推古天皇に仕えていた聖徳太子は、政治の才能を発揮して“十七条憲法”や“冠位十二階”を定め、日本の法令や朝廷の組織作りに努めました。
今回はその中のひとつ、日本で最初の階級制度『冠位十二階』について、簡単にわかりやすく解説していきます。
冠位十二階とは?
「冠位十二階」とは、推古天皇が治めていた推古朝の時代の604年に、12段階の階級にそれぞれ色をつけて朝廷内の序列を決めた階級制度のことをいいます。
この冠位十二階は、日本で最初の階級制度と言われています。
当時、初の女性の天皇だった推古天皇を補佐していた聖徳太子や蘇我氏が、高句麗や百済などの制度を参考にして作りました。
(聖徳太子と思われる人物 出典:Wikipedia)
冠位十二階が出されるまでの制度
聖徳太子らが冠位十二階をつくりだすまで、朝廷には「氏姓制度」というものがありました。
氏姓制度とは、朝廷に仕える一族に「氏(うじ)」の名前をつけ、それぞれの一族の身分の高さに応じた「姓(かばね)」の名前を与えるという制度です。
この氏姓制度は世襲制で、一族(氏)に与えられた姓は親から子に引き継がれることになります。
この制度で、天皇が指名できたのはあくまで朝廷に仕える一族です。その一族のなかで、どんな人を朝廷で働かせるのかは、その一族のトップが決めていました。
冠位十二階の目的
①有能な人材を登用
冠位十二階の冠位は、氏姓制度とは違って、個人に与えられるものだったので、親から子へ引き継ぐということはありませんでした。
これまでの氏姓制度だけでは、一族それぞれが個別で天皇に仕えているので、いざ同じ地位の一族同士がチームになったとき、どちらを上司にするか部下にするか、決めるのはとても難しかったのです。
しかし、一族ではなく個人に冠位を授ければ、明らかな上下関係をつくることができます。
そして、たとえ生まれが豪族など、力を持った一族でなくても、能力が高ければたかい冠位を与えることができます。冠位が高ければ、生まれの身分が低くても、冠位が低い生まれた身分が高い人を部下にできるというわけです。
こうして、冠位十二階によって、生まれた身分は関係なく、能力が高い人が登用されるようにしたのです。
②外交目的
(5世紀終わり頃の朝鮮半島 出典:Wikipedia)
この頃、日本は現在の朝鮮半島にあった高句麗・新羅・百済や中国の隋と外交をしていました。高句麗・新羅・百済や隋には、冠位十二階と同じような、朝廷で働く人たち(官人)に階級を与える制度がすでにありました。
外国から使者がやってきたとき、どれくらいの地位をもった人が応接をするかというのは、とても気になるところです。地位が高い人が応接すれば、それだけ重要な外交相手として認められていると分かるからです。
そして、日本にも高句麗・新羅・百済や隋に負けない、きちんとした階級制度があるということも示さなくてはいけませんでした。
600年に第一回の遣隋使が派遣されたあとに冠位十二階が制定された可能性が高いといわれています。
そして、冠位十二階で役人の階級を定めてから、再び遣隋使として小野妹子が隋に派遣されました。遣隋使で有名な小野妹子は、冠位十二階によって大出世をした人物としても有名です。
冠位十二階の内容
①五行思想
冠位十二階の冠位は、上から「大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智」の12段階にわかれています。
「徳・仁・礼・信・義・智」を大小ふたつで分けた形になるわけですが、このうちの徳を除いた「仁・礼・信・義・智」の五つは、儒教で説かれた五つの徳目……つまり五常というものです。
五常
✔ 「仁」・・・人を思いやること。
✔ 「義」・・・欲に囚われず為すべきことをする正義のこと。
✔ 「礼」・・・人を思いやって具体的に行動すること
✔ 「智」・・・知識が豊富な人のこと。
✔ 「信」・・・友情に厚く、誠実であること。
このように、それぞれに意味があるわけですが、本来儒教の徳目である五常は、「仁・義・礼・智・信」の順番です。冠位十二階の「仁・礼・信・義・智」という順番は、あまり見られません。
ではなぜ、「仁・礼・信・義・智」という順番になったのか。それは、古代中国で生まれた自然哲学の「五行思想」という思想に対応させたものだからです。
五行思想とは、宇宙に存在するすべてのものは木・火・土・金・水の5種類の元素から成っているという考え方です。
木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生み……というような関係を、五行思想のうちの五行相生といいます。
(五行相生 出典:Wikipedia)
この「木・火・土・金・水」の五行は、方角や色など、あらゆるものに割り当てられています。儒教の徳目を五行相生の順番で対応させると、「仁・義・礼・智・信」は「仁・礼・信・義・智」という順番になります。
そして、一番上の位である「徳」は、五行思想とはべつの考えです。『聖徳太子伝暦』という書物によると、徳は「仁・礼・信・義・智」の五つを合わせたものの最も上にあるものと説いたという説があります。
「仁・礼・信・義・智」の上に「徳」を置くという考えについては、日本独自の考えだとする説と、中国の道教から影響されたという説にわかれています。
このように、日本で行われた冠位十二階という制度ですが、その思想は中国の色がとても濃いものであったとわかります。
②色の順番
(最も有力な五行五色説 出典:Wikipedia)
冠位十二階では、それぞれの冠位に色が割り当てられます。
頭に被る絹の布の一種でできた冠の色は、位によってちがいますが、実は『日本書紀』などの史料には、どこにもどの位が何の色になるか、というのが書かれていないのです。
そのため、五行思想の五行五色説というのが、最も有力ではないかと考えられています。
五行五色説では・・・
仁 — 青
礼 — 赤
信 — 黄
義 — 白
智 — 黒
というように色が分かれています。江戸時代の国学者、谷川士清が冠位の大小に応じて、色にも濃淡をつけました。
しかし、五行五色説では疑問が残る点もあります。義に割り当てられた白という色は、古代日本では貴重な色とされていました。
記録に残っている限りだと、701年の大宝律令のときには、白は天皇だけが着られる着物の色として定められていました。
冠位十二階が定められたときに、白がどのような色として扱われていたかは不明ですが、義(大義・小義)のような低い階級の色として扱われていたか、未だ疑問が残っています。
最高位の徳の色については、五行五色説に当てはめることができません。しかし、蘇我蝦夷が息子の蘇我入鹿に紫色の冠を授けたという話が残っています。
蘇我蝦夷と入鹿は最も位が高い大徳だったと考えられているので、徳の色は紫だっただろうと考えられています。また、隋(当時の中国)の制度でも高い身分には紫が使われていたことなどもあり、徳は紫という説はとても根強いです。
いろいろな説がありますが、最も有力な冠位十二階の冠位の色は以下の12色です。
高い 大徳 — 濃紫
↓ 小徳 — 薄紫
↓ 大仁 — 濃青
↓ 小仁 — 薄青
↓ 大礼 — 濃赤
↓ 小礼 — 薄赤
↓ 大信 — 濃黄
↓ 小信 — 薄黄
↓ 大義 — 薄白
↓ 小義 — 薄白
↓ 大智 — 濃黒
低い 小智 — 薄黒
まとめ
・推古朝の時代、12段階の階級にそれぞれ色をつけて、朝廷内の序列を決めた階級制度のことを「冠位十二階」という。
・朝廷に仕える一族に「氏(うじ)」の名前をつけ、それぞれの一族の身分の高さに応じた「姓(かばね)」の名前を与えるという世襲制の氏姓制度があった。
・冠位十二階によって、生まれた身分は関係なく、能力が高い人が登用されるようにするという目的があった。
・高句麗・新羅・百済や隋などから使者がやってきたときなどのために、日本にもきちんとした階級制度があるということも示さなくてはいけなかった。
・冠位十二階の冠位は、中国の五行思想の強い影響を受けている。
・冠位十二階の冠の色は、五行思想の五行五色説が最も有力だとされている。