明治時代、自由民権運動に大きな影響を与えた思想が『天賦人権論(てんぷじんけんろん)』です。

 

もともとは西洋で生まれた「自然権(しぜんけん)」という考え方がもとになっているのですが、明治時代に日本に紹介され、現代の政治でも重要なキーワードとなっています。

 

難しい用語という印象があるかもしれませんが、その成り立ちから現代への影響まで、わかりやすく解説していきます。

 

天賦人権論とは

 

天賦人権論(または天賦人権説)とは、「人は生まれた時からだれもがみんな自由・平等で、幸せを求める権利がある」という思想です。

 

そして、その権利は天から与えられたもので、人間ならだれでも持っている基本的な権利なんだということなのです。

 

いまとなってはこんなのは当たり前の話だと思うかもしれません。でも、近代以前の国というのは、人間だれでも平等というわけではなかったし、自由でもなかったのですね。

 

天賦人権論が生まれた背景

①自然権の思想

天賦人権論はもともとはヨーロッパの思想です。

 

フランスのジャン=ジャック・ルソーや、イギリスのジョン・ロックといった思想家が唱えた自然権の思想がもとになっています。17~18世紀に生まれた思想です。

 

(ジョン・ロック 出典:Wikipedia

 

 

自然権というのは、つまり自然な状態で人間だれもが持っている権利ということですね。

 

それまで、人々の権利というものは国によって与えられたものでした。単純に言えば、王様が強い権力を持っていて、庶民は王様の持ち物というのが国家というものだったのです。

 

しかし、ルソーやロックたちは、権利というものはだれかに与えられるものじゃなく、生まれ持っているものと考えました。

 

王や貴族たちがなんと言おうが、だれもが平等に権利を持っているんだというのが彼らの主張です。

 

ルソーやロックのような考え方を持った人たちを啓蒙思想家(けいもうしそうか)と言います。

 

②啓蒙思想家の与えた影響

そしてこの考え方をもとにフランス革命アメリカ独立革命が起きました。

 

庶民たちは実際に王を倒したり、王による支配から独立したりするパワーを持ったわけです。

 

幕末の知識人たちは、ヨーロッパやアメリカの政治を知ってびっくりしました。向こうでは大統領も庶民の家の生まれなのです。

 

アメリカの初代大統領はワシントンですが、アメリカの人にワシントンの子孫がなにをしてるのか聞いてもだれも知りません。日本だったら将軍の子孫はみんなえらいお殿様やお姫様だった時代です。

 

近代国家というのはこういうものなのかと驚いた日本の知識人たちは、その思想的な背景となったルソーやロックなどを勉強しました。

 

こうして自然論の考えが日本で広まる時に生まれたのが、天賦人権論という言葉なのです。

 

天賦人権論の内容

①身分制度の打破

江戸時代の日本は身分制度があって、武士・農民・職人・商人は生まれた時から分けられていました。

 

 

ごくごく一部の例外を除いて、農民の家に生まれたら武士にはなれなかったわけです。それはかつてのヨーロッパも同じで、貴族と庶民ははっきり家柄が分けられていました。

 

庶民は住むところや職業を自由に選べませんでしたし、財産もいまのように自由に持てるわけではありませんでした。

 

それが変わったのが近代です。天賦人権論はそんな社会の変革を裏付けた思想だったのです。

 

②人権の具体的な内容

その内容は「人はみな平等である(平等権)」「生命をおびやかされず、健康に生きられる(生存権)」「財産を自由に持てる(財産権)」といったものでした。

 

もしこれらの権利が守られない場合は、革命を起こしてもいいんだという主張をする人もいました(革命権・抵抗権)。

 

ところで、「天賦」というのはどういう意味なのでしょうか。これは「天から与えられた」という意味です。

 

だから天賦人権論というのは、「天から与えられた人権」についての論ということになります。

 

③「天」とはなにか?

さてここで疑問なのは、「天っていったいなに?」ということです。

 

ヨーロッパの自然権は、万物を創造した神によって平等に権利が与えられるという思想がもとになっています。神の前では王も庶民もないというわけですね。

 

だからこれはキリスト教の影響で生まれた思想と言えるわけです。

 

そこで日本の知識人たちは自然権を翻訳して日本に紹介する時に、日本人にもわかりやすい訳語として「天」を選びました。

 

「天」というのは儒教の言葉です。「人事を尽くして天命を待つ」なんていまでも言いますよね。

 

当時の日本人にとっての神にあたるものが「天」という言葉だったのです。

 

天賦人権論の日本への影響

①福沢諭吉と「学問ノスゝメ」

明治時代になり、文明開化の波に乗って天賦人権論は広く日本の人々に知られるようになりました。

天賦人権論を世に広めた思想家としてまず名前があがるのが、みなさんご存じ1万円札の福沢諭吉(ふくざわゆきち)です。

 

福沢は明治初期の大ベストセラー『学問ノスゝメ』(がくもんのすすめ)という本の冒頭でこんなこと書いています。

 

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言へり」

 

天はみんな平等に人を造った。まさに天賦人権論の考え方ですね。

 

この冒頭の文はアメリカ独立宣言の一節を意訳したものだと言われています。ルソーたちが生んだ自然権の思想がアメリカ独立革命を経て、日本へやってきたわけです。

 

②加藤弘之の平等思想

そしてもう一人が、加藤弘之(かとうひろゆき)です。1875年には『国体新論』という本を書いて、「君主も人なり、人民も人なり」という平等思想を説きました。

 

当時としてはなかなか過激な思想ですよね。天皇もただの人だというわけですから。

 

でも加藤は後に天賦人権論は時期尚早だったとして主張を変え、過去に出した本を絶版にしてしまいました。

 

③中江兆民と植木枝盛

ルソーの「社会契約論」(しゃかいけいやくろん)を訳して『民約訳解』(みんやくやくかい)と題して出版したのが中江兆民(なかえちょうみん)。「東洋のルソー」と呼ばれ、日本における自由主義思想の代表ともいえる人です。

 

また、植木枝盛(うえきえもり)もフランスの影響を強く受けた思想家で、当時としては先進的な憲法の個人的な案を作ったことで知られています。

 

④自由民権運動への影響

さて、こうした天賦人権論の影響を強く受けたのが自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)でした。

 

 

自由民権運動のリーダーである板垣退助(いたがきたいすけ)はフランス流の自由主義者で、1881年に自由党を結成します。

 

自由党は普通選挙(国民が制限なしで参加できる選挙)の実施を求めるなど、かなり進んだ主張をした政党でした。

 

ちなみに、『天賦人権論』というタイトルの本の著者は馬場辰猪(ばばたつい)で、この人も自由党の設立に参加しています。

 

天賦人権論の現代日本への影響

①日本国憲法で実現した基本的人権

しかし結局、天賦人権論は日本では採用されることはなく、天皇の権限が強い「大日本帝国憲法」が作られました。

 

 

天賦人権論の流れをくむ思想が日本で実現したのは、戦後に制定された「日本国憲法」です。「日本国憲法」では「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」と書かれています。

 

②天賦人権論についての議論

しかし戦後70年以上がたって、この天賦人権論は西洋のキリスト教的な考え方だから日本には合っていないという批判が一部でされることもあります。

 

特に自民党の改憲案との関係で天賦人権論の是非が議論されています。

 

ただこれまで見てきたように、天賦人権論はヨーロッパの思想をもとにしたものではありますが、「天」という儒教由来の訳語を使ったりして、明治時代の思想家たちが近代的な思想を日本に根付かせようとしてきたものだったという流れは押さえておきましょう。

 

まとめ

・天賦人権論とは、「人は生まれた時からみな自由・平等で、幸せを求める権利がある」という思想のこと。

・フランスのルソーやイギリスのロックなどの啓蒙思想家による自然権の思想がもとになっている。

・フランス革命やアメリカ独立革命によって具体化された。

・福沢諭吉や加藤弘之、中江兆民らが広め、自由民権運動に影響を与えた。

・『天賦人権論』の著者は馬場辰猪。

関連キーワード