石を道具として用いていた時代から、人々は土器という画期的な発明をします。

 

土器の登場から旧石器時代から新たな時代へと移り変わります。

 

今回は土器を用いた『縄文時代と弥生時代の違い』について、くらしの側面を中心に比較していきます。

 

縄文時代と弥生時代の違い

 

 

縄文時代と弥生時代の違いを、簡単に以下にまとめました。

それぞれの違い

縄文時代……今からおよそ15000年から2300年前の、約1万年の間。縄目模様で分厚い黒褐色の「縄文土器」を使用。狩猟や採集の生活。

弥生時代……紀元前300年頃から紀元後300年頃の、約600年の間。直線など質素なデザインで薄手で明るい褐色の「弥生土器」を使用。水稲耕作の生活。

 

それでは、それぞれの時代について、詳しく解説していきます。

 

縄文時代について詳しく

 

 

縄文時代は、今からおよそ15000年から2300年前の、約1万年の間を指します。しかし、縄文時代の時期についての説は多くあり、地域差もあって定かではありません。

 

旧石器時代から縄文時代へ時代が入れ替わると、環境の変化(氷河期が終わり温暖化へ)のため、人々の生活は大きく変わりました。

 

新しい道具や狩猟・採集の仕方など、縄文時代の人々は地球の目まぐるしい環境の変化と一緒に、自分たちの生活も変化させたのです。

 

①縄文時代の住居

(竪穴式住居 出典:Wikipedia

 

 

縄文時代の一般的な住居は「竪穴式住居」でした。

 

竪穴式住居とは、地面を丸、もしくは四角に掘って、その中に柱を立てて、木でつなぎ合わせた骨組みの上に、葦などの植物で屋根を作った住居のことをいいます。深く掘れば掘るほど、冬は暖かく、夏は涼しい住居です。

 

旧石器時代から縄文時代の最初の方は住居を転々とする移動生活をしていましたが、竪穴式住居の発展とともに、人々は住む場所を変えない定住生活を始めました。

 

②縄文時代の道具

縄文時代は、氷河期が終わり、温暖な気候へと変化した時代です。そのため、植物は豊かに育っていました。

 

また、氷河期の間にいた大型動物(ナウマンゾウやマンモスなど)はいなくなり、小型動物が増えていきます。そのため、縄文人にとって必要な道具は、植物を採集する道具と、小型の獲物を捕まえるための武器でした。

 

動物の獲物を捕まえるために活躍したのが、弓矢です。小さな動物はすばしこいので、槍よりも弓矢の方が捕まえやすかったのです。また、それまでは石を打ち砕いて作る打製石器が主流でしたが、石を砂や石で磨いて作る「磨製石器」も使われるようになります。

 

(様々な磨製石器 出典:Wikipedia

 

 

その他にも、動物の骨や角などを加工して作った「骨角器」も使われていました。この骨角器を使って、川などで釣りをして魚などを捕まえていたといいます。

 

③縄文時代の服装

縄文人は骨角器で針も作っていました。そこに麻などの植物の繊維を通して、糸を作っていたのです。

 

そして、この紡いだ糸を使って、布も作っていました。この布を使って作られた縄文人は自分たちの服も作っていました。貫頭衣とよばれる、布に穴を開けてそこから頭を出して着る簡単な服を着ていたのではないかと考えられています。

 

また、狩猟も行っていたので、捕まえた動物の毛皮などを服に使っていたとも考えられています。

 

④縄文時代の食事

縄文時代、人々は狩猟と植物採集のどちらも行っていました。そのため、季節ごとに食べるものも変わっていました。植物は木の実や果物を食べ、狩猟ではイノシシやシカなどを捕まえて肉を食べていました。

 

また、ドングリやエゴマなどを材料にして、加工食品を作っていたともいいます。後期には稲作も始まっていたとされていますが、まだまだ主食になるレベルではありませんでした。

 

⑤縄文時代の土器

 

(縄文土器 出典:Wikipedia

 

 

縄文時代に使われていた低温で焼かれた厚手の土器を「縄文土器」といいます。黒褐色のものが多いです。縄文土器には縄を転がしてつけた縄文の模様が特徴です。また、縄文の模様に限らず、立体的な装飾が目立つ土器も多く出土しています。

 

この縄文土器ができたおかげで、人々の生活は大きく変化しました。採集したドングリなどの木の実のアク抜きに使われたり、料理にも使われたりしました。

 

縄文時代の「縄文」も、この土器から来ています。1877年(明治10)に、アメリカの動物学者、エドワード・S・モース大森貝塚から土器を発掘し「Cord Marked Pottery」と報告したのです。日本ではこれを「縄文土器」と訳され、縄文土器が使われていた時代を縄文時代とするようになりました。

 

⑥その他の文化

(土偶 出典:Wikipedia)

 

 

縄文時代の遺跡からは土で作られた人形「土偶」も多く出土しています。土偶は女性を表現したものが多いです。人形の土偶だと、どこか(体の一部)が壊れて出土することが多く、これはケガを治したり、妊娠に対するおまじないやお守りに用いられたりしたのではないかと考えられています。また、男性を象徴する「石棒」という磨製石器も多く出土しています。

 

人々の生活ででたゴミを捨てる場所を「貝塚」といいます。縄文時代の貝塚は現在でも約2500箇所見つかっています。貝塚からは貝だけでなく、土器や骨角器、石器なども見つかっています。

 

そして、人が死ぬと、その死体は埋葬されますが、そのとき「屈葬」という埋葬方法が使われました。屈葬とは、手と足を折り曲げて、体育座りのような状態で埋めることをいいます。

 

弥生時代について詳しく

 

 

弥生時代は、およそ紀元前300年頃から紀元後300年頃の、約600年の間を指します。しかし、始まりは紀元前800〜900年頃という説も出てきています。

 

主に採集をして生活をしていた縄文時代から弥生時代へ時代が変わると、水稲耕作が生活の中心になったことで、人々の生活は大きく変わりました。新たな文化が定着した弥生時代では、集落のなかでリーダーが生まれ、人々に身分の差が生まれました。

 

①弥生時代の住居

弥生時代の一般的な住居は、縄文時代と同じく地面を丸、もしくは四角に掘って、その中に柱を立てて、木でつなぎ合わせた骨組みの上に、葦などの植物で屋根を作った「竪穴式住居」でした。

 

しかし、建築物としては「高床式」の建物があったことがわかっています。

 

(高床式倉庫 出典:Wikipedia

 

 

高床式の建物は、主に倉庫に使われていたようです。しかし、土器などに描かれている建物は、儀式などを行う場所だと考えられているため、弥生時代では、高さがある建物を神聖な場所と考えられていたことも予想されます。

 

②弥生時代の道具

弥生時代は稲作が始まったので、稲作で使う道具が作られました。

 

土を耕すための鍬(くわ)や鋤(すき)、稲穂を収穫するときに使う鎌や「石包丁」、収穫した稲穂を脱穀するために使う臼や竪杵が見つかっています。現在の稲作につながる農具を、弥生時代の人々はほとんどすべて揃えていました。

 

また、その農具もほとんどが木で作られていましたが、中期以降は鉄で作られるようになったことが、佐賀県にある吉野ヶ里遺跡から出土した鉄製の農具からわかりました。鉄は朝鮮半島から手に入れたようです。鉄製の農具になって、作業効率もぐんと上がったと考えられます。

 

③弥生時代の服装

弥生時代では、人々に身分の差ができます。そのため、服装も庶民とリーダーで差が生まれたと考えられます。一般庶民の服装は、縄文時代と大きく変わらず、同じような「貫頭衣」だったと考えられています。

 

身分の高いリーダー的存在だった人は、貫頭衣とは違った構造の袖がついた服装をしていたとされています。吉野ヶ里遺跡から絹でできた織物が出土して、これは身分が高かった人物が衣服として使っていたのではないかと考えられています。絹の布は貝の分泌液からとれる紫色の染料や、植物(日本茜など)で染色されていました。そのため、集落のリーダーは、袖がついた赤や紫の色をした服を着ていたと考えられています。

 

④弥生時代の食事

 

 

弥生時代は稲作が始められたので、主食はやはりでした。穀物は他にも小麦や小豆、粟なども栽培されていました。米は土器で水と一緒に炊かれ、雑炊のようにして食べられていたと考えられています。この雑炊を食べるための木製のスプーンが、鳥取県の青谷上寺地遺跡からたくさん出土しています。

 

米以外では、狩猟や漁をしてとったシカやイノシシ、アワビやマグロなどを食べていました。他にも、犬やイノシシを家畜として飼っていたことがわかっています。

 

縄文時代では犬は人間と同じくお墓に埋葬される存在でしたが、弥生時代では食用として飼われていたようです。この文化は、犬を食べる風習がある中国や朝鮮半島から伝えられたものではないかと考えられています。

 

⑤弥生時代の土器

(弥生土器 出典:Wikipedia)

 

 

弥生時代に主に使われていた土器を「弥生土器」といいます。弥生土器の色は明るめの褐色です。縄文土器のような装飾はほとんどなく、とても質素な出来になっています。

 

また、土器の厚さも数ミリという薄さです。しかし、高温で焼かれ、とても丈夫だったことがわかっています。形にも種類があり、瓶のような形をした壺型、杯のような形をした皿形などがあります。

 

全体的に、縄文土器よりも技術的に高く、米など食材を保存するために作られたり、食事に使われたりと、実用性も高かったことがわかります。

 

⑥その他の文化

弥生時代は稲作が始まったことから、人々は集落を作ります。その集落はやがて「クニ」になり、リーダー(指導者)も生まれました。

 

弥生時代後期には各地でできたクニが、自分たちの領土を広げるために争いを起こします。卑弥呼という女王が治めた邪馬台国も、こうしたクニが集まってできた国だとされています。

 

こうした社会の組織と階級があったことは、弥生時代の墓から知ることができます。弥生時代の墓のなかには、鏡や銅でできた矛(ほこ)などの副葬品が一緒に埋められた「王墓」が見つかっています。

 

また、弥生時代後期になると土や石を積み重ねて丘のような形の「墳丘墓」という墓が見られるようになります。この墳丘墓も、リーダー的存在の人のための墓です。このように、墓は当時の社会の仕組みを知る上で重要な資料であり証拠なのです。

 

まとめ

・縄文時代の一般的な住居は「竪穴式住居」で、弥生時代はそれに加えて「高床式」の建物も作られていた。

・縄文時代は狩りや採集に使う「磨製石器」や「骨角器」が使われていたが、弥生時代は稲作に使う「石包丁」などの農具が使われていた。

・縄文時代も弥生時代も貫頭衣を着ていたが、弥生時代の集落のリーダーは絹織物を着ていた。

・縄文時代は狩った動物や採集した植物を食べ、弥生時代では米を主食として食べていた。

・縄文時代に使われていた低温で焼かれた厚手の土器を「縄文土器」を使い、弥生時は高温で焼かれた薄手で装飾の少ない「弥生土器」を使っていた。




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