明治時代を習う上で欠かせないのが『大日本帝国憲法』

 

よく日本国憲法と間違える人が多いですので、今回は大日本帝国憲法・日本国憲法のそれぞれの特徴と違いを簡単にわかりやすく解説していきます。

 

大日本帝国憲法とは?

(1889年 憲法発布略図 楊洲周延の作 出典:Wikipedia

 

 

大日本帝国憲法とは、明治時代に制定された天皇が作って公布した憲法(欽定憲法)です。

 

1889年に公布、1890年に施行されました。

 

この憲法はアジア初の近代憲法といわれています。

 

憲法制定まで道のり

(伊藤博文 出典:Wikipedia

 

 

日本は当時どんどん発展して列強と肩を並べることを目指していました。

 

しかし、この当時の日本は憲法や法律が不十分だったので列強から近代国家とは認められていませんでした。

 

そのため、伊藤博文をはじめとする政治家たちは憲法を制定する必要があると考えていました。

 

日本はヨーロッパの列強諸国の憲法を学び、そして一つ日本にぴったりな憲法を見つけました。

 

それがドイツ帝国の憲法でした。

 

なぜドイツ王国の憲法がぴったりだと思ったのでしょうか?実はこのドイツも日本と同じ状況にあったのです。

 

大日本帝国憲法の特徴!憲法のモデルはドイツ

(ビスマルク憲法(ドイツ国憲法) 出典:Wikipedia

 

 

ドイツは300もの諸侯たちが入り乱れている状態で、ドイツはその中でも一番強いという状態でしたが、『鉄血宰相』で有名なビスマルクによって1871年にドイツ統一を成し遂げました。

 

その状況はまさに幕藩政治を行っていて300以上の藩が席巻していた日本と同じだったのです。

 

さらに、プロイセンは当時イギリスと一二を争うドイツに勝利しました。

 

それが日本に『ドイツみたいに改革を行ったらいつかフランスみたいな列強に勝てるかもしれない!』という事を印象づける事になります

 

また、ドイツは日本と同じ君主国家だったこともあり、これらの理由から日本はドイツの憲法を参考にして憲法を制定していくことになりました。

 

憲法完成までの道のり

日本は早速ドイツの憲法を参考にして作っていきます。

 

日本はドイツの憲法学者を日本に招待して憲法を学びながら1883年5月に憲法草案を書き上げます。

 

また、1885年には当時の日本の政治体制だった太政官制をなくし、内閣制度を完成しました。

 

 

こうしてどんどん制度を確立していきますがここでトラブルが!

 

なんと・・・憲法草案の入ったかばんを紛失してしまったのです。

 

しかし、盗まれたのはあわせて入れていた100円(今の価格に直すと100万円)だけで草案は無事でした。

 

さまざまなトラブルがありましたが、ついに1889年2月11日「大日本憲法発布の詔勅」が出されるとともに大日本帝国憲法が発布され、国民に公表された。

 

この憲法は天皇が黒田清隆首相に手渡すという欽定憲法の形で発布されて、ついに日本はアジアで初めて近代的な憲法をもつ立憲君主国となったのです。

 

 

大日本帝国憲法と日本国憲法の違い

(日本国憲法原本「上諭」1ページ目 出典:Wikipedia

 

 

大日本帝国憲法と日本国憲法は日本で公布された憲法ですが性質や特徴はかなり違います。

 

今回は特に重要な違いをピックアップしていきます。

 

①憲法の違い

大日本帝国憲法は天皇によって制定された「欽定憲法」というものでしたが、それに対して日本国憲法は日本国民によって制定された「民定憲法」というものでした。

 

②主権の違い

大日本帝国憲法は天皇が主権でした。

 

 

天皇が行政・立法・司法権のすべての決定権を持っており国民は天皇の部下という意味の『臣民(しんみん)』と呼ばれていました。

 

それに対して、日本国憲法は国民が主権です。

 

たとえば法律を制定する議員を選ぶのも、憲法を改正するのも国民投票で決めることになっています。

 

③国民の権利・義務の違い

大日本帝国憲法では国民に兵役の義務・納税の義務・教育を受けさせる義務がありました。

 

この当時は『国民皆兵』という戦争になったときに国民全体が戦争に参加するとされていました。

 

人権は天皇からさずかったものであり、法律の範囲内においてのみ認められるものとされていました。

 

それに対して日本国憲法では、国民の義務として勤労の義務・納税の義務・教育を受けさせる義務が定められています。

 

日本国憲法には兵役の義務はない上に戦争の行使を放棄しています。

 

また、人権は『いかなる国家権力によっても侵されない永久の権利』であるとして公共の福祉に反しない限り、最大限に尊重されるべき権利となっています。

 

④天皇の立場

大日本帝国憲法では、天皇は天照大神の子孫である神聖不可侵な存在であり、第4条には天皇は「国の元首にして、統治権を総攬(そうらん)する」となっていました。

 

この意味は、立法など国政を行う権限すべてを天皇が持っており、議会にはからずとも行使できるということを表しています。

 

また、軍の統帥権も天皇が持っていました。

 

さらに、天皇の地位は大昔から途切れることなく続いている万世一系の皇統にあるとされ、国民は天皇のいうことは絶対に服従しなければいけないとされていました。

 

一方で、日本国憲法での天皇は日本国と日本国民の象徴とされており、政治を行う権利は持っていません。

 

行えるのは法律などの公布や国会の召集などの国事行為だけ。さらに、その国事行為も内閣に承認してもらわなければできません。

 

日本国憲法における天皇の地位は主権の日本国民の総意に基づくものであるとされています。

 

このように大日本帝国憲法は天皇中心・日本国憲法は国民中心とされていました。

 

 

憲法の欠点

大日本帝国憲法は日本を立憲国家にしましたが、さまざまな欠点がありました。

 

たとえば、大日本帝国憲法には内閣の規定がありませんでした。

 

なぜならもし大臣をいつでもクビにできる首相が現れると国王の権力が低下するからでした。

 

この欠点が後に『陸海軍は天皇に直属する』という規定を盾にして軍が暴走。太平洋戦争という最悪の災いをもたらすことになるのです。

 

 

大日本帝国憲法の影響

憲法が制定された後日本はどんどん法律を整えていき、近代国家の基礎を作り上げていきます。

 

そして、日清・日露戦争の後日本はアジア唯一の列強国と呼ばれることになるのです。

 

まとめ

 大日本帝国憲法はアジア初の近代的な憲法だった

 大日本帝国憲法は天皇中心の憲法であり日本国民は『臣民』とされていた

 大日本帝国憲法には内閣制度の規定が書かれておらず、それが後の軍の暴走の遠因となった。




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