【千歯こき・備中ぐわ・唐箕・唐棹とは】利点や特徴・使い方!!江戸時代の農具。

 

江戸時代に活躍した農具『千歯こき・備中ぐわ・唐箕・唐棹』。

 

まず読み方から苦しんでいる人はいないでしょうか?またイメージできるかというとこれも難しいかもしれません。

 

今回は、それぞれの利点や特徴・使い方について詳しく解説していきます。

 

千歯こき・備中ぐわ・唐箕・唐棹とは?

 

 

江戸時代に開発された農具のことです。

 

“備中ぐわ”は農地を耕したりするのに主に使用し、千歯こき、唐箕、唐棹は脱穀(だっこく)などの際に使用していました。

 

いずれも当時の農業の発展に役立った道具であり、現在まで使われているものもあります。

読み方

千歯こき・・・せんばこき

備中ぐわ・・・びちゅうぐわ

唐箕・・・とうみ

唐棹・・・からさお

 

農具発展の時代背景

 

 

江戸時代は戦いの終わった時代だったため、各大名は他国の領土を奪うなどで自国の利益を増やすことは出来ませんでした。

 

そこで領土内に田を増やし、収穫高を高めることで自国を潤すよう努めていくようになります。

 

その為、この時代は特に新田開発が活発に行われ、それに伴い農具の開発も進んでいったのでした。

 

当時の農作『米作り』とその使用道具

 

 

各農具について見ていく前に、農作業自体がピンとこないと思われますので、まずは簡単に稲作の流れを確認しておきたいと思います。

 

①米作りの工程

おおよそ6カ月近くの日数をかけて、私達の知っているお米の姿になっていきますが・・・

 

工程としては、ざっくりいうと「種まき(苗づくり)」「田起こし」「田植え」「稲刈り」「乾燥・脱穀」「籾(もみ)の選別」「籾すり」「精米」くらいの工程を経ていきます。

 

まず、種籾(たねもみ:前年にとっておいた種にする籾)をまいて苗を作ります。そして、田を耕作できる状態に耕し水を張ります。

 

その後、苗を田に植え、その後は水の管理、虫の駆除、雑草の除去、自然との闘い(台風など)を経て秋には稲刈りをします。

 

干して乾かした稲の穂先から籾を落とします。そして籾のみを取り出して籾殻を取ると玄米になります。玄米からぬかをとったら私たちが目にする白米となるのです。

 

すごく簡単ではありますが、大体のイメージは湧いたでしょうか?

 

②使用道具

それぞれの工程で様々な農具を使用していくのですが、ここでは上記4つの道具に絞りたいと思います。

 

まずは「田起こし」で、【備中ぐわ】が使用されます。

 

そして後半の「脱穀」で【千歯こき】【唐棹】が、さらに脱穀後の細かい工程「籾の選別」では【唐箕】が使われたようです。

 

道具の使用工程と使用方法

 

 

それではここで道具の使用方法などを工程順にみていきましょう。

 

①備中ぐわ(びっちゅうぐわ)

(備中ぐわ 出典:Wikipedia

 

 

水田になる前の田んぼを見たことがあるでしょうか?カラカラに乾ききった土で固そうですよね。

 

これを通常の平らな(くわ)で掘り起こすのはなかなか難しかったのですが、先が三股や四股になっている鍬の場合は、土と接触面が少ない為、土が鍬にくっつきにくくなり深くまで土を掘ることができたそうです。

 

元々鍬の中で、木製の鍬で刃の先端だけが金属のものを「風呂鍬」と呼んでおり、また刃の部分が長方形の金属のものを「平鍬」と呼んでいたそうです。

 

木製の鍬は古墳からも出土しており、当時の大事な道具であったことが分かります。そして、弥生時代にはすでに股の分かれた鍬。古墳時代にはその先が金属製のものもあったようです。

 

時代を経て木製から金属製になったのでしょうが、金属は高価な上、重いと作業効率も落ちますので、部分的に使用していくことなどで、農具の改良を徐々に進めていったと考えられます。

 

そして先端が3~4股に分かれた金属製の鍬を江戸時代には【備中ぐわ】と呼んでいたようです。

 

これは江戸期に備中松山藩で良質の砂鉄がとれており、これを広めるために藩の財政改革の立役者であった山田方谷(やまだほうこく)が鉄製の鍬を製作し、さらに地元に近い大阪ではなく人口の多い江戸へ直接卸すことで、その販売量を高めたことが要因と思われます。

 

②千歯こき(せんばこき)

(千歯こき 出典:Wikipedia

 

 

稲刈り後の干した稲の穂先から[籾(もみ):稲の果実の部分]を落とす作業が「脱穀」ですが、以前は扱箸(こきばし)という道具を使用していました。

 

これは竹を大型の箸のようにしたもので、稲穂を挟んで籾をしごき取りました。

 

1日に712(そく)くらいが可能だったようです。ちなみに1束=10()で1把はひとつかみ分くらいをさしています。

 

【千歯こき】はイラストなど見たことがあるかもしれませんね。木製の台に付属した足置きを踏んで体重で台を固定した上で、櫛状になった歯の部分に稲穂を噛ませて引くことで籾をむしり取る道具です。

 

1時間で45把くらいが可能だったようですので、扱箸と比べると、その作業効率UPの程度は大変なものでした。この道具の“千歯”も櫛の歯数を表現していたり、“千把”くらい出来るという様子を指していたりするようです。

 

後に「足踏脱穀機」や「動力脱穀機」へと発展していくので昭和初期には製造も終了していくのですが、種籾を扱くときは特別に『大切に丁寧に』ということで昭和半ばくらいまで千歯こきを使用していたそうです。

 

③唐棹(からさお)

(唐棹 出典:Wikipedia

 

 

長さが極端に異なるヌンチャクのような道具です。むしろの上に広げられた穀物などを、これを振り回して叩くことで脱穀していました。

 

米以外にも麦などいろんな作物に幅広く使えることから、日本だけなく世界各国で似た道具はあるようです。日本には中国から伝えられたとされ、“唐”はそこからついたと言われています。「くるり」「連枷」とも書かれます。

 

千歯こきでも脱穀出来なかった稲はこれで叩いて脱穀しました。粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)といわれるように一粒一粒大事に育てたものなので無駄に出来なかったのです。

 

私たちは現在、普通に白米を食していますが、そこには大変なご苦労があることをここで見直してみるのもよいですね。

 

④唐箕(とうみ)

(唐箕 出典:Wikipedia

 

 

脱穀後の籾についている稲の葉っぱや藁のくずなどを取る作業で使うものです。

 

元々は「ふるい」などを使い籾の部分とその他を分けたりしていましたが、非常に大変な作業だったようです。

 

また、「千石とおし」といってふるいを少し改良したような大小異なる網目の傾斜を通すことで分別しようとする道具もあったのですが、その網目の傾斜などに熟練技が必要であることなど、手のかかる道具だったようです。

 

それに比べて、唐箕は箱型になっており、人工的に風を起こし混合物に風をあててそのものの重さで籾とその他のものを分別できる便利な道具でした。ゴミや殻が風で外に出されて実のつまった籾などが下に落ちる仕組みですね。

 

東日本と西日本、または地域ごとで型が少々異なっていたようです。

 

唐箕の使用風景 出典:Wikipedia

 

道具のその後

(コンバイン 出典:Wikipedia

 

 

江戸期から活躍したこれらの道具ですが、機械化の流れの中で徐々にその姿を変えていきます。

 

特に稲刈り~脱穀までを一手に引き受けているのが現在の「コンバイン」になるでしょう。

 

稲を刈り取り、籾を穂から外し、籾殻やごみを吹き飛ばして籾のみ袋にいれることができます。この機械の登場は農家の人々にとっては夢のような話だったことでしょう。農作業の時間を飛躍的に短縮したと言われています。

 

ちなみにコンバインの作業中に近くを通ると昔はふっとんできたゴミでかなり目が痛かったです…

 

ただし、それだけの機能となるとお値段もかなりの額です。よって現在でも改良されながら活躍している農具がありました。なんとモノタロウには備中鍬や唐箕がありました!

 

まとめ

・千歯こき・備中ぐわ・唐箕・唐棹は江戸時代に開発された農具。

・【備中ぐわ】は土を深く掘り田を作るのに使用された。

・【千歯こき】は稲穂から籾を落とす作業の効率を飛躍的に高めた道具だった。

・【唐棹】は麦やコメなどの穀物を叩いて脱穀するのに使用された道具。

・【唐箕】で籾からその他のごみなどを分別することができて非常に作業が楽になった。

・備中鍬や唐箕は今も改良され活躍中だが、農具の機械化で千歯こきと唐棹は姿を消していった。