【冷戦とは】簡単にわかりやすく解説!!原因や時代背景・始まりから終結まで

 

今ではアメリカ一強の時代が続いていますが、実は昔はアメリカとソ連が直接戦争しないながらも対立していた時代がありました。

 

この両国は代理戦争を繰り広げ、世界中が緊迫した状態が続きました。

 

今回はそんなアメリカとソ連で行われた『冷戦(れいせん)』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

冷戦とは?

(アメリカによる核実験の様子 出典:Wikipedia

 

 

冷戦は1945年から1989年まで続いたアメリカ・イギリス・フランスなどの資本主義国家と(通称西側諸国)とソ連・中華人民共和国などの共産主義国家(通称東側諸国)の対立のことです。

 

冷戦という言葉はアメリカとソ連が代理戦争という形で介入したのみで直接戦争していないため冷たい戦争と表されたのが由来とされています。

 

冷戦の始まりと拡大

(ヤルタ会談 左から英チャーチル/米ルーズベルト/ソ連スターリン 出典:Wikipedia)

①ヤルタ会談の実施

第二次世界大戦も終結に向かっていた1945年。アメリカ・イギリス・ソ連はソ連領内にあるヤルタという場所で第二次世界大戦後の世界のあり方を決める会談を行います。これをヤルタ会談といいます。

 

ヤルタ会談では、アメリカ・イギリス・ソ連の間でドイツやオーストリアの分割統治やドイツに支配された国々の領土決めが行われいました。

 

ソ連はそのヤルタ会談においてヨーロッパの東側の国々であるポーランド・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリーなどがソ連の影響下に置かれることになり、さらにドイツはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の四か国で分割占領することが決められました。

この時のアメリカの大統領はフランクリン・ルーズベルトという人でしたが、この人はソ連にすごく寛容でソ連の要求をほとんど呑むことになりました。

 

(フランクリン・ルーズベルト 出典:Wikipedia)

 

 

ドイツ降伏後旧ドイツなどのヨーロッパはヤルタ会談で決めた通り、アメリカやイギリスとフランスとソ連によって分割されることになったのですが、その直後になんとルーズベルト大統領が急死してしまいます。

 

後を継いだトルーマンは最初の頃はソ連に対して敵視することはなかったのですが、東ヨーロッパに共産主義国が続々と誕生している様子を見てトルーマンは「やばい!このままではヨーロッパ全土が共産主義国化してしまう!」と思い始めます。

 

こうしてトルーマンはイギリスとフランスなどと手を組み、ソ連に対抗し始めることになっていくのです。

 

(ハリー・S・トルーマン 出典:Wikipedia)

 

②マーシャル・プランとNATO

戦争終結後、アメリカは第二次世界大戦によってボロボロとなったイギリスやフランスを共産主義化の防波堤にさせるためにアメリカの経済力によって莫大な支援を送り始めます。

 

これを当時のアメリカの国務長官の名からマーシャル・プランと言います。アメリカとしてみたらアメリカ一国で戦うよりも仲間がいた方が助かると思っており、これによってイギリス・フランスなどの西ヨーロッパとアメリカの連携を強化しようとしたのです。

 

さらにアメリカは1949年に北大西洋条約機構(NATO)を設立。ソ連に対しての軍事同盟を結成しソ連に対抗しようとします。

 

(NATOの旗 出典:Wikipedia

 

 

一方のソ連もアメリカに対抗するために東ヨーロッパの共産主義国の支援をする経済協力体制であるCOMECONを設立。さらにワルシャワ条約機構を作り共産主義国中心にアメリカに対抗しました。

 

分断される世界と代理戦争

(1953年に行なわれたアメリカの核実験の様子)

①急激な核開発

アメリカとソ連との冷戦は核開発競争という側面もありました。

 

アメリカは1944年に原子爆弾を開発。翌年には広島・長崎に原子爆弾を投下してその凄まじい威力を世界に見せつけました。

 

アメリカはこうして世界唯一の核保有国になったのですが、ソ連はそれに対抗して急速に核開発を進め1949年にはソ連も原子爆弾の実験に成功。アメリカとソ連が核を持つという恐怖の時代が訪れました。

 

その後アメリカとソ連は核開発競争を推し進め、1954年にはアメリカは原子爆弾よりも強力な水素爆弾を開発。ビキニ環礁で核実験を行い、大量の環礁を吹き飛ばした。

 

(ビキニ環礁の衛星写真 出典:Wikipedia)

 

 

ソ連も負けてはおらず1961年に皇帝の爆弾ツァーリボンバを開発。実験を行いアメリカと張り合った。

 

この二国の核開発競争はどんどんエスカレートしていき、最盛期には世界を50回滅ぼせるとも言われるぐらいにまで発展していってしまいました。

 

②2つに分断された国家

冷戦の時代には元々一つの国だったのに社会主義国と資本主義国が誕生します。分断国家です。

 

分断国家の代表的な国はドイツ・朝鮮・ベトナムです。

 

まず、ドイツですがドイツは敗戦後上に書いた通り4ヶ国で分断されてしまいました。

 

その後ソ連占領地域は東ドイツに、アメリカ・イギリス・フランス占領地域は西ドイツとしてに1949年に成立し、完全に分断されてしまいます。

 

さらに首都であったベルリンも西ドイツと東ドイツに分断され、西ベルリンは西ドイツの飛び地として東ドイツに孤立されてしまいます。

 

その西ベルリンを囲んだ壁か皆さんご存知のベルリンの壁です。

(ベルリンの壁で勘違いしやすいことなんですがベルリンの壁は西ドイツと東ドイツの国境にあるのではなく、あくまでも西ベルリンと東ドイツの境に建てられていますのでご注意を。)

 

朝鮮では1945年の日本敗戦によって北緯36度線を境に北側はソ連。南側はアメリカがそれぞれ占領する形となり1948年に北側では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南側では大韓民国(韓国)が独立します。

 

ベトナムではフランスの植民地だったことに反抗して1945年に独立宣言を出しますがこれにフランスが反抗。第一次インドシナ戦争の後北側では社会主義国のベトナム社会主義共和国、南側では資本主義国の南ベトナム共和国が誕生し分断されてしまいました。

 

代理戦争の勃発

 

 

冷戦はアメリカとソ連が直接戦うことはなかったものの、一方で世界では各地で共産主義陣営と資本主義陣営が争っていました。

 

代理戦争の主な例はベトナム戦争と朝鮮戦争です。

 

①朝鮮戦争

朝鮮戦争は北朝鮮と韓国の間で起こった戦争ですが、この戦争は北朝鮮は中国やソ連の支援を受け、対して韓国は国連軍という西側諸国から支援を受けていました。

 

結局この朝鮮戦争は一応休戦となったものの未だに戦争は終結していません。

 

②ベトナム戦争

ベトナムは1955年から1975年まで続いた戦争ですが、1964年に北ベトナムがトンキン湾事件を起こすとアメリカがベトナム戦争に介入し始め北ベトナムと戦争状態となります。

 

アメリカは北ベトナムに対して北爆という猛烈な空襲を行いますが、北ベトナムのゲリラ戦に苦戦。最終的にはアメリカは北ベトナムから撤退し、1975年に北ベトナムの勝利でおわりました。

 

キューバ危機で核戦争まじかに…

(ミサイルを載せたソ連貨物船の上空を飛ぶアメリカ軍機 出典:Wikipedia)

 

 

キューバ危機は1962年にキューバに共産主義国家が誕生した時に起きたアメリカとソ連が戦争一歩手前まで陥った危機のことです。

 

ソ連はキューバを支援し、キューバに対して核ミサイルを配置してアメリカを威嚇します。

 

アメリカにとったらキューバはフロリダ半島と目と鼻の先。こんな所にソ連の基地ができてしまったらたまったもんじゃありません。

 

アメリカはソ連に対して核戦争を行うことも構わないという声明を出して一時期世界中で緊張が走りましたが、ソ連が土壇場で譲歩し、なんとか危機は去りました。

 

これ以降アメリカとソ連は徐々に歩み寄りを見せていきます。

 

冷戦の終結

(ベルリンの壁崩壊 出典:Wikipedia)

 

 

時代は下り1989年。この年東ヨーロッパ諸国で東欧革命といって各地で共産主義国家が倒されていきます。ベルリンの壁が崩壊したのもこの年です。

 

さらに、ソ連ではアフガニスタン侵攻による財政破綻によってソ連の勢いはどんどん低下。ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカによってどんどんソ連は改革していきます。

 

そしてアメリカとマルタ島で会談を行い冷戦が終結。その2年後にソ連は崩壊して冷戦の時代は完全に終わりました。

 

(マルタ会談『アメリカ・ソ連首脳の会食風景』 出典:Wikipedia)

 

まとめ

・冷戦は1945年から1948年まで続いたアメリカとソ連の対立のこと。

・アメリカとソ連は核開発競争を繰り広げており、キューバ危機で核戦争に突入しそうになったこともあった。

・冷戦の時代にはアメリカが支援している国とソ連が支援している国どうしが争う代理戦争という戦争が起きていた。

・ソ連の経済破綻によって勢いがなくなり1989年にマルタ島で冷戦が終結した。