明治維新がなされた後、江戸幕府に変わって新たに日本の政治をすることになりました。
そして、薩摩藩と長州藩を中心とする明治新政府は、これからの方針を書いた五箇条の御誓文を発表します。
しかし、その1日後に新たに日本国民向けの発表がありました。
この発表を五榜の掲示と言います。
今回は、五箇条の御誓文とよく間違えやすい『五榜の掲示』についてわかりやすく解説していきます。
五榜の掲示とは
(五榜の掲示 画像引用元)
五榜の掲示とは、1868年(慶応4年)に明治新政府によって発表された国民に対しての決まりごとのことです。
五榜の掲示の『榜』とはよく時代劇で見るいろんな決まりごとが書かれた立て札のことです。
その名の通り五榜の掲示は立札によって国民に対して伝えられました。
五榜の掲示の目的
(ええじゃないかと騒ぐ人々 出典:Wikipedia)
江戸幕府から明治時代に変わる頃日本では物価の上昇によって起こった世直し一揆やええじゃないかによって日本は大混乱状態でした。
そこで、明治新政府は新政府のこれからの方針と合わせて国民に対して決まりごとを示して国民に決まりごとを守る意識を持ってもらおうとしました。
しかし、五榜の掲示が出された頃はまだ戊辰戦争の途中で、奥羽越列藩同盟などの新政府に反抗していた地域では出されませんでした。
五榜の掲示の内容
五榜の掲示は名前の通り五つありました。
そこで今回は元の原文を合わせて説明していきます。
第一札
人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスヘキ事
一 鰥寡孤獨癈疾ノモノヲ憫ムヘキ事
一 人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ惡業アル間敷事(Wikipediaより引用)
これは五輪の道徳を守るという内容です。
五輪とは君主、父子、長幼、夫婦、朋友のことで古来の中国の思想である儒教の考えです。
ここでは人を殺したり、物を奪い取るのはダメということや、父や君主を大切にしなさいと書いています。
第二札
何事ニ由ラス宜シカラサル事ニ大勢申合セ候ヲ徒黨ト唱ヘ徒黨シテ強テ願ヒ事企ルヲ強訴トイヒ或ハ申合セ居町居村ヲ立退キ候ヲ逃散ト申ス堅ク御法度タリ若右類ノ儀之レアラハ早々其筋ノ役所ヘ申出ヘシ御褒美下サルヘク事
(Wikipediaより引用)
これはグループを作って政府に対して反抗したり犯罪してはいけないという内容です。
上にも書いた通りこの頃日本では世直し一揆やええじゃないかなどが起こっていました。
そこで、明治新政府はこれ以上国内が混乱しないようにグループを作って政府に対して抗議することを禁止して、もしそんなことが起こった場合それを通報した人にはご褒美をあげるなどさまざまな処置をとっていました。
第三札
切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ若不審ナル者有之ハ其筋之役所ヘ可申出御褒美可被下事
(Wikipediaより引用)
これはキリスト教を信仰することを禁止する内容です。
キリスト教は江戸時代から続いてきましたが明治時代になってもキリスト教は日本にとって悪い宗教だと思われていたので禁止されました。
これも第2札のようにもしキリスト教を信仰している人を見つけたら政府に報告するとご褒美がもらえました。
しかし、キリスト教を信仰することをいまだに禁止していることはキリスト教をすごく信仰している欧米諸国から『キリスト教を禁止するのはすごく時代遅れですよ』とブーイングを言われていました。
そんなこともあり結局、第三札は廃止され、キリスト教は1893年に信仰できるようになりました。
第四札
今般 王政御一新ニ付 朝廷ノ後條理ヲ追ヒ外國御交際ノ儀被 仰出諸事於 朝廷直ニ御取扱被爲成萬國ノ公法ヲ以條約御履行被爲在候ニ付テハ全國ノ人民 叡旨ヲ奉戴シ心得違無之樣被 仰付候自今以後猥リニ外國人ヲ殺害シ或ハ不心得ノ所業等イタシ候モノハ 朝命ニ悖リ御國難ヲ醸成シ候而巳ナラス一旦 御交際被 仰出候各國ニ對シ 皇國ノ御威信モ不相立次第甚以不届至極ノ儀ニ付其罪ノ輕重ニ随ヒ士列ノモノト雖モ削士籍至當ノ典刑ニ被處候條銘々奉 朝命猥リニ暴行ノ所業無之樣被 仰出候事
(Wikipediaより引用)
これは外国人を追放しようとする考え方である攘夷運動をやめて、国際的に守られているルールを日本も守っていきましょうという内容です。
江戸時代の終わり頃日本では尊王攘夷運動という天皇を大切にして夷人(外国人)を追放しようという考え方がありました。
明治政府の立役者にもなった長州藩も元々はこの運動をしていました。
しかし、時代は流れて欧米列強を学んで日本を近代化していくのにその人達を追放するようなことをして良いはずはありません。
なので外国人と仲良くしていこうとなっていきました。
第五札
王政御一新ニ付テハ速ニ天下御平定萬民安堵ニ至リ諸民其所ヲ得候樣 御煩慮被爲 在候ニ付此折柄天下浮浪ノ者有之候樣ニテハ不相濟候自然今日ノ形勢ヲ窺ヒ猥ニ士民トモ本國ヲ脱走イタシ候儀堅ク被差留候萬一脱國ノ者有之不埒ノ所業イタシ候節ハ主宰ノ者落度タルヘク候尤此御時節ニ付無上下 皇國ノ御爲叉ハ主家ノ爲筋等存込建言イタシ候者ハ言路ヲ開キ公正ノ心ヲ以テ其旨趣ヲ盡サセ依願太政官代ヘモ可申出被 仰出候事
但今後總テ士奉公人不及申農商奉公人ニ至ル迄相抱候節ハ出處篤ト相糺シ可申自然脱走ノ者相抱ヘ不埒出來御厄害ニ立至リ候節ハ其主人ノ落度タルヘク候事
(Wikipediaより引用)
これは犯罪をした人がどこかに逃げるという行為を禁止した内容です。
さらに江戸時代と同じように勝手に自分が住んでいるところから逃げ出したり、勝手に住んでいるところを変えたりすることは禁止されました。
五榜の掲示のその後
明治時代に入った頃は国内が混乱していましたが、戊辰戦争がようやく終わり、世直し一揆も起きなくなり、国内も安定し始めた1873年ついに五榜の掲示の内容のほとんどが廃止されました。
さらに第三札のキリスト教の信仰の禁止も廃止され、五榜の掲示は全て廃止となりました。
これから国民に決まりごとを発表する場合は天皇からの通達である詔勅や、日本の政府としての役割がある太政官という組織からの布告となっていきました。
まとめ
・五榜の掲示とは国民に対して発表された決まりごとをまとめたもの。
・五榜の掲示には君主や父を大切にすることやキリスト教の禁止など江戸時代とあまり変わらない内容だった。
・時代は流れて国内も落ち着いてきた1873年に五榜の掲示は全て廃止となった。