お茶の歴史はとっても古く、お茶を飲み物として楽しむ喫茶文化の始まりは、中国の唐の時代にまでさかのぼります。

 

そして喫茶は、唐の習慣の一つとして確立され、後に遣唐使を通じて、日本へ伝わることとなります。

 

特に室町時代以降、武家を中心に巻き起こった喫茶ブームは長く続き、武家の人だけでなく、広く一般市民の日々の習慣の中にも入り込んでいくのです。

 

そして、茶の湯というのは、当時のスタイルと現代のスタイルでは、だいぶ異なっているんです。

 

今回は、お茶の文化の中でも『当時の茶の湯とわび茶の違い』について、まとめていきたいと思います。

 

茶の湯とわび茶の違い

 

最初に、茶の湯とわび茶の違いについてまとめていきます。

 

結論から言うと、茶の湯は、大勢の人と一緒にお茶の産地や茶器を自慢する闘茶というお茶を楽しむお茶会のことを指し、わび茶は少ない人数で愉しむ茶会に、禅の心を取り入れたものになります。

 

具体的には以下のような違いがあります。

 

〇お茶の楽しみ方が違う

茶の湯・・・単なる娯楽という面があり、茶器やお茶の産地を競い合っていた

わび茶・・・茶の湯に禅の精神面を取り入れたもの

〇お茶会を開く場所が違う

茶の湯・・・大広間で行われる

わび茶・・・四畳半で区切った場所で少人数により執り行われる

〇お茶の席での価値観が違う

茶の湯・・・お湯を沸かし、抹茶を用いてお茶をたて、客人に振る舞う行動や芸道

わび茶・・・茶の湯の中でも、主人と客人との精神的交流を重んじる

〇お茶会のしつらえが違う

・茶の湯(当時)・・・豪華絢爛の傾向

・わび茶・・・無駄をそぎ落とし、質素である

 

それでは詳しく見ていきましょう。

 

茶の湯について詳しく解説!

(茶を点てる様子 出典:Wikipedia

 

 

茶の湯は「茶道」とも言われており、お茶会を開催する主人が客人に対してお抹茶を点て、客人は主人のおもてなしを受けて、亭主が点てたお茶を飲む、という一連の動作や芸道のことを指します。

 

当初は、お茶を飲んだことで健康を取り戻した鎌倉幕府三代将軍・源実朝の一件が世間に広まり、お茶が大流行。禅寺だけでなく、家や武家にも広まったことから始まります。

 

しかし、ただお茶を入れて楽しむだけではありません。

 

お茶を点てるのに使う茶道具やお茶室に飾る美術品、茶器をはじめ、茶室や庭などの空間から、お茶会ごとに出てくる会席料理や和菓子などの食。

 

さらには、生きていく上での目的や考え方など広い分野にわたって様々な文化が加わって発展したものと言えます。

 

①茶の湯には作法がある

茶の湯には、お作法として決まった動作があります。

 

  • お茶の点て方(点前/てまえ)
  • いただき方
  • 座り方
  • 礼(お辞儀)の仕方
  • 立ち方
  • 歩き方

     

    この作法は、主人が客人をもてなし、お茶をおいしく差し上げるため、そして客人が主人のもてなしを受け、お茶を美味しく頂くものとして確立していきました。

     

    ②お茶会を通して心を通わせる

    茶の湯ではお茶会を通して、

     

    主人は「相手を思いやること」「相手に喜んでもらえるように行動すること」

    客人は「相手の思いやりを察すること」「感謝すること」

     

    これらをお茶を通して、学んだり、感じたりしています。

     

    ③当初の茶の湯は大人数で行われていた

    室町時代では、「闘茶」と呼ばれる、利き茶みたいな遊びが流行っていました。

     

    現在の私たちが考えるような、しっとりとしたお茶会ではなく、大人数でワイワイとお茶を楽しんでいたんだとか…。

     

    お茶会というよりは、お茶宴会に近かったのでしょう。

     

    ④しつらえはだんだんゴージャスになっていった

    しかし、「闘茶」を楽しむ武家や公家の人たちは、次第にお茶そのものを楽しむより、茶室の豪華な飾り付けや茶器を競い合うようになりました。

     

    仕舞いには、お茶の後に大宴会なんてこともあったんだとか。

     

    豪華で高級な茶器を使うことが、彼らの中では自分の権力を象徴し、彼らの中でブームとなっていた様です。

     

    わび茶について詳しく解説!

     

    一方、わび茶と言うのは、15世紀後半に僧侶の村田珠光が編み出したお茶の世界に核心を起こした茶の楽しみ方です。

     

    前述の通り、室町時代の茶は、「闘茶」という遊びが流行し、ゴージャスなしつらえや茶器自慢、果ては茶の湯の後の大宴会をするようなこともあった場でした。

     

    そのような豪華絢爛だった茶の湯に、禅の精神面や質素さを取り入れたのが、村田珠光であり、わび茶なのです。

     

    そこから武野紹鴎(たけのじょうおう)、そしてその弟子の千利休によって、わび茶は確立されていくのです。

     

    ①不足の美によって精神面を説いた村田珠光

    村田珠光は、当時の茶会における茶器自慢や高級な茶器を集めて行われる茶の湯の風潮を戒めました。

     

    「高価・名器じゃなくても普段使いの茶碗や、欠けているものでも、双方が心で補って満たせばよい」というのが、わびの考えであり、これがわび茶の「わび」の部分にあたります。

     

    しかし、大名などの間では、どうしても茶の湯は豪華絢爛さという傾向にありました。

     

    このことから、村田珠光の「不足の美スタイル」とでは、真っ向から対立する形を作ったこととなります。

     

    ②禅の思想を入れ込んだ「茶禅一味」で生まれた四畳半の間取りと少人数制

    村田珠光の没後に生まれた武野紹鴎は、村田珠光の茶の湯の質素化精神に賛同し、茶禅一味というスタイルを確立していきます。

     

    禅の思想には「必要ないものをそぎ落として表現する」というものがあります。

     

    武野紹鴎はこの思想を用い、普段使いの茶碗を茶の湯に使い、大部屋で開かれていた茶会を屏風で区切って4畳半の間で開くようにしました。

     

    これにより、茶席は誰でも楽しめる空間でありながら、洗練された場でもあるという、特異な場所となっていき、これが後に商人や戦国大名へと支持を集めていきます。

     

    ③おもてなしを確立した千利休

    千利休は、この二人の教えに「おもてなし」の心を付け加えました。

     

    茶室のしつらえは、余計なものをそぎ落として表現し、客人が満足するような心のこもったおもてなしをするというのが、利休の提言したわび茶の精神です。

     

    これが後に多くの人に師事されていきます。そして次第に戦国大名のたしなみとなり、多くの戦国大名が利休の元を訪ね、中には大名茶人という人物達まで現れました。

     

    まとめ

     お茶の楽しみ方が異なり、茶の湯は単なる娯楽で、茶器やお茶の産地を競い合いだいぶ派手だったが、わび茶は禅の精神面を取り入れたものである。

     お茶会を開く場所が異なり、茶の湯は大広間で行われたが、わび茶は四畳半の間取りで執り行われ、わざわざ大広間を屏風で四畳半に区切っていた。

     お茶の席に対する価値観が異なり、茶の湯はお湯を沸かし、抹茶を用いてお茶をたて、客人に振る舞う芸道だが、わび茶は茶の湯の中でも特に、主人と客人との精神的交流を重んじ、質素な中でお茶を楽しんでいる。

     お茶会のしつらえが違い、当時の茶の湯は豪華絢爛の傾向だったが、わび茶では無駄をそぎ落とし、質素であった。

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