貴族が中心だった平安時代が終わり、鎌倉時代からは武士たちが力を持ち始めます。

 

武士の中には御家人や旗本と呼ばれる人たちが登場しますが、どういった身分の人たちだったのでしょうか?

 

時代とともに意味が変化していくので、整理して見ていきましょう。

 

御家人と武士の違い

 

 

御家人と武士の違い

武士・・・貴族に仕えて軍事に従事した人々のこと。

 

御家人とは・・・鎌倉時代、将軍と主従関係を結んだ武士のこと。

 

①武士とは

そもそも武士とはどういう人たちなのでしょうか?

 

「武士」という言葉が定着し始めたのは、平安時代後期と言われており、朝廷に雇われて軍事関連の仕事をしたり、公家などの元で警備活動をしたりしていた人たちのことを指しました。

 

彼らは刀や弓、馬術の技術を磨いたり、実践で武術を高めたりしていました。馬術の鍛錬では騎射三物と呼ばれる3つが有名です。

流鏑馬(やぶさめ)・・・約200メートルの直線を馬に乗って走りながら、3つの的を射るもの。儀式などにも用いられる。

 

笠懸(かさがけ)・・・流鏑馬と同じく、馬を走らせながら的を射抜くものだが、的の種類が多くより実践的で難易度が高い。流鏑馬よりも格式は低い。

 

犬追物(いぬおうもの)・・・馬に乗りながら犬を矢で射止める。

 

武士たちは日々、このような鍛錬を行なって戦に備えていました。

 

②御家人とは

武士たちの中でも、将軍と主従関係を結んだ人たち御家人と呼ばれます。

 

それ以前は主君に仕える従者を家人(けにん)と呼んでいましたが、将軍に仕える家人に対して敬称をつけるようになったことから御家人となりました。

 

また、御家人でない者は非御家人と呼ばれ、明確に区別されるようになります。

 

ちなみに御家人になるためには、自分の官位や名前などを書いた名簿(みょうぶ)と呼ばれる書類の提出や将軍へのあいさつなどが必要でした。

 

③将軍と御家人の関係

主従関係となった将軍と御家人はご恩と奉公で成り立っていました。

 

ご恩とは、主人である将軍は御家人の働きに応じて土地を与えたり、生活を保証することです。

本領安堵(ほんりょうあんど)・・・御家人が代々支配してきた土地の権利を保証すること

 

新恩給与(しんおんきゅうよ)・・・新たな領地を与えること

 

奉公とは、御家人となった武士は、主人である将軍の下、戦の時は合戦に参加したり、何もない時は警護や軍役の仕事をしたりして働くことです。

 

旗本との違い

 

 

旗本は江戸時代から登場する武士の身分の名称です。御家人と間違えやすいので、違いを見ていきましょう。

 

江戸時代にも御家人と呼ばれる人たちがいましたが、鎌倉時代とは意味が異なりますので注意してください。

 

旗本は、徳川家直属の家臣なかでも一万石以下の武士を指し、江戸に定住して警備や護衛を行う番方(ばんかた)や町奉行や勘定奉行などの役職についた役方(えきかた)の仕事をしていました。

 

また、将軍に直接会うことができる御目見(おめみえ)が可能で、儀式や典礼などにも参列することができました。

 

戦いの際には馬に乗って戦い、報酬は知行取り(領地が与えられ、そこの農民から徴収した年貢をもらうこと)や蔵米取り(幕府に年貢として納められた米をもらうこと)がありました。

 

ちなみに一万石以上の武士は大名と呼ばれます。

 

御家人とは(江戸時代の場合)

旗本より身分が低く、将軍に御目見する権限はありません。大目付が代理として将軍に会いました。

 

また、戦の際は馬には乗らず歩兵として戦い、報酬は蔵米取りがほとんどでした。

 

御家人や旗本として有名な人々

①御家人(鎌倉時代)

ここでは鎌倉幕府の設立に活躍した御家人を紹介します。

 

和田義盛

(和田義盛 出典:Wikipedia

 

 

御家人たちの統率し、今でいうところの警察や護衛の行う侍所(さむらいどころ)の初代別当(長官)を務めました。初代将軍源頼朝から3代将軍源実朝の時代まで幕府を支えました。

 

大江広元

(大江 広元 出典:Wikipedia

 

 

政治に必要な書類などを作成する政所(まんどころ)の別当に任命され、源頼朝の優秀な部下として活躍しました。諸国の武士を統括し治安の維持をするために守護や地頭を設置しました。

 

②旗本(江戸時代)

江戸時代中期では学問に優れた人々が活躍し政治に大きく影響を与えました。

 

新井白石

(新井白石 出典:Wikipedia

 

 

6代将軍徳川家宣に仕えた朱子学者。幕府で政治を行い、金の含有率を下げた正徳小判を作るなど財政政策などを行いました。しかしこの政策はかえって混乱を招いてしまいました。

 

青木昆陽

(青木昆陽 出典:Wikipedia

 

 

8代将軍徳川吉宗に命じられ、人々を飢餓の危機から救おうとサツマイモの普及に努めました。儒学や蘭学などを学び、前野良沢にも影響を与えのちの「解体新書」の翻訳にも大きく貢献した人物です。

 

まとめ

 武士とは、貴族に仕えて軍事に従事した人々のこと。

 御家人とは、鎌倉時代、将軍と主従関係を結んだ武士のことである。

 御家人と将軍はご恩と奉公の関係で成り立っていた。

 旗本とは江戸時代、徳川将軍家の頃には登場した一万石以下の武士のことで、将軍との謁見を許されていた。

 江戸時代の御家人は、将軍との謁見を許されず旗本よりも身分が低かった。

 

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