日本は、明治維新以降に欧米列強からの圧迫に対する矛先を、近隣のアジア諸国へと向けていった歴史があります。
そのなかでも皇民化政策は、太平洋戦争が勃発した直後に起こった政策の一つで、アジア諸国をにお本が主体になってまとめていくという「大東亜共栄圏」構想によって生まれました。
そして、現在の私たちが特に知らなければいけない事でもあります。
とはいえ、その背景や内容をはじめ、その後の影響っていうのはどういうものか、漢字だらけでわかりにくいですよね。
今回は皇民化政策について、かんたんにわかりやすく説明をしていきたいと思います。
目次
皇民化政策とは?わかりやすく解説!
皇民化政策とは、太平洋戦争時代において、日本が東南アジア各地を占領していくにあたり、統一的に支配するために、日本民族との同化を行った政策を指します。
「皇民」というのは天皇の民を指し、いわゆる日本人のことを指します。
つまり、日本が支配した国の人々を”日本人化”する政策という意味なのです。
皇民化政策と同化政策は何が違うの?
似たような名前で、「同化政策」というワードもあります。
何か違いがあるのかというと、そんなことはなく、皇民化政策も同化政策も同じ意味を指します。
ですが、「皇民化政策」というのは、太平洋戦争中に日本が朝鮮や台湾を併合・植民地化した時の同化政策を指すことが多いです。
沖縄やアイヌ(北海道)に対しては、「同化政策」というワードを使用するほうが正しいようです。
皇民化政策の内容
(朝鮮語辞典 出典:Wikipedia)
では、皇民化政策では一体どんなことが行われたのでしょうか?
内容は同化政策と似通っていますが、下にまとめてみましたので、ご参照ください。
- 民族歌・民族旗の禁止
- 日本語教育をほどこす
- 神社崇拝・天皇崇拝の強要
- 宮城遙拝(きゅうじょうようはい)・・・皇居に向かって敬礼する行為の強要
- 創始改名(そうしかいめい)・・・日本の家制度に乗っ取り、氏を作り、名前を日本風に改めた
これらが、当時の日本占領下だった国々に対して行われてきました。
これを行うことで、日本の軍事力を高める目的もあったとされています。
また、当時の価値観から、このように同化政策(皇民化政策)を行うことで、支配を強め国民統合を図ることは普通だったのです。
また、これら全てが東南アジア全ての国に行われたというわけではなく、国ごとにその内容も異なってきます。
特に、イスラム教を信仰するマレーシアやインドネシアでは、宮城崇拝は特に受け入れがたいものでした。
では、皇民化政策が強く行われてきた、台湾や朝鮮半島をピックアップして、具体例を見ていきたいと思います。
皇民化政策【台湾での例】
(台湾の位置 出典:Wikipedia)
台湾では、日本の支配下となった早い段階から皇民化政策が進められていました。
台湾人の母語の使用の制限から始まった規制は、新聞の記載にも影響を与えました。
さらに、台湾の伝統芸能に関する上演や学習、宗教行事にまでも踏み込まれ、禁じられました。
その代わり、日本語の使用が強制され、日本式の姓名へ改正運動が終戦直前まで強制されてきました。
今でも、当時に皇民化政策によって日本語が流ちょうに話せる台湾のおじいちゃんやおばあちゃんがよくテレビにも出ていますよね。
多くの歴史書では傲慢で身勝手だと書かれていますが、一方で台湾は親日国でもあります。
とはいえ、この歴史があって反日派がいるのも事実なのです。その反日派の人たちは、日本を侮辱するネットスラングで時々『皇民』という言葉を使うのです。
皇民化政策【朝鮮半島での例】
(朝鮮半島 出典:Wikipedia)
続いて、朝鮮での例を挙げていきましょう。
日本による朝鮮の植民地化は、1910年から長きにわたって続いてきました。
このころから、日本化政策は続けられていて、日本語教育の徹底や警備制度の日本化(当時の朝鮮は憲兵制だった)が行われていきました。
そして、第二次世界大戦下の1940年代に、この教育が行われていた世代に対する創始改名などといった皇民化政策が強められていきました。
学校では日本精神の教育が推進され、神社や鳥居が学校の敷地内に作られていました。
疑問:沖縄は皇民化なの?
え?なんで沖縄が?日本じゃないの?とお思いのあなた。
沖縄はアイヌ(北海道)と同じく、日本の皇民化政策の元となる同化政策の元祖ともされています。
日本は、かねてより異民族支配に当たって、同化政策をするという特質がありました。
沖縄はかつては琉球王国であり、沖縄弁という沖縄独特の言葉は、今の日本語とはかなりかけ離れていますよね。
それが、日清戦争以降の明治政府による同化教育が行われたことにより、日本人に同化させられていくのです。
これは、日露戦争に沖縄の人々を日本軍として参加させるためでもあったとされています。
皇民化政策に対しての日本国民の観点は?
皇民化政策に対しては、日本国民の中でも賛成派と反対派がいました。
賛成派の意見としては、前述のとおり、皇民化政策で国民の精神的統合は普通だったことに加え、国家に役立つ人材を排出するために行っていたという意見がありました。
当時の日本は「大東亜共栄圏」と呼ばれる思想が広がっており、その内容は欧米におけるアジア地域の植民地解放を目的とし、日本とアジアが共存するための新たな秩序を作るというもの。
それにおいて、盟主となる日本への同化は当然という考えがあったのです。
一方の反対派は、結局欧米と同じく植民地支配を目的とし、占領したいだけでしょうというもの。
皇民化政策によって、それぞれの民族がはぐくんできた伝統や文化を無視するのは差別であると唱えていました。
結局、日本人優位というのが見え見えであるとということですね。
皇民化政策の真実
実は、皇民化政策の真実があります。
当時の日本は、アジアのあこがれの的であり、日本人も日本への誇りを持っており、欧米列強と肩を並べる強国であることを知っていました。
そんなさなかの植民地であった台湾・朝鮮の人々の間でも、日本国民になりたいという熱をもった人たちがいたようです。
また、戦前の朝鮮の人々は国民という概念が「日本国民」を意味していたとも言われています。
まとめ
✔ 皇民化政策は、太平洋戦争に端を発した「大東亜共栄圏」構想によって生まれた同化政策のことを指す。
✔ 皇民化政策と同化政策については、内容は同じ。
✔ 皇民化政策の対象は、植民地だった朝鮮と台湾にたいして行われていた。
✔ 皇民化政策では、民族歌・民族旗の禁止、日本語教育、神社崇拝・天皇崇拝の強要、宮城遙拝、創始改名が行われる。
✔ 台湾は今では親日国なものの、台湾には親日派と反日派がいることが事実。
✔ 朝鮮半島は、明治以降長らく日本の支配下にあり、戦争のために皇民化政策が推進されていった。
✔ 日本の植民地化が長かったことから、朝鮮半島における皇民化政策の真実は自らが望んでおこなったものであるという見解もある。
✔ 沖縄は日本の皇民化政策の先駆けであるが、あくまで沖縄は同化政策というほうが正しい。
✔ 皇民化政策には賛否両論あった。