ニュースを見ていると、日米安保とか安保条約という言葉をよく耳にすると思います。

 

これらは日米安全保障条約のことを意味していています。

 

日本が第二次世界大戦終結後にアメリカと結んだ条約です。

 

この条約が結ばれるにいたった背景には、日本の敗戦、アメリカとソ連の東西冷戦の激化など、さまざまな文脈がありました。

 

今回はこの『日米安全保障条約』について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

日米安全保障条約とは?

(条約著名の様子 出典:Wikipedia

 

 

日米安全保障条約とは、1951年のサンフランシスコ講和会議で署名され、翌年の1952年に発効された「アメリカ軍を日本国内に駐留させることなどを定めた条約」のことです。

 

条約はその後改定されることもありましたが、大枠は現在まで引き継がれ、今日の日米同盟の根幹をなしています。

 

なぜアメリカ軍が日本国内に駐留することになったのでしょうか?次にその背景をくわしく見ていきましょう。

 

日米安全保障条約が結ばれた背景

①敗戦とGHQの占領政策

日米安全保障条約が締結されるにいたった背景には、まず第二次世界大戦における日本の敗戦があります。

 

 

日本はアメリカを中心とする連合国を相手に大戦争をしますが、劣勢が続き、1945年8月14日にポツダム宣言を受諾して無条件降伏しました。

 

 

その後は連合国の総司令部、いわゆるGHQによって占領体制がしかれます。

 

 

GHQが目指したのは日本の民主化と非軍事化。日本から独立国としての主権を一時的に奪い、もう戦争ができないような国に変えようとしました。

 

②アメリカとソ連の冷戦

ところがここで問題が発生します。

 

アメリカとソ連の対立が急速に深まっていったのです。両国は資本主義陣営と社会主義陣営にわかれ、世界中の国を巻き込む対立構造が発生しました。(東西冷戦

 

 

アジアにもその影響は及びました。中国ではアメリカ陣営の国民党と社会主義陣営の共産党が内戦をおこない、大方の予想に反し共産党が勝利します。

 

また朝鮮半島でも対立が深まり、北の社会主義陣営と南の資本主義陣営に分かれて内戦を始めてしまいます。

 

アメリカは朝鮮半島の争いに介入することを決意し、1950年に朝鮮戦争が勃発します。

 

 

③占領政策の方向転換

こうした状況を受け、アメリカの日本占領政策が変化しました。

 

アメリカ軍を朝鮮半島に派遣しなくてはなりませんから、日本の防衛が手薄になってしまいます。また、アメリカ軍をサポートさせるためには、日本経済の立て直しも急務です。

 

こうしてGHQの日本占領政策は従来の民主化と非軍事化から方向転換し、日本に経済復興とある程度の軍事化を認めることになったのです。

 

そしてそのためには、日本を一刻も早く独立国に戻す必要がありました。

 

④サンフランシスコ平和条約で独立

こうして1951年、サンフランシスコ講和会議が開かれます。

 

この会議における日本の全権は吉田茂です。

 

(条約に調印する吉田茂 出典:Wikipedia)

 

日本はサンフランシスコ平和条約を結び、独立を達成。GHQの占領から抜け出して、国際社会へと復帰したわけです。

 

さて、日本はもはや独立国なのですから、普通なら他国の軍隊が駐留しているわけにはいきません。アメリカ軍は日本から引き揚げていくはずです。

 

しかし、事態はそのようには展開しませんでした。

 

それに関連してサンフランシスコ平和条約と同じ日にもうひとつ、日本とアメリカのあいだで重要な条約が締結されていたのです。それが日米安全保障条約です。

 

日米安全保障条約の内容

(条約の署名書 出典:Wikipedia

 

 

日米安全保障条約で最大のポイントは、アメリカの陸海空軍を日本に置くことを認めた点にあります。

 

日本に対して外国からの武力攻撃があったとき、アメリカはその軍隊を使って対処することができます。

 

また日本内部に反乱や革命の動きがあった場合でも、アメリカはその軍隊でこれを鎮圧することが可能になりました。

 

これを内乱条項と呼びます。

 

アメリカ軍は日本にとどまり続けた理由

なぜアメリカは軍隊を日本に置き続けたがったのでしょうか?

 

それは、日本の沖縄と小笠原がアメリカ軍の重要基地になっていたからです。朝鮮半島で戦争を行っているアメリカは、作戦を遂行するためにもこれらの基地を手放すわけにはいかなかったのです。

 

また日本としても、軍事をアメリカに依頼しておけば経済復興だけに集中できるため、アメリカ軍に駐留してもらうメリットはありました。

 

日本国民にも戦争のトラウマがあり、軍事化を避ける路線が受け入れられます。

 

こうして両者の思惑が一致した結果、日米安全保障条約が結ばれました。

 

では次にその内容について見ていきましょう。

 

その後の日米安全保障条約

①日米安全保障条約の問題点

さて、この日米安全保障条約には大きな問題点がありました。その内容があまりにも片務的だったのです。

 

外国からの侵略があった場合にアメリカはその軍隊を使用することができると定められていますが、軍隊を使用して日本を防衛しなくてはならないとは書かれていません。

 

つまりアメリカは日本に軍隊を置きますが、日本を防衛する義務は負っていなかったのです。

 

このように、独立国同士が締結したとは思えないほど不平等な条約が日米安全保障条約でした。

 

ここを問題視した日本側は、日米安全保障条約をより対等なものにすべく、改定に向けた努力を重ねます。

 

②岸信介による日米安保の改定

その努力の集大成が、岸信介内閣による日米安全保障条約の改定です。

 

(岸信介 出典:Wikipedia

 

日本中に大きな論争(安保闘争)が巻き起こるなか、岸は強行突破。1960年、改定条約が成立します。

 

 

こうして成立した条約は新日米安全保障条約とも呼ばれ、それと区別するために、改定前の条約を旧日米安全保障条約と呼ぶこともあります。

 

この新日米安全保障条約の最大のポイントは、アメリカが日本を防衛する義務を負ったことです。

 

片務的だった旧安保に比べると、より対等な条約になっています。また内乱条項も削除されました。

 

③現在そしてこれからの日米安全保障条約

その後、日米安全保障条約は自動的に延長され今日にいたっています。

 

さまざまな議論の的になりながらも、大枠の部分では変わっていません。

 

この日本とアメリカの関係がいつまで続くのかはだれにもわかりません。

 

ソ連は1991年に崩壊し、東西冷戦は終結しました。ということは、アメリカが日本に軍隊を置き続けるにいたったそもそもの理由は、すでに存在しないことになります。

 

またイラク戦争の失敗などをきっかけにして、アメリカでは軍隊を世界中に派遣することに反対する声も強まっています。いつかはアメリカが日本から軍隊を引き揚げる日が来るかもしれません。

 

アメリカ軍が日本から引き揚げたら日本の安全保障はどうなるのか?これは、将来の日本に残された大きな課題だといえるでしょう。

 

まとめ

 日米安全保障条約とはアメリカ軍を日本に駐留させることなどを定めた条約。

 日本の敗戦と、東西冷戦の激化がその背景にあった。

 社会主義陣営と戦うアメリカは、占領政策終結後も日本にアメリカ軍を駐留させ続けることを欲した。日本もまた、経済復興に集中するためアメリカ軍に軍事を任せることを望んだ。

 日米安全保障条約は片務的な性格のもので、アメリカは日本を防衛する義務を負っていなかった。

 1960年、岸信介内閣のもとで日米安全保障条約は改定され、アメリカは日本を防衛する義務を負うようになった。

 日米安全保障条約は自動的に延長され現在まで続いている。




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