江戸時代の後期、オランダから輸入した洋書を通して西洋の学問を研究する蘭学が発達しました。

 

一口に蘭学と言っても、実際には今で言うところの医学や薬学をはじめ、化学、政治学、経済学など幅広い範囲に及んでいました。

 

その中で、経済思想に関わる成果として、1798年に本多利明という学者が『経世秘策』という書物を刊行しています。

 

今回は、この『経世秘策(けいせいひさく)』について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

経世秘策とは?

 

経世秘策とは、江戸後期の経世家(経済学者)である本多利明が、自らの経済思想をもとに国を豊かにする政策を論じた書物です。

 

自国の産業を発展させ、外国との貿易を通して国を豊かにするという重商主義の発想が見られます。

 

本書が刊行された1798年は、寛政の改革を主導した松平定信が老中を引退した直後に当たります。ちょうど国内各地で経済問題や社会問題が噴出していた頃でした。

 

そうした中で、利明は本書を通して幕府や諸藩に改革の必要性を訴えました。

 

経世秘策が出された当時の時代背景

 

江戸時代の儒学者をはじめとする学者たちは、具体的な政策を論じる書物を多く残しました。

 

こうした書物のジャンルを「経世論」と言います。本多利明の『経世秘策』もまた、経世論の書物の一つです。

 

経世論については、江戸時代前期から領主の財政難、農民の疲弊、高利貸への富の集中、政治腐敗など、さまざまな問題に対してそれぞれの具体的な対策を打ち出した書物が書かれましたが、その多くはその場かぎりの対策を論じた雑多なものでした。

 

体系的な理論が出るようになったのは、熊沢蕃山の『大学或問』『集義和書』『集義外書』あたりからです。その後、新井白石の建議書荻生徂徠の『政談』太宰春台の『経済録』などが生まれました。

 

18世紀後半には、田沼意次の政治と松平定信による寛政の改革、近世日本最大の飢饉と言われる天明の大飢饉や相次ぐロシア船の来航など、時代が激動する中で、これに対応するために本多利明のほか、海保青陵佐藤信淵らが新たな経世論を書いていきました。

 

そして、そうした経世論はしだいに幕藩体制を克服しようとする方向へと進んでいくことになります。

 

経世秘策の内容

 

「経世秘策」とは「国を経営し豊かにするための秘訣となる政策」という意味です。

 

ただし、ここで言う「国」の意味には注意が必要です。当時は「国」と言えば、「武蔵野国」や「尾張国」のように、個々の地域を指す場合の方が多かったのですが、『経世秘策』で言われる「国」は日本全体を指しています。

 

つまり、本書で説かれているのは、日本全体を豊かにする経済政策なのです。この点で近代的な経済の考え方に近いと言えます。

 

本書は上下2巻、補遺、後編から構成されています。上下2巻は江戸後期に刊本として出版されましたが、補遺と後編は筆写された写本で広まりました。

 

まず、上下2巻では「四大急務」として四つの重要な課題が挙げられます。国土開発のための爆薬の製作金・銀・銅・鉄・鉛の鉱山の開発海外貿易体制の改善北海道・樺太の開発がそれです。

 

そのうえで、補遺では北海道・樺太の開発に関して世界的な視野でさらに詳しく論じ、後編では「小急務」として河川開発を説いています。

 

このような本書の内容からは、国富・流通・貿易の面から、自国の産業を振興して海外との貿易で利益を上げる政策を主張する重商主義の発想を読み取ることができます。

 

 

しかも、当時の他の儒学者たちとは違って、西洋の学問から学んだ客観的・数理的な手法を用いて社会を分析した上で、政策を打ち出しています。

 

また、北海道・樺太開発の推進、都市の生活の改善、治安の維持については、自らが見聞きした火災、米価、夜盗を例にとって、為政者に対して改革の必要性を訴えているのも、本書の重要な点です。

 

そのほか、本書が完成する15年前に起きた天明の大飢饉をはじめとする農村の問題に対しても、利明が強い危機意識をもっていることが本書からうかがえます。

 

経世秘策の著者「本多利明」について

①本多利明の経歴

『経世秘策』の著者は、江戸後期の経世家(経済学者)である本多利明です。

 

利明は1743年に越後(現在の新潟県)に生まれた人物で、18歳の時に江戸に出て、関孝和流の和算と天文学・暦学を学びました。

 

この経歴だけならば、当時の他の学者とあまり変わらないのですが、ここから利明は中国語訳の洋書を通じて、しだいに西洋の天文学・測量術・地理学を勉強するようになっていき、やがて蘭学者の道を進みます。

 

 

学問の面では、熊沢蕃山新井白石荻生徂徠らの影響を受けながら、彼らの合理的で実学的な方法論を継承し、自ら発展させています。

 

24歳のとき、江戸音羽(現在の東京都文京区)に和算・天文学の私塾を開き、多くの門弟を育てたほか、著作の執筆や洋書の翻訳を行いました。

 

生涯のうちで役人として仕えたのは、晩年に加賀藩に勤めた1年半だけで、そのほかは誰にも仕えることのない「浪人」として過ごしました。

 

②本多利明の考える国の展望

経世家としての利明は、18世紀初め以来のロシア船の来航をきっかけに、北方問題に強い関心をもっていました。

 

また、国内の問題としては、天明の大飢饉のときに奥羽を旅行し、現地の農村の状況を目の当たりにした体験があったため、農村の経済問題・社会問題に危機感を抱いていました。

 

利明の経済思想には、自国の産業を発展させて外国との貿易から利益を得るという重商主義の考え方が見られます。

 

「人口が増えるのは避けられず、そのためには自国の産業を発展させなければならないが、それにも限度があるので、外国との貿易によって利益を得ることが必要だ」という論理が常に根底にありました。

 

また、島国である日本にとって、外国と貿易をするためには必ず船舶を用いて航海をしなければならない点も、利明は強く意識し、政策の提案に取り入れていました。

 

これには、利明自身が若いころに学んだ西洋の天文学・測量術・地理学の知識が役立ちました。

 

晩年になると、カムチャツカに日本の首都を移して、西洋のイギリスとともに世界の二大国になるべきだという荒唐無稽な主張をするようになります。

 

ただ、国家の理想像を考える上で、従来のように中国をモデルにするのではなく、ヨーロッパの列強をモデルにするという発想の転換ができた点は評価されるべきだと指摘されます。

 

西域物語

なお、利明は『経世秘策』の他にも、『西域物語』という著書を書いています。

 

本書は『経世秘策』と並ぶ利明の代表的な著作の一つで、利明の独創的な経済思想が見られます。

 

「西域」とは西洋のことで、本書では西洋の事情を紹介しながら、当時の日本の経済状況や社会状況の行き詰まりを打ち破る政策の基本方針を示しています。

 

「人口の増加に対応するためには、外国との貿易が必要であり、特に日本においては航海が重要である」という利明の基本的な発想が、本書からは明確に読み取れます。

 

まとめ

 『経世秘策』とは江戸後期の経世家である本多利明の代表的な著作のこと。

 利明自身の経済思想をもとに、国を豊かにする政策を論じた書物である。

 自国の産業を発展させ、外国との貿易を通して国を豊かにするという重商主義の発想が見られる。

 本書が刊行された18世紀後半には、田沼意次の政治、松平定信による寛政の改革、天明の大飢饉、ロシア船の来航など、社会状況が大きく変化していた。

 そうした中で、利明は本書を通して幕府や諸藩に改革の必要性を訴えた。




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