【大教宣布の詔とは】簡単にわかりやすく解説!!意味は?神仏分離令や廃仏毀釈が起こる!

 

世界の中で日本ほど宗教に寛容な国はないとよく言われます。

 

キリスト教の行事であるクリスマスを祝えば、その一週間後には神社に行って初詣に行ったり、西洋の行事であるハロウィンを祝えば、お盆の時に故郷に帰ったりするなど・・・

 

「日本の国教ってなんなの?」と外国人に言われるぐらいめちゃくちゃです。

 

しかし、明治時代始めには宗教を一つだけにしてそのほかの宗教を弾圧していたことがありました。

 

今回は日本が仏教とキリスト教を弾圧した『大教宣布の詔(せんぷたいきょうのみことのり)』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

大教宣布の詔とは

(明治天皇 出典:Wikipedia

 

 

大教宣布の詔とは、明治時代に入ったばかりの1870年(明治3年)に明治天皇により発布された神道を日本の代表的な宗教にした詔です。

 

※詔(みことなり):天皇のお言葉

 

これによって神道は日本の唯一の宗教となりました。

 

さらにこの詔を元に神仏分離令や廃仏毀釈などが起こり、日本の様々な分野にとてつもない影響を与えました。

 

この詔を出した背景はそもそも新政府は天皇を生きている神という意味の現人神としてさらに天皇中心の政治を目指していたので、その天皇がトップである神道という宗教を国民に信仰させたかったのです。

 

大教宣布の詔が出された後の日本『宣教使と大教院』

 

 

政府は詔が発布された後、神道を日本中に広めるために宣教使と呼ばれる役職と大教院と呼ばれる機関を作りました。

 

宣教使と呼ばれる人は明治時代の前の時代からいた神道を研究している国学者と呼ばれる人です。

 

その人たちが日本各地を飛び回って「神道という宗教はこういうものでそのトップが天皇なんですよ」ということを伝えていました。

 

しかし、国学者といってもそれぞれの主張はバラバラで対立することがしばしばだったためこの作戦はうまくいくことはありませんでした。

 

大教院は政府の機関の一つである神祇官の組織の一つでこの組織が日本の神道の布教を監督していました。が、この組織もうまくいかず1875年に大教院は廃止されました。

 

しかし、大教院がルーツとなっている組織は今でも残っています。

 

弾圧される仏教とキリスト教

 

 

神道を日本の国教としたことによってそのほかの仏教やキリスト教は政府から白い目で見られるようになってしまいました。

 

そしてついにこの二つの宗教は弾圧されるようになりました。

 

①仏教の場合

仏教は江戸時代神道と同じ宗教とする神仏習合と呼ばれる状態になりました。

 

そもそも仏教は日本に伝来してから神道と並ぶ日本の代表的な宗教の一つになり、一時期は仏教の権力が政治にすごく影響したこともありました。

 

しかし、明治時代に入って大経宣布の詔が出されたことによって仏教は神道の邪魔をする宗教として見られてしまいます。

 

そして詔によって出された神仏分離令によって神道と仏教は別の宗教となりました。

 

 

これによってこれまで仏教のことをあまりよく思っていなかった国学者たちはここぞとばかりに仏教を攻撃しました。この攻撃のことを廃仏毀釈と呼びます。

 

この廃仏毀釈によって本来なら今残っていたら普通に国宝になっていた仏像や寺院などが立て壊されてしまい、仏教は一時期日本で絶滅しかけるという事態になりました。

 

しかし、いろんな人々からブーイングがあり、結局この運動は徐々になくなっていきました。

 

②キリスト教の場合

 

 

キリスト教は江戸時代のはじめの頃から日本を混乱におとしめる邪悪な宗教とされていたため、江戸時代にはキリスト教を信仰しただけで即処刑という厳しい処置が取られていました。

 

しかし、明治時代に入ることによってようやくキリスト教を信仰することが許されると思いきやそうはなりませんでした。

 

しかも、江戸時代よりも酷い状態になってしまいます。その代表的な事件が浦上信徒弾圧事件です。

 

この事件は今の長崎市にある浦上と呼ばれる地域にいたキリスト教徒が政府に捕まえられます。

 

政府は信徒たちに氷責めや火責めなどの拷問をしてさらに逆さ吊りにして殺してしまいます。

 

これに激怒したのが日本がこの当時一番恐れていたイギリスやフランスなどのヨーロッパの列強諸国でした。

 

ヨーロッパ諸国の国教はもちろんキリスト教。

 

そのためヨーロッパ諸国の国々は日本に対して信徒を許すことやキリスト教の信仰を認めることを日本に強く求めました。

 

さらに明治政府はこの弾圧によって今の時点でも辛い不平等条約がより酷い状態になってしまうと思うようになりました。

 

結局1875年にキリスト教の信仰を完全に認める命令を出して信徒は許されました。

 

大教宣布の詔の影響

①天皇中心の国家の確立

大教宣布の詔が出されたことによって、これまで地味な存在であった天皇が日本中で知られるようになり、天皇は日本の中で一番偉い存在なんだということが知られるようになりました。

 

そして日本は大日本帝国憲法によって日本は天皇が主権の国家となりました。

 

 

普通なら天皇が主権で国民はその下となると普通なら抵抗などが起きますが、そのような動きがあまりなかった理由はその前に天皇が一番偉いということを知っていたため、あまりそういう動きはありませんでした。

 

②日本の宗教の多様化

大教宣布の詔が出されたことによって一応神道が日本の国教となり、天皇が日本のトップとなりましたが、上に書いた通りヨーロッパ諸国からブーイングが来たため、神道しか認めないということはなくなりました。

 

政府は神道だけを重視するのではなく、キリスト教や仏教も重視して西洋の文化をどんどん学んでいき、西洋諸国と肩を並べるぐらいまで上り詰めました。

 

そしてその後、日本は世界から見ても特殊ないろんな宗教の行事が日本中で行われるようなことになっていきました。

 

まとめ

・大教宣布の詔は明治時代の初めに出された神道を日本の国教にする詔のこと。

・この詔を元に大教院や宣教使などが生まれた

この詔が出されたことによって廃仏毀釈と呼ばれる仏教の迫害やキリスト教の弾圧につながった。しかし、キリスト教の場合キリスト教を信仰しているヨーロッパ諸国からブーイングが来た。

・この詔が出されたことによってこれまで地味な存在だった天皇は日本のトップとして認知されるようになり、大日本帝国憲法で天皇が主権になってもあまり抵抗運動は起きることはなかった。