江戸時代、当時の町の治安を守っていた「同心」と「与力」。
江戸時代を舞台に取り上げたテレビやドラマには、よく「同心(どうしん)」や「与力(よりき)」というワードが偶に出てきます。
ですが、ただ見ているだけの私たちからしたら、どっちがどっちで、何が違うのか、全くわからないですよね。
大河ドラマを見るたびに、説明がないからいつも頭がこんがるし、教科書にもあまり取り上げられていないし、どうしても情報量が少ない分野でもあるかと思います。
そこで今回は、同心と与力の違いについて、意味や身分・人数などといった部分を中心に、簡単にわかりやすくご紹介していきます
目次
同心と与力の違い
同心と与力はどちらも今でいう警察官のような存在です。
- 同心・・・江戸幕府の役人のひとつで、南町奉行所などといった町奉行所をはじめ、京都所司代や上代、大番頭、書院番頭、火付盗賊改方などに所属する、役人のこと。
- 与力・・・同心と一緒に奉行所等に配属され、上官である奉行の配下として働いている役職のこと。
では、これら同心と与力はどのような違いがあるのでしょうか?
それぞれについて簡単にまとめてみましたのでご覧ください。
それぞれの違い
✔ 語源が違う
同心・・・「一致団結」が由来
与力・・・中級武士が、裕福な武士の指揮下に入ることから由来
✔ 仕事内容が違う
同心・・・庶務や見回りといった警備の仕事
与力・・・奉行に仕える補佐役
✔ 身分が違う
同心・・・与力が上司、岡っ引きを雇っている
与力・・・同心を部下に持つ
✔ 働き方が違う
同心・・・どちらかというと現場
与力・・・現場に赴くことは少ない
✔ 馬に乗れるか乗れないか
同心・・・馬に乗れない
与力・・・馬に乗れる
✔ 給料が違う
同心・・・給料は安い(30俵)
与力・・・給料は高く、御家人の最上級クラス(200俵)
ここまではそれぞれの違いについて要点だけをお伝えしました。
これだけでは少々理解しにくいかもしれませんので、ここからはさらに「同心」「与力」について詳しく解説していきます。
同心について詳しく解説!
同心とは、江戸幕府の役人のひとつで、南町奉行所などといった町奉行所をはじめ、京都所司代や上代、大番頭、書院番頭、火付盗賊改方などに所属する、役人のことを指します。
大河ドラマ「八丁堀の七人」に登場した片岡鶴太郎さんが演じていた役・仏田八兵衛も同心です。
幕府のいわゆる役所に務める同心は、○○同心というような呼び方をされていて、町奉行の同心の場合は、町同心と呼ばれていました。
①同心の意味は○○からきていた!
同心は、もともと中世後期の日本で使われていた「一致団結」が由来で、「一味」や「一揆」と同義語なんです!
ここに端を発して、戦国時代に入ると下級武士のことを「同心」と呼ぶようになり、そのまま江戸幕府でも採用された、というわけです。
②同心の仕事
同心の主な仕事は、所属する場所での庶務や、身分を隠していろいろなところへ見回りをするなどといった警備活動にあたっていました。
もちろん、同心はその中でも様々な部署に振り分けられていたため、仕事の内容は配属先によって異なる、といった感じです。
大河ドラマ「大江戸捜査網」に出てくる隠密同心も、同心職のひとつです。
(1)町奉行所の同心の仕事が激務だった⁉
いわゆる警察的な業務に当たっていたのは、南町・北町奉行所にいた定廻り同心(じょうまわりどうしん)という役目の同心達でした。
彼らは、巡回や犯罪の捜査や逮捕を担当していたのですが、その人数はなんと12名ほど!
さらに、臨時廻り同心も含めると、それでも24名という少人数で江戸を守っていたんだとか。
(2)同心には部下がいた
そんな激務な町奉行所の同心には、彼らを助けるための部下的存在がいました。それが岡っ引きです。
岡っ引きとは御用聞きとも言い、彼らは私的に犯罪捜査や犯罪者の逮捕を助けた人物でした。
なんと同心はポケットマネーで岡っ引きを雇って、共に仕事を行っていたんだとか。
岡っ引きの下にも、下っ引きという末端がいて、彼らが同心の仕事を一緒に助けていた、といってもいいくらいです。
③同心の服装は町人スタイル
特に警備業務を司る廻り方同心は、江戸の町民文化として当時大流行していた”粋な身なり”が人気を博していた様です。
というのも、前述の通り、町を警備するにあたって、身分を隠す必要があったためです。
粋な身なりをすれば、町人になんなく紛れ込めるというわけです。
今でいうところの、私服警察官に似ていますね。
④同心は副業をしていた
同心は、身体を張っているのに平均的な俸禄は30俵と言われています。
しかし、同心のバックには諸大名や町家からの付け届けがあるケースもあり、実際よりも多くの収入を得ていたとされています。
大河ドラマ「八丁堀の七人」を見ても、納得のケースですよね。
さらに、人によっては家賃収入を得る者もいたので、蔑まれるような仕事であった同心職でも、生活はそこまで苦しくはなかったようです。
与力について詳しく解説!
一方の与力は、同心と一緒に奉行所等に配属され、上官である奉行の配下として働いている役職を言います。
そのため、与力のほうが同心よりも身分の高い役職であり、同心と同じく公務員である、というわけです。
与力は馬に乗ることが出来た身分でもあります。いわゆる、分隊長であり、見届け役ですね。
①与力の語源
与力は、江戸時代よりも前は足軽大将などといったいわゆる中級武士たちが、俸禄の高く裕福な武士の指揮下に入る、という意味で使用されていました。
②与力の仕事
与力の仕事は、前述の通り上官である奉行達の補佐がメイン。
そのため、行政や司法、警備の仕事に当たっていました。
与力は、その部署によって様々な仕事をこなしていました。
例えば、役所の予算や同心の任免等を担当する「年番方」、取り調べを行って判決を下す「吟味方」などといった重要なものです。
このように、行政上のいろんな仕事をしていたこともあって、給料は同心よりも高かったのです。
③与力と同心は上司と部下の関係
与力の下には、複数の同心がいました。
この関係性は、大河ドラマの「八丁堀の七人」を見ればわかりやすいのですが、片岡鶴太郎演じる仏田八兵衛の上司、村上弘明演じる青山久藏と同じ身分となります。
④与力は御家人クラス!いい暮らしをしていた⁉
与力はその身分から、組屋敷が与えられたり、何かもめごと等があったときに便宜を図ってくれるように譜代大名家や町家などからの付け届けがあったことから、裕福であることが多かったそうです。
なんと、下級武士を凌ぎ、御家人クラスの俸禄だったとか!
また、髪結いが与力の家に訪れて、独特の髷(まげ)を結ったりと、なかなかいい暮らしをしていたようです。
与力の服装は、同心と同じく”粋な身なり”が人気だったそうで、与力・力士・火消の頭は『江戸の三男』というもてる男の枠にあったようです。
しかし、そんないい暮らしや待遇、役職を与えられた与力でも、江戸城への登場は許されませんでした。
⑤江戸とは違う⁉大坂の与力
大坂の与力は、どうやら江戸と様子が違うようです。
江戸の与力は、南町と北町奉行所に、それぞれ25名配属されていました。正式には、馬に乗れる役職ということから、25騎といいます。
ですが、大坂はその数を上回り30騎の配属となっています。
その代わり、江戸の町とは違って寺社奉行や火付盗賊改方が存在しませんでした。
町奉行が一手を担う大坂も、なかなかハードな職場環境ですね。
まとめ
✔ 与力と同心は「語源」が異なる。
同心は「一致団結」が由来だが、与力は中級武士が、裕福な武士の指揮下に入ることが由来となっている。
✔ 与力と同心は「仕事内容」が異なる。
同心は庶務や見回りといった警備の仕事にあたっていたが、与力は奉行に仕える補佐役だった。
✔ 与力と同心は「身分」が異なる。
同心は与力が上司であり、同心はさらに岡っ引きを雇っている。与力は複数の同心を部下に持っていた。
✔ 与力と同心は「働き方」が異なる。
同心はどちらかというと現場寄りだが、与力は現場に赴くことは少なく、見守り役としての立場が多い
✔ 与力と同心は「給料」が異なる。
同心の俸禄は30俵、与力の俸禄は200俵。これは御家人のなかでも最上級だった