この辺の文化史って言うのは、受験やテストでも頻出するし、覚える身としては、とてもややこしいですよね。
建築様式は、実は身分にもかなり関係してきています。
それに似たような名称でも、寝殿造と書院造では、建築様式が興った時代が全く違うんです。
そのため、比較をしていくと違いがたくさん発見できますよ。
今回は、『寝殿造と書院造の違い』について、簡単にわかりやすくお伝えしていきます。
目次
寝殿造と書院造の違い
最初に、寝殿造と書院造の違いについてまとめていきます。
〇誕生した時代が違う
寝殿造・・・平安時代の国風文化で誕生
書院造・・・室町時代の東山文化で誕生
〇コンセプトが違う
寝殿造・・・主人の寝殿を中心に自然との調和を重視
書院造・・・書院を中心に身分序列が意識されている
〇使用者の階級が違う
寝殿造・・・上流階級のみがこの建築を使用
書院造・・・武家階級を中心に広まる
〇間取りが違う
寝殿造・・・一部屋が大きく、一部屋につき一つの建物を造り、廊下で建物を繋ぐ
書院造・・・複数の部屋が一つの建物にはいり、部屋同士が廊下で繋がる
〇壁の有無
寝殿造・・・壁がなく、扉・すだれ・屏風などで仕切りを作る(パテーション)
書院造・・・壁があり、障子や襖で部屋を区切る
〇庭の作りが違う
寝殿造・・・テラス、池、庭(遊び場)がある
書院造・・・枯山水になる
〇床の素材が違う
寝殿造・・・基本的には板の間。畳は単体で敷かれるのみ
書院造・・・畳の間(座敷)
それでは、「寝殿造」「書院造」それぞれについて詳しく見ていきましょう。
寝殿造について詳しく解説!
(鳳凰堂 出典:Wikipedia)
寝殿造は、主に平安時代の貴族といった上流階級の人たちの間で流行した、自然との調和を重視した建築スタイルです。
寝殿造は居住空間だけでなく、お寺やオフィスの様な場所でも適応する建築様式です。
要するに、貴族が関わっている建物は、寝殿造であることが多いんです。
このような貴族の人たちの文化は国風文化と呼ばれます。
ちなみに、寝殿造の代表的な建物は、平等院鳳凰堂です。
①間取りがとても開放的
寝殿造は簡単に言えば、とても開放的な造りとなっています。
わかりやすく言うと、「体育館のような大きな建物の壁を全て取り払い、中をパテーションで区切って部屋にした建物が、2~3棟、廊下で繋がっている」状態。
こんな部屋をイメージしていただければ、わかりやすいです。
寝殿造はこの様な造りをしていることから、20~30名の貴族が一つの建物に居住していたと言われています。
②居住に不向き!?壁がないのは貴族の生活が理由
しかし、この間取りは壁がないので、隙間風が入り冬がとても寒い。
天井も吹き抜け構造で、部屋も大きいため、火を焚いても部屋が温まらないという難点を抱えています。
これは、貴族たちが事あるごとに宴を開いたり、儀式を行っていたことが原因としてあるようです。
そのため、パテーションなどで区切ることで部屋の大きさを自由に調整できる必要があったようです。
このためには、寒さも我慢した貴族たち。すごい気合です。
③畳は実はほぼない
日本は畳の部屋が多いですが、この寝殿造は板の間であることが基本的構造としてあります。
畳はというと、単体で敷かれる程度でした。
ホテルなんかで和洋室部屋があるかと思いますが、正にそのような感じをイメージしていただければと思います。
④庭と池のオプション(遊び場)がある
寝殿造には、貴族の遊び場である庭や池がオプションとして間取りに組み込まれています。
庭ではそう、蹴鞠(けまり)などをして、彼らは遊んだりするのです。
また、池では釣りを楽しむことが出来たようです。
⑤豪華絢爛な内装と外装
寝殿造は貴族のみで隆盛した建築様式です。そのため、外装もそうですが、内装に至るまで豪華絢爛でお上品。さすが貴族文化。
例えば、中尊寺金色堂なんかは、外装が金箔を施されたとして大変有名です。
書院造について詳しく解説!
(慈照寺東求堂 出典:Wikipedia)
一方書院造は、室町時代中期に現れた建築様式。
この時代は、貴族社会から武家社会へと変化した時代です。そのため、部屋の作りも武士向けに変化をしていきました。これが東山文化と呼ばれる文化です。
書院造のはじまりは、銀閣寺東求堂に端を発しています。
書院造は、現在の和室とほぼ同じようなものとイメージしていただければよいかと思います。
金閣寺は書院造じゃないの?
ちなみに、間違えやすいのは、金閣寺が書院造かどうか。
金閣寺は、ちょうどこの寝殿造から書院造へ変化する時期にあった建物。
金閣寺1階は書院造に似たようなものですが、書院造のように細かく部屋が区切られているわけではなく、部屋の内装や飾りに対する工夫はありませんでした。
では、書院造について細かく見ていきましょう。
①ベースは寝殿造だが、間取りが違う
書院造のベースは寝殿造の様式ですが、あくまでベースだけ一緒。
書院と呼ばれる書斎を建物の中心にしている点が特徴で、間取りはかなり変化があります。
どういうことかというと、複数の部屋が一つの建物につくられるようになります。
そして、部屋どうしは廊下で繋がります。
一部屋が小さく、床の間や台所が出来たりと、日常生活として間取りが変化します。
②壁が出来て生活がしやすくなる!
①でもお話の通り、間取りに生活感が出てきたこともあって、部屋をちゃんと壁が完成します(笑)
寝殿造の様に、寒さに悩まされることもなくなります。
そして、障子や襖などで、一部屋がしっかり区切られるように変化していきました。
吹き抜けの建物に天井が張られたのも、書院造からです。
③畳の部屋が誕生!
床素材は、板張りから畳張りの部屋へと変化します。
部屋全体に畳が敷かれるようになったのも、書院造からと言われています。
座敷という部屋は、ここから誕生したのです。
④枯山水を置く
書院造にも庭園がありますが、寝殿造のように遊び場というわけではありません。
枯山水という水のない庭を造っているのが書院造の特徴。枯山水は、石や砂で自然の風景を再現したもの。
国風文化とは違い、遊ぶという名目でなく、鑑賞を名目としています。
⑤新たなオプションはこだわりの部屋の内装、しかし飾りはとても簡素
また、書院造では部屋の中を季節に応じて簡素に飾り付けたり、床の間や棚、壁や襖への障壁画といった、内装にこだわりのつまったオプションをつけるようになりました。
また、座敷には高低差も設けられています。
このオプションは、自分の階級の高さを誇示するという目的もありました。
まとめ
✔ 誕生した時代が違い、寝殿造は平安時代、書院造は室町時代。
✔ 建築コンセプトが違い、寝殿造は主人の寝殿を中心に自然との調和を重視しているのに対し、書院造は書院を中心した建築で、身分序列が意識されている。
✔ 寝殿造は上流階級のみで流行り、書院造は武家階級を中心に広まる。
✔ 寝殿造は一部屋が大きく廊下で建物を繋ぎ、書院造は複数の部屋が一つの建物に入る。
✔ 寝殿造には壁がなく、扉・すだれ・屏風などで仕切っていたが、書院造は壁があり、障子で部屋を区切る。
✔ 庭の作りが違い、寝殿造にはテラス、池、庭(遊び場)があるが、書院造は枯山水のみ。
✔ 床の素材が違い、寝殿造は板の間で畳は単体で敷かれるのみだが、書院造は座敷。