天皇と一口に言っても、第二次世界大戦の前と後とでは天皇のありかたが大きく異なります。
戦前、天皇は「神聖ニシテ侵スヘラス」とされました。
その天皇だけが持っていた権限をまとめて『天皇大権』と呼びます。
この権限はいったいどのような内容だったのでしょうか?
今回は大日本帝国憲法を中心とした戦前日本を深く知るための『天皇大権』について簡単にわかりやすく解説します。
目次
天皇大権とは?
(1889年 憲法発布式之図 出典:Wikipedia)
天皇大権とは、大日本帝国憲法において天皇の持つ権限のことです。
広い意味では『天皇が持っている統治の権限のこと』。
狭い意味では『帝国議会の協力なしに行使できる権限のこと』。
政治・軍事・外交など幅広い範囲で天皇大権が認められていました。
天皇大権が設定された背景
①自由民権運動の高まり
1881年、国会開設の勅諭が出されると民権派は憲法案を作ったり政党を作ったりと活動を活発化。
特に板垣退助はフランス流の自由党を、大隈重信はイギリス流の立憲改進党を結成し政府との対決姿勢を強めました。
政府は民権派に先駆けて憲法を制定し、自分のペースに持ち込む必要がありました。
②伊藤博文の憲法調査 in ヨーロッパ
(伊藤博文 出典:Wikipedia)
伊藤はヨーロッパ各地を回って憲法について調査しました。
伊藤が最も強い関心を持ったのはプロイセン(のちのドイツ)の憲法です。
ベルリン大学のグナイスト・ウィーン大学のシュタインらにドイツ流の憲法学を教わった伊藤は「天皇中心の憲法にするなら、君主の力が強いプロイセンの憲法をまねするのがいい」と判断。
帰国後に憲法の草案を作りました。
③大日本帝国憲法の発布
1889年、伊藤の原案をもとに大日本帝国憲法が制定されました。
憲法は国の方針を決める主権は天皇が持つと定めます。
そして、天皇が国民に憲法を「与える」という形(欽定憲法)をとりました。
天皇大権を支える機関「枢密院」
大日本帝国憲法の草案を審議するために置かれたのが枢密院でした。
初代議長は伊藤博文です。
憲法制定後は天皇の諮問機関(相談役)と位置づけられました。
特に緊急勅令は枢密院の審議でOKがでないと出すことはできませんでした。
天皇大権の内容
大日本帝国憲法で定められた天皇大権はたくさんあるのですが、代表的なものは次の4つです。
①緊急勅令
議会の閉会中に緊急に法令を作らなければならないとき、枢密院の判断の上で出される勅令。
法律と同じ効力を持ちますが、次の議会で認められないと効力を失いました。
②外交権
宣戦布告や講和、条約の締結などは天皇の承認が必要でした。
③戒厳令
非常事態の時、軍に行政・司法の一部または全部を任せる命令のこと。
戒厳司令官は集会や出版物を停止したり、民家への検査・郵便物の開封などの権利を持ちました。
④統帥権
天皇が陸海軍を指揮・統率する権限のこと。
陸軍の参謀本部や海軍の軍令部は内閣から独立して天皇に直属していました。
内閣から独立していたということは、陸軍大臣や海軍大臣からも独立していたことになります。
内閣が大臣を使って軍をコントロールしようとしても、統帥権を盾に現地の軍が言うことを聞かないことが昭和初期に多発しました。
天皇大権の実例
①金融恐慌の処理:緊急勅令の実例
台湾銀行問題で金融恐慌が深刻になりそうだった時・・・
若槻首相が枢密院に「議会が言うことを聞いてくれないから、緊急勅令で乗り切りたい」と枢密院に頼みますが、若槻内閣の外交を弱腰と見た枢密院は拒否。
内閣総辞職となりました。
かわって総理になった田中義一と蔵相の高橋是清は、3週間の支払猶予令を緊急勅令として出してもらうことに成功します。
議会と内閣が対立した時、最後の切り札として緊急勅令が考えられていたことがわかりますね。
②3回出された戒厳令
戒厳令はそう簡単に出される命令ではありません。
戦前に戒厳令が出されたのは『日比谷焼打ち事件』『関東大震災』『二・二六事件』の3回だけです。
太平洋戦争の末期の空襲の時にさえ出されていません。
本当の非常事態の時にだけ出される究極の手段だったのです。
③統帥権
陸軍や海軍に内閣は命令を出せるのか?
大日本帝国憲法の場合、それは『NO』です。
なぜなら、軍に命令を出せる権利があるのは統帥権を持つ天皇だけだからです。
海軍が軍の規模を決める権利は政府はないとして争ったのが統帥権干犯問題。
陸軍が統帥権の独立を主張して内閣を通さずに天皇に陸軍大臣の辞表を出して内閣を崩壊させたのが陸軍二個師団増設問題。
いずれも、統帥権に関わる大事件です。
内閣が統帥権に手を出せないことが、満州事変のような昭和初期の軍の暴走を誰も抑えられないことにつながってしまいました。
帝国議会の存在意義「こんなに強い天皇大権があるのに議会の意味はあるの?」
①帝国議会は協賛機関
大日本帝国憲法において帝国議会は「協賛機関」とされました。
天皇が制定する法律や予算に同意を与える存在という意味です。
ということは、帝国議会は天皇大権(特に緊急勅令や予算)に対して、「同意しない」ということもできたのです。
②帝国議会と予算
帝国議会は政府が出した予算を削減することはできません。
しかし、否決することはできました。
予算案が否決されると、政府は前年度の予算を実行するしかありません。
例えば「新しい軍艦が欲しい」と政府が予算案を出しても、議会が「ダメ」といえば、予算が天皇大権に含まれていても軍艦を新しく買うことはできなかったのです。
実際、初期議会で軍艦購入費をめぐって政府と議会が対立した時は明治天皇が「宮廷費とか人件費も削るから、政府と妥協してくれないか」と議会を説得する詔書を出してなんとかおさめています。
議会は決して無力ではなかったのです。
天皇大権の終わり
天皇大権は今の日本国憲法では認められていません。
天皇は日本国民統合の象徴とされ、政治上の権利は失いました。
主権は天皇から国民に移ったのです。
まとめ
✔ 天皇大権とは天皇が持っている統治の権限で帝国議会の協力なしに行使できるもの。
✔ 天皇大権のルーツは君主権の強いプロイセン憲法。
✔ 枢密院は天皇の相談役として緊急勅令の制定などに関わる。
✔ 代表的な天皇大権は、緊急勅令、外交権、戒厳令、統帥権。
✔ 統帥権を軍が利用した例として統帥権干犯問題と陸軍二個師団増設要求がある。
✔ 議会は予算を否決することで天皇大権に対抗することができた。