【市制・町村制とは】わかりやすく解説!!条文の内容や目的・理由などについて

 

今でも市なんてのは自分が住んでいる場所ですので身近にあるものだと思います。

 

実はこの市というのは明治時代に使われ始めたもので、その以前は市というものはありませんでした。

 

今回は、地方制度の確立のために作られた『市制・町村制』について、わかりやすく解説していきます。

 

市制・町村制とは

(山県有朋 出典:Wikipedia

 

 

市制・町村制とは、1888年(明治21年)に作られた地方の地域を分ける法律のことです。

 

この法律は第3代首相の山縣有朋とお雇い外国人として日本に来ていたモッセという人がドイツの地方制度を真似して作ったものでした。

 

(1900年頃 ドイツの法律家 アルベルト・モッセ 出典:Wikipedia

 

 

これによって地方の制度も作られるようになり、日本は中央集権国家として新たな道を歩むきっかけとなりました。

 

ちなみに今の日本はどちらかというと地方分権となっております。

 

その訳はおいおい説明していきます。

 

それ以前の日本の地域区分

 

 

明治時代以前では都道府県や市なんてのはなく、代わりに国と郡というものを使って表していました。

 

国は今でいう都道府県みたいなものです。今でも伊勢エビや加賀友禅とか阿波おどりなどで使われていますよね。

 

郡は国の下に作られた今でいう市みたいなものです

 

さらに国の上にはそれをひとまとめするために五畿七道というものがありました。

 

これは今でいうところの〇〇地方という意味です。今でも東海道新幹線や北陸新幹線、南海鉄道や近畿地方になごりがあります。

 

北海道という名前はここからとられて作られました。

 

このように日本にはしっかりとした地域区分がありましたが、江戸時代にはなると新たに藩というものができてこの国や五畿七道なんかは影が薄くなっていました。

 

地方三新法

日本は地方制度を整えるために新たに3つの法律を作りました。

 

①郡区町村編制法

1871年に廃藩置県が行われ藩がなくなり、新たに県が置かれることになりました。

 

これを受けて1878年に政府から郡区町村編制法という法律が出されました。

 

 

これは地域区分を昔あった群と町村で分けるというものです。

 

しかし、この時にはまだ市はなく郡というところが市みたいにあって、札幌や名古屋や横浜みたいに人がたくさん住んでおり、とても大切な場所は区、東京や大阪や京都みたいな三都と呼ばれているところは複数の区で分かれていました。

 

これは今でいうところの政令指定都市の区みたいなものですね。

 

②府県会規則

これは郡区町村編制法と同じく1878年に作られた法律です。

 

今でいうところの県議会みたいなもので、日本で初めて作られた議会制度です。(日本の国会ができたのはこれから10年後のこと)

 

しかし、残念ながら権力は弱いものでした。

 

③地方税規則

これは前の2つの法律と同じく1878年に作られた法律です。

 

名前の通り地方税の規則を決めたもので今の地方税の基礎を作りました。

 

この3つの法律は全て地方に関する法律でしたが全てバラバラなものでした。

 

市制・町村制の内容

①市制

市制は地方三新法の代わりに1888年に作られた法律です。

 

ここでついに日本で初めて市が作られました。

 

市制では市ごとに市議会という感じで議会を開いて市で政治ができるようになりました。

 

市の基準は2万5千人という形で決まっていましたが、この当時このボーダーに届いている地域は少なくさらにいろいろ大人の事情(戊辰戦争の時幕府側についていた)などで市になれないところもありました。

 

そのため、始まった当初は市は36都市しかありませんでした。

 

さらに、議会の議長となる市長は国の内務大臣が選ぶ仕組みとなっており、さらに市議会議員も誰でもなれるわけではなく高額の納税者しかなれませんでした。

 

このようにしたワケとして、政府は元々天皇中心の中央集権国家を目指していたという理由がありました。

 

そのため議長となる市長を国が決めていたのです。

 

②町村制

町村制とは郡区町村編制法の時の町や村に新たに作られた法律です。

 

町村制では市制と同じような議会である町村会が作られて町や村で政治ができるようになりました。

 

ちなみに町長や村長はあまり権力はなくいわゆる名誉職みたいなものでした。

 

町はこの時では1万5千ぐらいあってかなりバラバラてましたが徐々に合併していくことになります。

 

市制が施行されなかった地域

 

 

市制・町村制ができたことによって日本中で広まりましたが、一部の地域では市制・町村制が施行されていないところもありました。

 

①北海道の場合

北海道ではまだ開拓途中なので市制・町村制とするのはまだ早いという意見があり、とりあえず今は町として発展しているところと発展していないところを分けようと北海道区制北海道一級・二級町村制という法律ができました。

 

この法律は市制や町村制みたいなものでしたが、権利が市制よりもだいぶ制限されていました。

 

しかし、開拓がかなり進んだ1923年に北海道でも市制・町村制が施行されてこの2つの法律は廃止となりました。

 

②島の場合

沖縄や対馬や隠岐のような離島は県や府などが直接政治するという仕組みが取り入れられて市制・町村制からは除外されていました。

 

そのかわり離島には島嶼町村制(とうしょちょうそんせい)というの別の法律が定まりますがこちらもかなり普通の町村よりも制限がかかったものでした。

 

しかし、1904年に隠岐で島根県隠岐国に於ける町村の制度に関する件という法律ができてさらに1919年には長崎県対馬国及島根県隠岐国に於ける町村制度に関する件によって、この離島らは町村制と同じようなシステムとなりました。

 

市制が出された後の郡

1890年に郡制が出されて郡も市制みたいに議会を持つことができました。

 

郡は県としては小さく、市としてはデカすぎるいわゆる中途半端なところに置かれました。

 

イメージとしては県があってその中に2,3個の郡がありその下にたくさんの市や町があるという感じです。

 

しかし、郡会の選び方は3分の2が町村会から選び出された議員、残りの3分の1が影響力がある地元の人が選ばれていました。

 

ただ、あまりにも制度が複雑だったため1921年に廃止となりました。

 

しかし、今でもその名残として郡が存在しているところがあります。

 

まとめ

・市制や町村制は市町村ごとに議会を開かせるようにした法律のこと。

・市長は国が決めており日本は中央集権国家になっていった。

・北海道や離島などは市制や町村制は最初の頃は施行されなかった。