【公害対策基本法とは】簡単にわかりやすく解説!!制定理由や内容・問題点・廃止など

 

公害対策基本法とは、日本の公害問題を知る上で外すことが出来ない法律といえます。

 

現在の日本では環境基本法が公害・自然環境保護について規定していますが、以前は公害対策基本法によって公害問題の規定が行われていました。

 

今回はそんな重要法律である『公害対策基本法』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

公害対策基本法とは?

 

公害対策基本法とは、1967年(昭和42年)に制定された国内初の公害対策を総合的に行うために制定された法律です。

 

戦後の日本は経済的にも興行的にも急成長を遂げましたが、その中で各地で様々な公害が生じるようになりました。

 

特に有名な四大公害病と呼ばれる公害の発生を受け、国民レベルで公害に対しての意識が高まり、政府も無視することが出来なくなったことで制定された法律でした。

 

この法律が制定されるまでの日本では、ばい煙規制法(現在の大気汚染防止法)や水質保全法・工場排水規制法(旧水質2法、現水質汚濁防止法の前身)などにより対応していましたが、公害対策が不十分であったことから制定される事となりました。

 

公害対策基本法は、7種類の公害を対象としたもので国内法としては画期的なものでしたが、制定時には調和条項と呼ばれる経済発展の範囲内で行うものとされたため不十分なものでした。

 

なおこの法律はのちの公害国会などで改正され、1993環境基本法制定時に廃止される事となりました。

 

公害対策基本法の制定理由と背景

 

公害対策基本法の制定理由とその背景は非常に複雑です。

 

その上で知っておくべきことは日本における公害の歴史と、公害というものがどのようなものであるかという事がありまます。

 

①そもそも公害とは何か

公害とは様々な定義がなされていますが、その中でもおおむね一致する内容としては、社会的もしくは経済的に行うための人間の行為によって生じる環境破壊などで、人の健康を妨げるもののことを言います。

 

その中でも特に有名なものに典型の七公害というものがあり、大気汚染・水質汚濁・土壌汚染・騒音・振動・地盤沈下・悪臭がそれらに該当するとされています。

 

この七公害については公害対策基本法も環境基本法も同じとなっています。

 

なお、一般的な公害がこの七つであるというだけで公害と考える物は世の中に数多く存在しており、食品の安全問題や薬害なども含む場合があります。

 

また、東日本大震災で問題となった放射能物質も公害の一種であるといえます。

 

②日本の公害の歴史

日本では明治時代から公害問題が発生していました。その原点ともいうべき事件が足尾銅山鉱毒事件となります。

 

 

代議士田中正造による天皇への直訴が有名な事件ですが、元々はというと、銅山の開発による鉱毒ガスなどの有害物質により公害が発生しているが政府・企業が適切な対応をしなかった事による健康被害が増悪した事がきっかけです。

 

その後も小規模な公害発生は続いていましたが、戦後の高度経済成長期である1950年頃から1970年代にかけて公害が頻発する事となります。

 

その中でも特に著名なのが四大公害病です。

 

③四大公害病と国民感情の変化

四大公害病と呼ばれるものは、熊本の水俣病と新潟の新潟水俣病(第二水俣病)、三重の四日市ぜんそく、そして富山で発生したイタイイタイ病です。

 

✔ 水俣病

チッソ株式会社の工場排水内に含まれていたメチル水銀により水質汚染が起こり、食物連鎖の過程で魚類の中に濃縮し、人や動物への健康被害が生じたため起こりました。

 

1950年代には症状が確認されていたとされますが、企業・政府側の対応により被害が遷延化しただけではなく、その解決にも長い年月がかかった公害として有名です。

✔ 新潟水俣病

水俣病と同じメチル水銀が原因となります。こちらはチッソではなく昭和電工の廃液によって起こりましたが、初めに生じた水俣病でのずさんな対応により工場の運航が停止されなかったことで招いた公害といえます。

 

これらの主な症状としては水銀中毒で手足のしびれや言語障害、意識消失などが起きる事が言われています。

✔ 四日市ぜんそく

三重県四日市市にあるコンビナートから発生した大気汚染とそれによる集団喘息となります。

 

コンビナートの企業は単独ではなく、様々な企業が被告となりました。

 

原因となった物質は硫黄酸化物で、気管支喘息や慢性閉そく性の肺疾患を引き起こし、呼吸困難から亡くなるケースがみられました。

✔ イタイイタイ病

岐阜県の三井金属による未処理の廃水によって神通川下流域の富山県にて発生した公害です。

 

1960年代の公害に含まれていますが、1910年代から公害が発生していたとみられています。

 

これは廃水内に含まれていたカドミウムによる水質汚染が生じ、米などの農作物に蓄積されたものを人が摂取した事で生じたものでした。

 

カドミウムの毒性によって骨の密度が低下し簡単に骨折などをしてしまうだけではなく筋力の低下も生じたので、寝たきりとなる病でした。

 

これらの四大公害病が国内で周知されるにあたり、国民の公害に対する関心が高まりました。

 

 

③政府の対策

公害対策基本法が制定される前の政府は、1962年のばい煙規制法や1958年の水質保全法、工場排水規制法(水質2法)によって対応していました。

 

ばい煙規制法は石炭燃焼による大気汚染には対応できましたが、第三次エネルギー革命の中で石炭から石油に使用するエネルギーが変わる中で、硫黄酸化物の排出基準や自動車の排気ガス規制などが行えていなかったため対応できなくなっていました。

 

また水質保全法・工場排水規制法も法の不十分さがあり、水質汚濁の防止はできず法律として不十分でした。

 

そのため、新たな公害対策の法案が必要となりました。

 

公害対策基本法の内容

 

公害対策基本法は1967(昭和42年)に制定されました。

 

前述のとおり、国内で頻発した公害問題と世論に対応するために作られた法律です。

 

①法律の詳細

公害対策基本法では、公害が前述した七公害(大気汚染・水質汚濁・土壌汚染・騒音・振動・地盤沈下・悪臭)に定義づけられ、また公害に対する事業者・国・地方公共団体の責任が明示されました。

 

そして、住民の公害防止への協力が義務づけられました。

 

そのほかには公害防止のための環境基準の設定、地方公共団体の公害防止計画の作成、公害に関する紛争の処理・被害救済に関する規定がなされました。

 

②問題点

公害対策基本法が制定された段階では、調和条項と呼ばれる物がありました。

 

この当時、公害対策の基本は経済発展との調和を取るべきであり、それを目的として規定すべきだという考えがありました。

 

それに基づき、留意事項として「経済の健全な発展との調和」を図る事を前提とした法律となりました。これは第1条第2項に定められていました。

 

この一文により、公害対策は無制限で行われるものではなく経済発展の中で副次的に行われるという意味が生じ公害対策においても限定的な法律となりました。

 

結局、この調和条項は1970年に行われた法改正により削除される事となります。

 

公害対策基本法制定後の日本

 

公害対策基本法が制定されてからも、公害問題がすぐに終息したわけではありませんでした。

 

1970年には公害国会と呼ばれる公害問題に焦点を置いた臨時国会が開かれます。

 

それにより、公害対策基本法は前述の調和条項削除の改正が行われます。

 

また、公害に関連した法律が制定されただけではなく、水質汚濁防止法の制定や大気汚染防止法の改正など、現在の環境基準の設定に大きく影響した法律が整備されました。

 

さらに公害国会翌年の1971には環境庁が設置されるなど国がようやく公害対策に取り組むようになっていきます。

 

その後様々な環境問題が出現する中で、公害対策基本法だけではすべての問題に対応する事が出来なくなりました。

 

そうして1993環境基本法が制定され、公害対策基本法は統合されて廃止となりました。

 

ただし、環境基本法の公害対策の項目は公害対策基本法の内容が主となっていますので今も生き続けているといえます。

 

 

余談ですが・・・

 

法律制定のきっかけになった四大公害病の補償は、現在でも完全解決には至っていません。

 

1970年代に賠償などが進みましたが、いまだに公害被害者の認定に関して国は非常に厳格となっています。

 

時代もあり実際に疾患にかかったかどうかを判定する事は非常に困難ですが今なお問題となっているのが現状です。

 

 

まとめ

 公害対策基本法は、国内初の公害対策を総合的に行うために制定された法律である。

 公害対策基本法制定の背景には、高度経済成長期に生じた四大公害病を主とする公害問題と国民感情があった。

 公害対策基本法は公害問題の解決という面で画期的な法律であったが、出た当初は調和条項があり、解決は限定的なものであった。

 法律制定後、公害国会により改正が行われただけではなく、日本が公害問題に取り組んでいく事となった

 公害対策基本法は1993年に環境基本法に統合される形で廃止となった。