朱子学は、鎌倉幕府滅亡後、建武の新政においての行動理念にもなり、あの後醍醐天皇や楠木正成が熱心に学んだことでも、歴史上とても有名な学問です。
中国からやってきた学問ですが、朱子学の影響はこのあと江戸時代までの長きにわたって日本にも大きく影響を与えていきます。
では、朱子学とは一体どんな学問なのでしょうか。
今回は、朱子学の意味や歴史、開いた人物から欠点までを網羅的に、簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
朱子学を開いた人物「朱熹」について
(朱熹 出典:Wikipedia)
朱子学は、中国・南宋時代の頃の学問です。
儒学者であり政治家でもあった朱熹(しゅき)が、儒学を整備したことから誕生しました。
それまで儒学としてはバラバラであった、儒学の経典であった四書(論語、孟子、大学、中庸)をまとめ、それに独自の解釈を入れ込み、学問としてまとめたものです。
つまり、朱熹さんが作ったから朱子学という名前なんです。
①礼記と呼ばれる儒教の教科書の1章に着目した
四書『大学』と『中庸』は、当初『礼記』に収録されている1章にすぎませんでした。
これらに焦点をあてたのが、朱熹です。
朱熹は『礼記』から『大学』と『中庸』をピックアップし、『論語』と『孟子』と合わせて「四書」をまとめあげます。
②「仁」より「礼」を最重要視
朱子学の基本は、身分秩序や格物致知、理気二元論という考え方です。
儒学において重要視されていた「仁」よりも、「礼」を最重要視するようになっています。
③朱熹は禅にも明るかった
実は朱熹自身、儒教の家庭に生まれながらも、若い頃より仏教、特に禅を学んでいて、相当入れ込んでいたとされています。
朱熹も、仏教の持つ力については十分わかっていましたが、仏教を超えなければならないという思いがあったようです。
どうしたら仏教を超えられるかという方法を考えた時に、朱子学を思いついたのです。
儒学と朱子学は違うの?わかりやすく解説
簡単に言えば、儒学は儒教を理解する学問。
朱子学は様々な方向にあった儒学をまとめ、朱熹の考えを盛り込み生まれた、新しい儒学の学問です。
①儒学は儒教を学ぶ学問
儒学と言うのは、思想家である孔子によって広められた、中国の宗教的世界観である孝の教えを倫理的な反省点を加えた宗教である、儒教のことを言います。
儒学は、主に五経と呼ばれる「書経・易経・詩経・春秋・礼経」と呼ばれる経典や、孔子の記した『論語』などの古字句の読みや解釈を行う学問であり、いわば儒教のテキストを正しく理解するための学問でした。
儒学が作られた春秋戦国時代は、戦いの多かった時代です。覇道を以って政治を行うのではなく、君子の持つ徳によって天下を治め、政治を行うべきという王道を唱えたものです。
儒学においては、仁義(人を愛すること)を理想都市、義礼を学習・実践することが、非常に重んじられています。
また、孔子以降は多くの人たちによって、儒教の思想や学説が深められていきました。
②朱子学は儒学をまとめた新しい学問
冒頭のとおり朱子学は、儒学を体系化し、朱熹独自の考えを盛り込んでいったもの。
儒学における思想や学説を朱熹なりにギュッとさせただけでなく、そこには宇宙や世界などの概念を盛り込んで、儒教(儒学)を再構築させたもです。
そして、決定的なのは、「仁」よりも「礼」が重んじられているところです。
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朱子学に盛り込まれた新たな概念「理」とはなにか
朱子学には基本的な考え方に、これまで儒学(儒教)に盛り込まれていなかった「理」と「気」に関する概念があります。
世の中のすべてのものや事柄は、この「理」と「気」からなる「理気二元論」というものです。
これは、仏教における「空」、道教における「無」に対抗して作られたとされています。
①理気二元論
朱子学の言う、「理」と「気」とは、こちらです。
- 「理」・・・万物がこの世に存在するという根拠。宇宙が存在する法則や秩序。
- 「気」・・・万物を構成する物質のこと。幻という概念はない。
このように、「理」と「気」は、全く別の存在ですよね。
しかし、朱子学での「理気二元論」では、「理」と「気」は互いに単体では存在することができないものとして、両者が付かず離れずの距離を保ちながら、互いに働きあう「不離不雑」の関係とされているのです。
また「気」は常に運動しているものとしています。
朱子学では、運動量の大きな時を「陽」、小さな時を「陰」と呼びました。
陰陽の2つの気が凝集して「五行」(火・土・木・金・水)、その組み合わせによって万物が生み出されるとしたのです。
つまり、「理」は根本的なもので、これらの「気」の運動に対し秩序を与える存在だと、朱子学では考えられています。
②性即理説
朱熹は、「理気二元論」から「性即理説」を導き出しました。
「性」は物を成り立たせる本質であり、人間の本質である、静かな状態のもの。
「性」=「理」であるとしました。
しかしこの「性」が動くことで「情」となり、その動きが激しくなってバランスを崩すことで「欲」になると考えました。
つまり、「情」=「気」ということです。
また、バランスを崩して発生した「欲」は悪であり、人は絶えず「情」をコントロールし、「性」に戻す努力をする必要がある、と朱熹は説いているのです。
朱子学で重要なのは上下関係
朱子学における重要な部分である上下関係ですが、先ほどの理気二元論から導き出されたのが、朱子学における上下関係です。
つまり、何かが存在するということは、常に上位の物によって存在させられているという構造です。
「礼」を重んじる君臣父子の別
自然や万物に上下関係・尊卑があるように、人間社会にも同じように上下関係や、差別があって然るべきという考え方の朱子学。
これは君臣父子の別といい、「君主の言うことを臣下は絶対聞くこと」、「父の言うことを子供は絶対聞く」という朱子学での「礼」を重要視しているという部分です。
つまり、「礼」の関係は、上下関係ということです。
朱子学の革命が巻き起こす弊害と欠点
朱子学は中国に革命を起こしました。
13世紀の半ばになると、中国の官僚試験である科挙試験にも採用されることになります。
更には、明の時代になると国家認定の学問となり、中国全土で広く学ばれることになります。
しかしこれにより、朱子学の欠点と弊害をあちこちで生み出すこととなりました。
①富裕層や権力者が得する縦社会を生み出していくことになる
中国における成績の良い人が優遇される学歴社会、官僚社会を生み出し、社会の秩序を統制するために利用されるようになってしまいます。
②統治する側が都合よくなってしまった
朱子学は、「理」と「気」を重んじている学問です。
これは、統治する側からしたらとても都合の良いもの。
なぜなら、「理気二元論」と「性即理説」が導き出す上下関係を重んじる朱子学では、君臣父子の別という上下関係が重要とされています。
本来朱熹が目指すところにあった道徳主義的側面がどんどん失われてしまい、政治的腐敗を招く結果にとなってしまいました。
③朱子学以外の学問を排斥
現在の中国からは想像がつかないと思いますが、中国は古来から、数多くの思想や学説が許容されていました。
これによって、社会が発展してきたという歴史がありした。
しかし、朱子学が中国に広まっていくと、朱子学以外の学問が排斥されていき、現在の中国を作り上げている思想統制の時代へと変革していったのです。
現在の中国があるのは、朱子学の影響があったのではないかと指摘する専門家も現れるほどです。
④影響・弊害は朝鮮半島、日本へも
朱子学は朝鮮へもわたり、朝鮮王朝の国家統治として用いられました。
これにより朝鮮ではかつては国教であった仏教が排斥され、朱子学を国家公認学問としていったのです。
さらに、朱子学と同じ儒教の派生学問である陽明学も排斥。朱子学を学んだ者だけで身分階層まで形成されていきます。
朝鮮は中国よりも、朱子学による社会統制の影響が強くなりました。
一方日本では、鎌倉時代に伝播された朱子学。南北朝時代においては、朱子学に基づく行動が多く見られます。
また、江戸幕府においても朱子学が採用され、幕府公認の学問となりました。
そして、日本でも朱子学を重んじる封建社会の全盛期がやってくるのです。
しかし、ご存知の通り封建社会は明治維新で崩壊していまいます。
まとめ
✔ 朱子学は南宋時代の儒学者で、禅にも明るかった朱熹が儒学をまとめあげた、新しい学問体系のこと。
✔ 「仁」より「礼」を重んじ、「理気二元論」と「性即理説」によって上下関係を大切にする。
✔ 朱子学は中国・朝鮮・日本に革命を起こすものの、統治者側にとって都合の良いものとなり、封建社会を強く根付かせた。
✔ 後醍醐天皇による建武の新政には、朱子学が強く影響した。
✔ 中国・朝鮮では、朱子学以外の学問を排斥。日本では江戸時代半ばに朱子学以外の学問を禁止することになってしまう。