【歌舞伎の歴史】簡単にわかりやすく解説!!誕生の背景・歴史・代表的な役者など

 

日本を代表する伝統芸能のひとつである歌舞伎。

 

現代でも歌舞伎役者の市川海老蔵さんなんかはとても人気がありますよね。

 

しかし、その始まりや歴史について、「なんとなくイメージはあるけれど、いまいち知識が整理できていない…」という方も多いのではないでしょうか?

 

今回の記事では歌舞伎の始まり・どのように発達してきたのか・江戸幕府との関わり・代表的な歌舞伎役者…などについて、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。

 

歌舞伎の歴史の大まかな流れ

(明治28年、東京歌舞伎座上演の様子 出典:Wikipedia

 

 

まず受験日本史における歌舞伎の歴史についてざっくりと説明します。

 

17世紀初めに出雲阿国(いずものおくに)という女性が①「阿国歌舞伎(おくにかぶき)」を始めました。

 

これ以降江戸時代の初め頃まで、女性を担い手とする②「女歌舞伎(おんなかぶき)」の時代が続きます。

 

その後女歌舞伎は幕府による統制を受け、元服前の美少年(若衆)を担い手とする③「若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)」に取って代わりますが、これも17世紀中盤には禁止されてしまいます。

 

その後、④「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」といって、男性が男性役として俳優を務め、必要に応じて男として女役も演じるようになります。内容も舞踏中心のものから演劇中心のものへ変化してゆき、劇場芸術として大成されます。

 

江戸時代後期にはその人気は人形浄瑠璃をしのぎ全盛期を迎えました。

 

元禄期以降、歌舞伎の人気は低迷しますが、⑤化政期になると生世話物(恋愛・心中・殺人・怪談などを扱い、とくに写実性の高いどぎついストーリーのもの)、幕末には白浪物(盗賊について扱ったもの)といった新しいジャンルの脚本で再び人気を博しました。

 

歌舞伎の歴史についてだいたいの流れはつかめたでしょうか?

 

時代に合わせて変化していった歌舞伎のそれぞれについて、以降で詳しく説明していきます。

 

歌舞伎の始まり-出雲阿国・阿国歌舞伎(17世紀初頭:桃山期~江戸時代初頭)

(女性芸能者 出雲阿国 出典:Wikipedia

 

 

17世紀初頭に、出雲大社の巫女出身であったと言われた出雲阿国が京都で始めたかぶき踊りのことを「阿国歌舞伎」と呼びます。

 

ここで「そもそもかぶき踊りってなに?」という人がいるかもしれませんね。

 

江戸時代初期に登場した、異様な風体や振る舞いをする人々のことを「傾奇者(かぶきもの)」と呼んでいたのですが、「かぶき踊り」とは、このような傾奇者がする踊りという意味です。

 

出雲阿国はこのかぶき踊りに能・狂言や当時流行していた念仏踊りも取り入れ、結果阿国歌舞伎は人々からもてはやされ、大ヒットしていきます。

 

女歌舞伎(~1629年:秀忠期~家光期)

出雲阿国以来、女性の舞踊を中心に発展していったのが「女歌舞伎」です。

 

しかし、その担い手の多くが遊女であったため、風紀を乱すということで幕府により禁止されてしまいます。

 

 

若衆歌舞伎(~1652年:家光期)

女歌舞伎の禁止を受けて、女優の代わりにまだ元服前の美少年の若衆が担い手となっていきます。

 

これを「若衆歌舞伎」と呼びます。

 

この若衆歌舞伎は寛永期に流行しましたが、またしても幕府から風紀を乱すとして禁止されてしまいます。

 

野郎歌舞伎(1660年代~18世紀初期:家綱期~綱吉期)

(嘉永2年(1849年)7月の江戸中村座 出典:Wikipedia

 

 

いわゆる「元禄期」にあたります。

 

この時代には女歌舞伎に引き続き若衆歌舞伎までもが禁止され、そこで始まったのが「野郎歌舞伎」です。

 

これは、男性の歌舞伎役者が、前髪を大胆に剃り上げた、どこからどう見ても男性であるとわかる恰好(野郎頭、とも言います)で演じる歌舞伎のことです。

 

内容に関しては、それまでの歌舞伎はどちらかといえば演劇よりも舞踏がメインでしたが、野郎歌舞伎以降は演劇中心のものに変わってゆき、舞台芸術としての大成をみます。

 

野郎歌舞伎には代表的な役者が3人いるので、以下で説明します。

一人目

元禄期には、上方に和事(色男を優美に演出するようなスタイルの歌舞伎)の名手として初代坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)が登場します。坂田藤十郎は、近松門左衛門の脚本を得て活躍しました。

二人目

坂田藤十郎にやや遅れて、同じく上方で女形(おやま)の名手芳沢あやめ(よしざわあやめ)が人気を博します。女形とは歌舞伎における女性の役を演じる俳優のことを指します。

 

この項の最初のほうで説明したように、野郎歌舞伎は若衆歌舞伎までの歌舞伎とは異なり、あくまで演じ手が男性であることをアピールしつつ演じられるものでした。

 

そうした制約の中で、男であることを忘れさせずに女らしさを表現することはとても難しく、芳沢あやめは女形として大変な苦労をして、女形芸を大成させたのです。

 

彼は遊女の役が得意だったと言われています。 

三人目

一方江戸では、荒事(勇猛な立ち廻りの、男らしく荒々しい、格好いいスタイルの歌舞伎)の名手として初代市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)が登場します。
市川団十郎は、浄瑠璃の金平物(きんぴらもの…坂田金時などの武勇伝を描いた脚本)からヒントを得て、このような荒事を大成したと言われています。

 

以上の三人、坂田藤十郎(上方・和事)、芳沢あやめ(上方・女形)、市川団十郎(江戸・荒事)は、いずれも代表的な歌舞伎役者です。

 

三人の活躍した場所、得意としたジャンルなど、きちんと理解できたでしょうか?

 

入試で問われることも多いので、しっかりと整理して覚えておきましょう!

 

このようにして元禄期に歌舞伎は舞台芸術として大成し、江戸時代後期にはその人気は人形浄瑠璃をしのぎ、全盛期を迎えたのです。

 

化政期以降の歌舞伎

(鶴屋南北の代表作『東海道四谷怪談』 出典:Wikipedia

 

 

元禄期以降、歌舞伎は低迷をみせますが、化政期になって脚本家の鶴屋南北生世話物(恋愛・心中・殺人・怪談などを扱い、とくに写実性の高い、どぎついストーリーのもの)という新しいジャンルの脚本で人気を博します。

 

鶴屋南北の代表的な作品に『東海道四谷怪談』があります。

 

有名なのでしっかり覚えておきましょう!

 

幕末には脚本家の河竹黙阿弥白浪物(盗賊について扱ったもの)で人気を博しました。

 

まとめ

 歌舞伎の変遷…阿国歌舞伎→女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎。

 代表的な歌舞伎役者…①坂田藤十郎(上方・和事)、②芳沢あやめ(上方・女形)、③市川団十郎(江戸・荒事)。

 元禄期より後の歌舞伎…化政期は生世話物、鶴屋南北、『東海道四谷怪談』、幕末は白浪物、河竹黙阿弥。