→(初代)

 

ひ=ひでただ=秀忠→(2代)

 

み=みつ=いえみつ=家光→(3代)

 

つ=つな=いえつな=家綱→(4代)

 

  

◎次の「つの、つよし」は5代から9代までです。

 

つ=つな=つなよし=綱吉→(5代)

 

の=のぶ=いえのぶ=家宣→(6代)

 

つ=つぐ=いえつぐ=家継→(7代)

 

よ=よし=よしむね=吉宗→(8代)

 

し=しげ=いえしげ=家重→(9代)

 

 

◎次の「はなよ、さもよし、15代」は10代から15代までです。

 

は=はる=いえはる=家治→(10代)

 

な=なり=いえなり=家斉→(11代)

 

よ=よし=いえよし=家慶→(12代)

 

さ=さだ=いえさだ=家定→(13代)

 

も=もち=いえもち=家茂→(14代)

 

よし=よしのぶ=慶喜→(15代)

 

②リズムで覚える!徳川15代将軍覚えルン歌♬

 

学生さんにおすすめな覚え方になります。何度か口ずさんでいると、自然に言えるようになります。

 

【歌詞】

健康(家康)に秀でた(秀忠)光(家光)

4本(4代)の綱(家綱)見つけて

ご(5代)っつなよし!(綱吉)

ムッ(6代)と宣言(家宣)して

家を継いだ(家継) ハッピー(8代)な吉宗

急(9代)に重い(家重) 10回(10代)の治療を(家治)

一斉(11代 家斉)に家でよし(家慶)と

意味(13代)を定めた(家定) 石(14代)持ち(家茂いえもち)の 良い子(15代)は慶喜

徳川15代♪ 

引用:KissBee チャンネル

 

③日本史ラップ〜江戸時代ver.〜

 

こちらは徳川家のそれぞれの人物の特徴や起こった重要出来事も収録していますので、ぜひ見ていただきたい動画です。

 

ユニークな内容なので、日本史が苦手な人でも取っ掛かりやすいと思います。

 

④15秒で覚える徳川将軍

 

とてもテンポの良い歌で、メロディーに合わせたらすぐに覚えられます。

 

15秒というコンパクトな動画なので、隙間時間にでも聞くことができます。

 

⑤超・シンプルな15代将軍が覚えられる歌

 

同じテンポでただひたすら将軍の名前を歌っています。

 

この歌が一番歌いやすく、暗記には最適という人も大勢いらっしゃいます。

 

アルプス一万尺替歌

 

馴染み深い歌「アルプス一万尺」のメロディーに合わせて、徳川将軍を歌っています。

 

テンポが良くこちらも覚えるにはおすすめの歌になります。

 

歴代将軍の特徴・性格・出来事

 

次に、初代から15代までのそれぞれの将軍の特徴や性格、出来事を一つ一つ押さえていきましょう。

 

初代・徳川家康については特に詳しく見ていきましょう。

 

初代 徳川家康

 

◎特徴①~人質として過ごした幼少期~

父である松平広忠は幼少の頃、今川家の庇護を受けたことから今川家には恩義があり簡単には逆らうことができない関係でした。そのため、今川家が織田家と敵対関係になった時は、家康(当時は竹千代)は織田家に人質として差し出されてしまいました。その後、父・広忠の死によって松平家が今川家の支配下になったことで今川義元の人質として駿府に呼ばれるなど幼少期は波乱に満ちていました。今川義元のもとで育っていた家康にとって出身である松平家の独立再建の機会は桶狭間の戦いで今川義元が織田勢に討たれたことでした。そのことがきっかけで、家康は今川家から独立し今川家に支配されていた岡崎城を取り戻しました

今川家という大大名の元で幼少期を過ごし、そこで元服もでき優れた学問を学ぶことができたことは、徳川家康の性格やその後の人生に大きく影響したといえるでしょう。

 

◎特徴②~豊臣秀吉の死後、天下統一を果たし264年間も続いた江戸時代を築いた~

桶狭間の戦いで岡崎城をとりもどした家康はその織田信長と同盟を結び勢力を増していきます。信長の死後は豊臣秀吉と敵対関係になりますが、その後和睦し秀吉の天下統一を支援します。また、秀吉の死去にあたっては秀吉の意向を汲んで豊臣家存続のための忠義を約束します。しかし関ヶ原の戦いにおいて自身の対抗勢力を一掃したことで征夷大将軍となり事実上、敵なしとなります。そして、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣家を滅ぼし天下統一に成功しました。

 

◎性格 

徳川家康の性格はかの有名な「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」といいう歌にあるように、慎重で辛抱強い性格とされていたようです。

また、「狸おやじ」というあだ名にもあるように、腹の内が分からない、相手を出し抜くようなところもあったようです。

時代劇やドラマでのワンシーンとして家康が自ら薬湯を調合する場面からわかるように健康オタクで薬を調合するのが趣味でした。

 

◎出来事

 徳川家康の生きた時代の出来事は先に特徴①、②で紹介したように、正に戦国時代。天下統一を目指して多くの大名や武将が戦を繰り広げていました。大きな出来事は、大名の勢力が大きく変化する戦が主で、多くの戦いに徳川家康自体が関係しています。

その中で、いくつか列挙すると以下のような出来事になります。

 

1575年 長篠の戦い(家康 33歳) 武田勝頼(信玄の嫡子)が織田信長に敗れる

1582年 本能寺の変 (家康40歳)

1590年 豊臣秀吉が天下統一する (家康48)

1600年 関ヶ原の戦い (家康58歳)

1603年 江戸幕府を開く(家康61歳はこの時は征夷大将軍)

16141615年 大阪冬の陣・夏の陣 (家康74歳)

 

 

2代 徳川秀忠

◎特徴 

徳川家康の三男

江戸幕府の幕政を安定させた人物

 

◎性格 

浅井3姉妹の江の夫で温厚な性格として語られることが多い。

ドラマや時代劇、語り継がれるエピソードとしては関ヶ原の戦いに遅刻したなどが取り上げられる。

 

◎出来事

秀忠が将軍であった頃の出来事は、大阪夏の陣や朱印船貿易が行われたことです。

 

3代 徳川家光

◎特徴

徳川秀忠の次男。参勤交代や鎖国を行った人物。また、幕府内に老中や奉行、都市よりなどの役職を作った。総じて国力を強めることに尽力した。

 

 

◎性格 

身分の高い低いにとらわれず気に入った相手や、認めた相手には手厚く接するなどする面があり、伊達政宗を厚遇するなどしていた。

男色であったとされるが、側室・お万の方との出会いから女性に目覚め、大奥ができたのも家光の代からでした。大奥を取り仕切ったのは家光の乳母であった春日局です。

 

◎出来事 

家光が将軍職であった頃の出来事は島原の乱や慶安のお触書、寛永の大飢饉などです。

 

4代 徳川家綱

◎特徴 

徳川家光の長男

武断政治から文治政治(法律や教育、制度を作る)に切り替える

 

 

◎性格 

性格は温厚で、主に叔父である保科正之や酒井忠清が政治を取り仕切っていたのも彼らや重臣の進言に逆らうことのない性格であったからとされています。

 

◎出来事

家綱が将軍職にあった頃の出来事は江戸城下及び江戸城の天守閣も焼け落ちた「明暦の大火」です。死者は10万人以上とされています。

 

5代 徳川綱吉

◎特徴 

儒教による平和な政治=天和の治を行いました。

また、生類憐みの令を発布しました。

 

 

◎性格 

勉強好きで能好き、争いごとは好まない性格とされています。

 

◎出来事

綱吉が将軍にあった頃の出来事は、赤穂浪士討ち入りや富士山大噴火です。

 

6代 徳川家宣

◎特徴 

徳川家光の孫。綱吉の養子になった。生類憐みの令を廃止しました。新井白石を師として学問を熱心に学んだ人物。

 

◎性格 

真面目な性格で賄賂は決して受け取らなかったとされています。

 

◎出来事 

国内に大きな出来事はなく徳川家宣によって徳川綱吉の政策の多くが排除されました。生類憐みの令も廃止しました。

 

7代 徳川家継

◎特徴 

徳川家宣の4男。兄弟が早逝したので4歳で征夷大将軍になりましたが、自身も8歳で亡くなってしまいました。

 

◎性格 

幼いながらも自身の立場を理解していた様子があり、その立ち居振る舞いから将軍としての将来を周りから期待されていました。父・家宣亡き後は、御用人・間部詮房を慕い教育を受けていました。

 

◎出来事 

家継が将軍職にあった頃は大きな出来事はなく、新井白石によって長崎での国際貿易額を定めるなどが行われていました。

 

8代 徳川吉宗

◎特徴 

暴れん坊将軍のモデルとなった将軍。8代目から徳川家直系の血筋は途絶えました。徳川御三家の紀伊藩の徳川光貞の4男。御三家出身で初めて養子となり将軍となりました。

 

◎性格 

倹約家で質実剛健を掲げていました。

 

◎出来事  

徳川吉宗自身が享保の改革を行いました。目安箱の設置などもおこない、政治を安泰させました。蘭学に興味があり、海外にも興味がありました。エピソードしてはベトナムから像を輸入したとされています。

 

 

9代 徳川家重

◎特徴 

徳川吉宗の長男。父・吉宗の政治に反発し各地で一揆が起きた時代にあって、世を統治するために自身の力不足を察し側近を重用した。

 

◎性格 

幼いころから虚弱で言語障害があったとされています。政治にはあまり熱心ではなく、老中・田沼意次や大岡忠光によって幕政が執られていましたが彼らを見出したのは家重でした。

 

◎出来事

家重が将軍職にあった頃、日本各地で一揆が起きていました。また、日本で初めて医学解剖が行われました。

 

10代 徳川家治

◎特徴 

徳川家重の長男、株仲間や貿易を推奨した人物。父・徳川家重の遺言により田沼意次を政治に参加させたが、結果的に家治が政治から遠ざけられるようになってしまいました。

 

◎性格 

祖父である徳川吉宗から帝王学を学び、大変聡明だったとされています。将棋の名手でもありました。

 

◎出来事 

家治が将軍職にあった頃は、浅間山大噴火や天明の大飢饉が起きました。

 

11代 徳川家斉

◎特徴 

徳川御三家の一橋家、一橋治済の長男。家治の養子として将軍になりました松平定信を登用して寛政の改革を行いました。

 

 

◎性格 

とにかく色好みであったという記録が多く見られます。

 

◎出来事 

家斉が将軍であった頃の出来事として、大塩平八郎の乱や伊能忠敬による「大日本沿海輿地全図」の完成が挙げられます。

 

12代 徳川家慶

◎特徴 

徳川家斉の次男。水野忠邦を登用して天保の改革を進めました

 

 

◎性格 

「そうせい様(=「そのようにせい」)」と呼ばれるほど、父の存在が大きすぎて自分で決断や指示を出すことができない性格でした。父亡きあと水野忠邦を登用し自らの考えを出すなどの変化が見られたとされています。

 

◎出来事 

家慶が将軍職中には大塩平八郎の乱、ペリーが浦賀に来航するという出来事がありました。

 

13代 徳川家定

◎特徴 

徳川家慶の四男。篤姫の夫

 

◎性格 

幼少より病弱で奇行などがあったとされ、後に歴史物語ではドラマや映画の中でもそのような姿が描かれています。

 

◎出来事 

家定が将軍職中には、日米修好通商条約や井伊直弼が大老職に就くなどの出来事がありました。

 

 

14代 徳川家茂

◎特徴 

もともとは徳川御三家紀伊藩の藩主。徳川家定が若くして亡くなり、子がなかったので家定の従弟だったのですが将軍になりました。しかし、自身も病弱であり21歳という若さで亡くなりました。

 

◎性格 

若くして将軍職に就き、その職を果たそうと熱心に勉強した真面目な人物であったようです。頭脳明晰であり優しい性格であったため周りからの人望も厚い人でした。勝海舟とも深い親交がありました。

 

◎出来事 

家茂の時代は討幕の動きが活発化してきた時期でした。

家茂が将軍職中の出来事としては薩英戦争、桜田門外の変安政の大獄、池田屋事件などがありました。

 

 

15代 徳川慶喜

◎特徴 

徳川家最後の将軍。生まれは水戸藩ですが一橋家の家督を継いでいました。徳川家茂が亡くなったことで将軍になりました。江戸幕府の最後の征夷大将軍です。

 

◎性格 

風流人であり、多趣味。手裏剣の達人、カメラ愛好家、サイクリングをしたという記録もあります

 

◎出来事 

大政奉還を行い、江戸城を開城しました。鳥羽・伏見の戦いに敗れたことで謹慎生活となり徳川幕府の歴史に幕を閉じました。しかしその後、戊辰戦争後は貴族院議員として国政に復帰しました。

 

 

まとめ

 徳川家による江戸幕府の統治は260年余り続き、徳川家は15代続いた。

 徳川15代将軍の覚え方は「徳川は、家康ひみつ、つの、つよし、はなよ、さもよし、15代」

 初代将軍 徳川家康は、豊臣家を大阪冬の陣・夏の陣で滅ぼし江戸幕府をひらいた人物

 3代将軍 徳川家光は、参勤交代を行った人物

 5代将軍・徳川綱吉は、生類憐みの令を制定した

 8代将軍 徳川吉宗は、目安箱を設置するなど享保の改革を行い幕府の体制を安定させた

 15代将軍 徳川慶喜は、大政奉還、江戸城開城した最後の将軍