NHK大河ドラマ『麒麟がいく』、とても面白い展開になってきていますよね!

 

2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は、知将としても名高い明智光秀(あけちみつひで)を中心とした物語を描く大河ドラマです。

 

明智光秀はもちろん、明智光秀の敵や味方、同盟軍として関りを持ってくる人物もたくさん登場してきます。

 

その中には、駿河国・遠江国(いずれも現在のの静岡県)を収めていた今川義元の家臣である太原雪斎も登場します。

 

 

今回は、そんな重要人物である太原雪斎について、人物像や経歴を中心にわかりやすく解説していきます。

 

太原雪斎の生涯

(雪斎が開寺した臨済寺 出典:Wikipedia

 

では、太原雪斎(たいげんせっさい)はどのような経歴の持ち主なのでしょうか?

 

太原雪斎の生涯年表

 

  • 1496年 生まれる
  • 1509年 剃髪し、駿河・善徳寺に入り、九英承菊と名乗る
  • 1522年 太原雪斎、今川氏親に呼ばれ、幼少の今川義元の養育を依頼される
  • 1525年 今川義元、仏門に出され、太原雪斎が引き続き養育係になる
  • 1526年 今川氏親、死去
  • 1536年 今川氏輝の死去により、花倉の乱勃発。還俗して今川家に戻る。
  • 1537年 甲斐国・武田信虎との関係改善に尽力
  • 1545年 駿府に臨済寺を開寺
  • 1546年 岡崎城主・松平広忠が今川家へ救援を要請、竹千代(徳川家康)を人質に受けることを条件に松平家を支援する。
  • 1549年 太原雪斎、織田家の人質である松平竹千代(徳川家康)を人質に取り戻す
  • 1550年 京都妙心寺の第35代住持に就任
  •  1553年 今川家の分国法「今川仮名目録」33か条の追加21か条の制定に寄与 
  •  1554年 武田・北条と三国同盟締結
  •  1555年 駿河・長慶寺にて死去(享年60歳)

 

太原雪斎の経歴をみてみると、今川家の発展だけではなく、僧侶としての活動も垣間見ることができます。

 

では、太原雪斎はいったいどんな人物だったのでしょうか?詳しく見ていきましょう。

 

太原雪斎の人物像と壮絶な人生

 

太原雪斎は、「黒衣の宰相」「名補佐役」「軍師」と評される今川家の家臣であり、政治家や武将、そして禅僧の顔を持つ、才能あふれる人物です。

 

まさに太原雪斎は、今川家の右腕的存在であり、今川義元の全盛期を築き上げた人物です。

 

Imagawa Yoshimoto.jpg

(今川義元 出典:Wikipedia)

 

もともとは、駿河国(現在の静岡県静岡市清水区)・庵原(いはら)城主の庵原政盛(いはらまさもり)を父に持つ人物です。

 

母方は、水軍を率いる興津氏(おきつし)の娘と言われています。

 

庵原氏も興津氏も、代々今川氏に仕えてきた譜代の重臣でした。

 

太原雪斎は幼少の頃から頭が良く、優れた頭脳を持っていたため、複数の寺院で修業を重ねていました。

 

①今川義元との出会い

太原雪斎と今川義元の出会いは、なんと今川義元が幼少の頃にさかのぼります。

 

1522年当時、九英承菊(きゅうえいしょうぎく)と名乗っていた太原雪斎は、今川氏親の五男である、今川義元の教育係に任ぜられました。

 

当時、五男である今川義元の家督相続はあり得ないものと思われていて、よその家に行くか出家するかしかありませんでした。

 

しかし、どのみち学問が必須であったことと、今川氏親の家臣の息子が秀才であるというウワサが流れ、太原雪斎に白羽の矢が当たったのでした。

 

かくして、太原雪斎と今川義元という親子にも似た関係の二人が出会い、今後行動を共にすることとなったのです。

 

一緒に京都へ上洛して京都の寺院で勉強をしていたり、公家などとの交流を深めていったという話もあるほど。さらに太原雪斎は、今川義元に兵法の指南も行っていたんです。

 

実は太原雪斎には、今川義元の教育係だけでなく、このまま今川家で働かないかというお誘いも受けていたようですが、それを二度も断っていると言われています。

 

しかし、最終的に今川氏親の要請を受けたという話が残っています。まるで、三国志の三顧の礼のようですね。

 

②家督争いの花倉の乱、勃発するも2週間で鎮圧!

今川氏親が亡くなり、今川義元の兄である今川氏輝(いまがわうじてる)が家督を継いだものの、24歳で亡くなります。

 

さらに、時を同じくして、次男の今川彦五郎も亡くなってしまいます。

 

今川氏輝には子供がいなかったことから、今川義元ともう一人の兄である玄広恵探(げんこうえたん)によるお家騒動が勃発します。

 

しかし、今川義元と太原雪斎は、この家督争いを僅か2週間で鎮圧するのでした。

 

実は、太原雪斎の武功や戦功は残っていません。

 

しかし、武田家の残した書である「甲陽軍鑑」には「太原雪斎のいない今川義元では、ことをうまく運べない」というような記述もあることから、太原雪斎の参謀っぷりがうかがえます。

 

こうして、出家していた今川義元は還俗(僧侶をやめ、俗世に戻ること)し、今川家へ戻り、そのまま太原雪斎を重臣として迎えるのでした。

 

③今川家の発展に尽力

太原雪斎は、今川義元の右腕として、その知力を存分に発揮しました。

 

例えば、今川家と甲斐国(現在の山梨県)武田氏と相模国小田原(現在の神奈川県小田原市)の北条氏の間で、嫡男と姫を婚姻させると同時に、甲相駿三国同盟を締結します。

 

さらに、三河の平定では、太原雪斎が現地の武士たちに所領を安堵する書状も残されており、全面的に政治にかかわっていたともされています。

 

この件で尾張国(現在の愛知県)の織田信秀(おだのぶひで)率いる織田家に奪われていた、人質の松平竹千代(後の徳川家康)の奪還にも成功していたうえに、教育係まで勤めていたと言われています。

 

④今川家領内の政治など、様々な政策にも関与

太原雪斎は、そのほかにも今川家の領地に関する法を定めた「今川仮名目録」の追記にも関わりました。

 

僧侶として寺社の発展にも寄与していたことから、本当に全面的に大活躍!

 

太原雪斎がいなかったら、今川家は成り立たないも同然状態でした。

 

⑤太原雪斎が亡くなる

そんな太原雪斎が、1555に亡くなります。

 

その後の今川氏は衰退をたどる一方でした。

 

太原雪斎が亡くなった約5年後には桶狭間の戦いが起こり、今川義元は織田信長に討たれ、実質今川家の滅亡することとなるのです。

 

 

もし、太原雪斎があと5年ほど長生きしていたら、桶狭間の戦いはどうなったのでしょうか?

 

おそらく、織田信長をコテンパンにしていた未来もあったでしょう。

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で太原雪斎を演じるのは?

大河ドラマ『麒麟がいく』で、今川家のブレーン・太原雪斎を演じるのは、大河ドラマで大活躍!『水戸黄門』で格さんも演じていた俳優の伊吹吾郎(いぶきごろう)さんです!

 

 

大御所俳優である伊吹吾郎さんは、北海道出身です。

 

伊吹吾郎さんといえば、1983年から17年にわたって大河ドラマ『水戸黄門』の渥美格之進(あつみかくのしん/通称:格さん)を演じていたことは、大変有名です。

 

そんな超演技は俳優の伊吹吾郎さんが、今川家の右腕である太原雪斎を演じるだなんて、大河ドラマファンは超期待大!なのではないでしょうか!?

 

まとめ

まとめ

 

 太原雪斎は「黒衣の宰相」「名補佐役」「軍師」と評されていて、今川家の全盛期を支えた人物だった。

 

 太原雪斎は今川家の家臣である庵原家を父方、水軍を率いる興津家を母方に持っている。

 

 幼少の頃から優秀な頭脳を誇っていた。

 

 今川義元とは教育係として長年の付き合いがあり、まるで父子のような関係でもあった。

 

 今川家家督争いの花倉の乱を、わずか2週間で終息させる。

 

 ほかの戦国大名からも、「太原雪斎無くして、今川義元無し」と評されている。

 

 今川家の内政、他国との外政、さらに僧侶としての活動にも尽力。

 

 太原雪斎が亡くなった以降、今川家は桶狭間の戦いで滅亡。

 

 ドラマ『麒麟がいく』で太原雪斎を演じるのは、大御所俳優の伊吹吾郎さん。