縄文時代に入ると、それまで石を打ち砕いただけでできた打製石器から、石を磨く工程を加えた磨製石器が登場し、人々の生活がより豊かになっていきました。
今回は、磨製石器によってどのような変化がおこったのか見ていきましょう。
磨製石器とは?
(様々な磨製石器 出典:Wikipedia)
磨製石器とは、縄文時代以降に登場した石器です。
打製石器に磨く作業を加えることによって形を整え、従来の打製石器よりも切れ味がさらにパワーアップしました。
旧石器時代にも打製石器の一部を磨いているものが見つかっていますが、本格的に磨きをかけて作られた石器が登場するのは縄文時代以降と言われています。
ちなみに縄文時代でも打製石器は継続して使われていました。
磨製石器は打製石器に比べると凹凸が少なく、スムーズに抜き取ることができるため、劣化か抑えられ繰り返し使うことに向いていたとされています。
磨製石器の作り方と素材
磨製石器はその漢字の通り磨くことによって作られる石器です。
以下のような手順で作られていました。
作り方
① 石を砕いておおまかに形を整える。ここまでは打製石器と同様。
② 研ぎ石を水で濡らして、石がある研ぐ部分を研ぎ石の平らな部分にあてる。
③ 石器を前後に動かし、削る。
④ ひっくり返して裏側も同様にする。
⑤ ①〜④を繰り返し行い、石器全体が整ったら完成。
【詳しくは動画をどうぞ!】
以上の工程を見ると非常に手間のかかる作業だったことがわかります。
また、打製石器同様、磨製石器の素材にも硬くてガラス質のものが使われていました。
例えば・・・
✔ 黒曜石
ガラス質で光沢があるのが特徴。硬い石で薄く剥離する性質を持つため、打製石器の材料として用いられていました。磨製石器にすると、磨きがかかる分、切れ味も光沢も打製石器より増します。産地は北海道から長野まで60カ所以上の産地が確認されています。
✔ サヌカイト
打製石器と同様に、黒曜石の産出が少なかった近畿から北九州で磨製石器の材料として使われていました。縄文時代晩期には、中部地方でも使われており交易があったことがわかっています。
このほか、磨製石器の素材ではありませんが、鏃などを柄の先に接着するためのアスファルトや装飾品の原材料のひすいも使われていました。
縄文時代の石器の種類
食生活の変化にともなって、より実用的で、石器の種類も増えていきました。
石器の種類
✔ 石皿と磨石(すりいし)
(石皿と磨石 Wikipedia)
穀物や木の実や植物の葉などをすりつぶすための道具です。皿形の形をした磨製石器で、もう一つの石器(磨石)と組み合わせて使われることが多かったようです。
食物だけでなく、土器の材料となる土や顔料などもこれを使って作っていたとされています。また、持ち運べるサイズだけでなく、住居などに備え付けられたものもあり、まな板として使われていたと推測されています。
一方、磨石は、丸い形をした石器で加工して作られたのではなく、河原などに落ちているものをそのまま使っていました。大きさはこぶし大ほどで、ドングリやクルミなどの殻のついた実をすりつぶすために使われ、多くが集落周辺からの出土しています。
✔ 石斧(せきふ)
(石斧 画像引用元)
石器を木の枝の先に結びつけて作った斧。打製で作られたものが最初ですが、縄文時代からは磨製のものが登場しました。
主に木を伐採や土木作業に使用されていました。石斧には枝と刃が平行の縦斧(平交刃斧)と枝と刃が直角の横斧(直交刃斧)があり、前者は木の伐採、後者は土を耕すことなどに使われたとされています。
✔ 石錐
(石錐 出典:Wikipedia)
動物や木の皮に穴をあける道具。旧石器時代の打製石器としても登場していますが、先端の尖った部分は磨くことによって仕上げることが多かったです。
✔ 石錘
(石錘 Wikipedia)
漁労の際に網を沈めるためのおもり。平らで円形の石に溝がついており、海で魚や貝などをとる際に使用されていました。
前述の穴をあけるものと同音ですが、用途は異なるので注意しましょう。
✔ 石棒
(石棒 Wikipedia)
男根を模したとされる磨製石器。火にかけられた形跡のあるものが見つかっていることから、呪術に用いられたとされています。
大きさは10cmほどの短いものから2mを超える大きなものまで様々あります。
✔ 石剣
(石剣 Wikipedia)
石棒を作る技術を派生させて、片側面もしくは両側面を尖らせたもの。
形が剣に似ていることからこの名が付けられましたが、戦いに用いられたのではなく、祭祀用具だという説や権力者が指揮棒として使った説などがあがっています。
磨製石器は石でできているため、土に埋まってそのまま出土することが多く、当時の生活の様子が非常によくわかる遺物です。
地域色が色濃くでており、その土地でどのような生活が行われていたかがよくわかります。
旧石器時代に引き続き、石鏃や石匙も使われていましたが、これらは打製石器になるため、こちらでは割愛しております。
縄文時代から弥生時代の磨製石器の変遷
旧石器時代から縄文時代の始まりにかけて、地球は温暖になっていきました。
これにともなって、氷がとけ海面が上昇し大陸との間に海が広がりました。
ナウマン象などの大型動物は住む場所が限られて、だんだんと数を減らし、人々の狩りの対象となったこともあり、ついには絶滅してしまいます。
狩りの主な対象はニホンオオシカやイノシシになり、石鏃を使った弓矢や落とし穴が利用されました。
温暖になったことで氷が溶けて入江が増え、漁労も盛んになっていきました。
魚を釣るための釣り針は動物の骨を削ってつくるなど、技術が発展。網を使った漁では石錘を使って魚を捕まえました。
また、温暖になっていった影響で植物が育ち、野菜や木の実を食べることが増え、この木の実を調理するために石皿や磨石(すりいし)が使われました。
弥生時代に入ると、大陸から稲作が伝来し、石器も食料を採取するためのものから、米を育てたり、実ったもの刈り取ったりするためのものが増えていきました。
木の道具はカシでできた木製のものが多く、田を耕す鍬や鋤、米を脱穀する杵や臼などがありましたが、大陸から伝わってきた磨製石器も使われています。
弥生時代の磨製石器
✔ 石包丁
米を収穫するための道具で、半月型をした薄い石器。曲線の部分が刃になっており、稲穂を刈り取るために使われていました。
✔ 太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりはせきふ)
刃の部分が蛤の形に似ている大型の石斧。木の伐採に使用されたと考えられています。
✔ 扁平片刃石斧
木製の柄の先に取り付けられ、工作用のノミとして使われたと推測されています。
気候の変化や大陸からの稲作の伝来によって食料も変化し、食料調達のために使われる道具もそれまでとは変化。より高度なものへと進化し作業の効率も上がっていきました。
弥生時代の代表的な遺跡
(吉野ヶ里遺跡 出典:Wikipedia)
◎吉野ヶ里遺跡
佐賀県にある弥生時代最大級の環濠集落跡です。2階建の大型建物が築かれるなど、大規模な集落があったことがわかりました。
◎菜畑遺跡
佐賀県にある縄文晩期〜弥生前期の遺跡で、大陸系の磨製石器や農具、土器、水田の跡が見つかりました。
◎登呂遺跡
静岡県にある弥生後期の集落とその南に広がる大規模な水田の跡が発見されました。多くの木製品が発掘され、住居や高床倉庫も確認されています。
◎板付遺跡
福岡県にある遺跡で、水稲耕作に欠かせない道具が出土し、菜畑形跡よりも古い時代の縄文時代晩期終末にも稲作が行われていたことが判明しました。
まとめ
✔ 磨製石器は、縄文時代以降に登場した石器である。
✔ 磨製石器は、打製石器を磨くことによって作られ、従来の打製石器よりも切れ味が向上した。
✔ 磨製石器は、凹凸が少なく、劣化か抑えられたため、繰り返し使うことに向いていた。
✔ 磨製石器には石皿、磨石、石斧、石錐、石包丁などがある。
✔ 縄文時代、弥生時代にも打製石器は引き続き使われていた。
✔ 磨製石器は、地球が温暖になって地形や動植物が変化したり、大陸から稲作が伝わってきたりしたことによってより実用的なものになった。