最近のニュースで北朝鮮のトップである金正恩と韓国大統領である文在寅の間で朝鮮戦争の終結を明記した板門店宣言が発表されました。
しかし、朝鮮戦争とはなんだったのかを知っている人は意外に少ないです。
今回はそんな『朝鮮戦争』について分かりやすく解説していきます。
目次
朝鮮戦争とは?
(朝鮮戦争 出典:Wikipedia)
朝鮮戦争は、1948年に成立した国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた戦争のことです。
この戦争の結果、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国に分断され、冷戦における前線のひとつとなりました。
ちなみに、現在は終戦ではなく休戦であるため、名目上は現在も一応戦争中です。
朝鮮戦争以前の世界の様子『開戦の原因は?』
(冷戦時に行なわれた核実験"アメリカ" 出典:Wikipedia)
①冷戦の幕開け
1945年、第二次世界大戦が終結し、アメリカ、ソ連などの連合国が勝利しました。
しかし、アメリカはヤルタ会談やポツダム会談などでのソ連の急激な領土要求に警戒心を抱き始めます。
(ヤルタ会談の様子 出典:Wikipedia)
ソ連は東ドイツなどのヨーロッパの東側の国々を衛星国という傀儡国として独立させ、ワルシャワ条約機構という組織を作り、社会主義国の勢力を拡大します。
のちにこれらのことはイギリスの首相であったウインストン・チャーチルによって『鉄のカーテン』という風に揶揄していました。
さらに、元々アメリカとソ連という国はそれぞれ資本主義と共産主義という全く違う政治体制を取っていたため、馬が全然合わなかったのが主な要因の一つですが、これによってアメリカはソ連との対立姿勢を取り始め冷戦という戦後の新たな対立構造を構築し始めました。
②中国の社会主義国化
さて、本題の朝鮮半島を含むアジア情勢について見てみましょう。
まず中国です。中国は日中戦争の勝利後、日中戦争において国共合作という協力体制にあった蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党との対立が再び起こり始めました。これを国共内戦といいます。
最初の方はアメリカなどが支援している国民党が優勢でしたが、時代が立っていくにつれ農民の支持を受けた共産党に逆転。1949年に国民党は台湾に移転し、中国大陸には中国共産党による国家中華人民共和国が成立しました。
毛沢東は向ソ一辺倒と呼ばれるソ連と徹底的に仲良くする外交を採りました。1950年2月、ソ連と中国は中ソ同盟を締結します。
③分断される朝鮮半島
1945年、終戦と共に日本の植民地であった朝鮮半島はアメリカとソ連によって分割され、北はソ連、南はアメリカに分割され直接的に統治されてしまいました。
そして直接統治されてから3年後朝鮮半島のアメリカ統治地域で李承晩によって資本主義国である大韓民国(韓国)が成立します。
(大韓民国の国家成立記念式典 出典:Wikipedia)
対して朝鮮半島のソ連統治地域では金日成によって社会主義国である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が同じく誕生します。
こうして、朝鮮半島には2つの異なった政治体制を分断国家が成立することになります。
ちなみに冷戦においての分断国家は多くあり、主な例をあげるならドイツやベトナムなどが分断されていました。
朝鮮戦争の流れ
①北朝鮮の奇襲攻撃
1950年3月、金日成は朝鮮半島の統一するためにスターリンや毛沢東に対して朝鮮半島における戦争の許可を打診します。
スターリンは最初はこの戦争に消極的でした。しかし、中国が共産化しさらに朝鮮半島も完全に共産化するとソ連の利益となると踏んだスターリンは、ついに金日成に毛沢東の同意を得ることを条件に開戦にGOサインを出します。
毛沢東も朝鮮半島から資本主義国を追い出すことに対して異論はなく、北朝鮮は韓国に奇襲攻撃をしかけ戦争が始まりました。
②北朝鮮の快進撃
北朝鮮の奇襲攻撃によって始まった朝鮮戦争ですが、最初の頃は北朝鮮が圧倒的に優勢でした。
それもそのはず、アメリカは最初の頃は日本とフィリピンなどしか防衛せず、台湾や朝鮮半島などの旧日本の植民地であったところは『その土地に住んでいる人に任せておけ』という朝鮮半島のことを見捨てたも同然な対応を取っていました。
さらに、この頃の韓国軍の装備はソ連の兵器などを援助してもらった北朝鮮軍とは比べものにならないほどに貧弱なもので北朝鮮の猛烈な攻撃に耐えることができませんでした。そのため、韓国は一時は朝鮮半島の南東の都市である釜山まで追い詰められ韓国は崩壊寸前でした。
(破壊されたソウル市内の様子 出典:Wikipedia)
しかし、この状況をみてまずいと思ったアメリカはようやく韓国に援助を行い軍事介入を始めていきます。
(アメリカ参戦 マッカーサー"右から2番目" 出典:Wikipedia)
そしてGHQ総司令官としても知られているマッカーサーによってソウル近くの仁川というところへの上陸作戦に成功すると一気に逆転。
逆にアメリカを始めとする国連軍によって朝鮮半島の北の端にまで北朝鮮軍を追い込みます。
③中国の参戦と休戦
しかし、この土壇場で北朝鮮は同じく社会主義国であった中国に援助を頼み込み、中国は
抗美援朝
(美国に抗って朝鮮を援助するという意味。ここにおける美国はアメリカのこと。米国ではないよ)
をスローガンに北朝鮮に圧倒的な支援を行い、再び北朝鮮と韓国の国境線である36度線のところまで前線を押し込み再び形勢はふりだしに戻りました。
結果、両軍36度線付近で膠着し始め1953年にソ連のスターリンがなくなると板門店というところで休戦協定を結び朝鮮戦争は一旦終わりを迎えました。
(休戦協定締結の様子 出典:Wikipedia)
朝鮮戦争の被害の概要
朝鮮戦争は北朝鮮29万人、中国軍13万5000人が戦死。毛沢東の長男もこの朝鮮戦争で亡くなっています。
一方、韓国28万人、アメリカ4万人、そのほか国連軍合わせて1800人が戦死してしまいます。
朝鮮戦争は痛み分けという形で終わりましたが、さらにその上で民間人が北朝鮮、韓国合わせて167万人という朝鮮半島に多大なる被害を出してしまいました。
※推計は発表者によって数値にかなりの差があります。
朝鮮戦争の日本への影響
朝鮮戦争において一番利益を得たのがかつて朝鮮半島を支配していた日本でした。
朝鮮戦争において日本はアメリカの前線基地としての役割を果たしており、また、朝鮮戦争で使う武器や兵器などは日本から発注していました。
そうなると日本の製品は飛ぶように売れ、作ったら作った分だけ儲かるという大フィーバーがおこります。
これを特需景気といいますが、この特需景気によって第二次世界大戦でボロボロとなっていた日本は一気に復活。1950年代に入ると高度経済成長に突入して『もはや戦後ではない』と言われるほど日本の経済力は増え続けました。
第一次世界大戦の時には大戦景気に沸き、第二次世界大戦においては空襲によって産業が破壊され、朝鮮戦争では再び日本の産業が復活する。戦争というのは皮肉なものです。
朝鮮戦争後の世界『分断される国々』
(ベルリンの壁 左側:東ベルリン 右側:西ベルリン 出典:Wikipedia)
朝鮮戦争が休戦状態に入ってもアメリカとソ連の対立態勢はそのままでした。
冷戦によって分断されてしまった国は朝鮮半島だけではなく、ドイツやベトナムなども分断されています。
ドイツの場合はソ連支配地域は1949年にドイツ民主共和国(東ドイツ)、アメリカ、イギリス、フランス支配地域などはドイツ連邦共和国(西ドイツ)といて成立し、1960年には2つに分けられていたベルリン市内にベルリンの壁が建設されてしまいます。このベルリンの壁は1989年の崩壊まで冷戦を象徴するものになっていくのですがそれはまた別の話。
一方、ベトナムでは北緯17度線を境に北には共産主義国であるベトナム社会主義共和国、南には資本主義国であるベトナム共和国が誕生することになります。
この二国はのちにベトナム戦争という形で朝鮮戦争のような戦争が起きることになるのですが、それはまた別の話。
まとめ
・朝鮮戦争とは1950年から起きた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)との間で起きた戦争のこと。
・朝鮮戦争は1945年以降アメリカとソ連で分断されていた。
・朝鮮戦争はソ連や中国は北朝鮮の支援をし、韓国にはアメリカなどの国が支援していた。
・朝鮮戦争によって日本は朝鮮特需という一大好景気に突入し、日本の産業は復活した。