日本史関連のテレビや映画に出てくる武士、日本の文化紹介でよく見かける、ちょんまげ。

 

今の時代にはそぐわないヘアスタイルですが、日本史関連のメディアではもはやおなじみのへスタイルなので、違和感は少ないかと思います。

 

ですが、違和感が少ないとはいえ、現代人から見たら「何であんなヘアスタイルしていたの?」っていう疑問もわいてきますよね。

 

今回は、武士のちょんまげ文化について、掘り下げていきたいと思います。

 

ちょんまげとは?

(1890年職人のちょんまげ 出典:Wikipedia)

 

ちょんまげというのは元々、江戸時代に髪の毛の少なくなった老人がやるような、小ぶりの髷のことを指します。

 

“ちょん“というのは、「ゝ(ちょん)」の字の様に見える髷(まげ)という名前の由来があります。

 

だからちょんまげと言うのかと思うと、納得ですよね。

 

ちょんまげとは?その歴史に迫る

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ちょんまげは、江戸時代に流行した髪型であるのは間違いありません。

 

ですが、いきなり江戸時代に流行したわけではありません。

 

その起源は更にさかのぼり、なんと飛鳥時代にルーツがあったのです。

 

①きっかけは帽子のムレ防止

日本では、古代に中国から様々な文化がもたらされてきました。

 

髷と何の関係があるのかと言うと、飛鳥時代にもたらされた「冠」をする文化に端を発しています。

 

この時代から、貴族の間では冠や烏帽子(えぼし)を被る文化が広まっていきました。

 

当時の烏帽子は漆を塗って形を整えており、通気性がなかったのです。

 

その為、頭がムレてしょうがなかった、当時の貴族たち。そこで、烏帽子を被った際のムレを防止するために、髷の原形である髻(もとどり)というヘアスタイルが開発されます。

 

髻とは、現代のポニーテールに近く、髪を後頭部で束ねるヘアスタイルです。

 

流行はやがて貴族から武士へムレ防止ヘアスタイルが降りてくる

ムレ防止のための髻が貴族の間で流行っていましたが、平安時代末期にもなると、貴族だけではなく、武士へと髷文化が広がってきます。

 

平安時代末期と言えば、鎌倉時代への時代の転換期。鎌倉時代と言えば、武士の台頭ですよね。

 

当時、通気性に乏しい兜を被って戦う武士たちにとっても、ムレは最大の敵でした。

 

その為、武士が戦へ出る際、前頭部から後頭部にかけて髪を剃り上げて、兜を装着し始めたのです。

 

反り上げた部分は月代(さかやき)、結った部分をと呼ぶようになります。

 

ムレ問題は、昔から深刻だったんですね。

 

これこそが、私たちの良く知る“ちょんまげ”の発端なのです。

 

③戦国時代で髷スタイルが定着

時は戦国時代。戦国時代は、最も兜を必要とする時代でしたよね。

 

やっぱりここでも、月代に髷のちょんまげスタイルが戦国武将の間で定着していくこととなるのでした。

 

戦国時代でのちょんまげスタイルと言うのは、あくまで戦時のみ。

 

戦のない時は行っていませんでした。

 

④江戸時代、庶民へ定着する髷スタイル

戦乱の世が終わり、時は江戸時代へ移り変わります。

 

兜を被ることのなくなった戦のない江戸時代に、どうしてちょんまげスタイルが定着したのでしょうか。

 

戦がなくなった武士たちは、戦もないので髪の毛を伸ばし放題だったとされています。

 

そんな武士の姿をみて、不潔!と思った江戸の庶民たち()次第に、だらしない武士たちへのまなざしは厳しいものとなりました。

 

そこで武士たちは、日常でも月代に髷のスタイルで過ごすことにしました。

 

確かに、そのほうが清潔感もありますし、ピシッとした姿の方が好感度も上がりますもんね。

 

こうして、日常でも月代に髷のちょんまげスタイルが確立していきました。

 

そんな姿を見た庶民たちも、次第にそのちょんまげスタイルをマネするようになったのです!

 

庶民に髷スタイルが下りてきたことにより新たな髷スタイルが誕生

 

かつての貴族や武士たちが、ムレ防止のために生み出した髷スタイルですが、庶民に降りてきた途端、“かっちりしていて、しゃらくさい!”となってしまうのです。

 

流石は江戸っ子、髪型を気にしていたというではありませんか!

 

彼らは、ヘアスタイルにも敏感だったようです。

 

このことから、独自の髷スタイルが誕生し、髷文化が花開いていくのです。

 

①銀杏髷(いちょうまげ)

これが、庶民が開発したポピュラーな髷スタイル。私たちが普段言っている“ちょんまげ”に一番近いスタイルなのです。

 

髷を折り返した先を、銀杏の葉っぱの様に広げたことから、着いた名称です。

 

身分によって若干違いはあり、武士は大銀杏、町人は小銀杏、浪人は浪人銀杏という名称もあるようです。

 

武士は、髷を長くし、月代を狭くしていたのに対し、町人は髷を小降りに、職人は太く仕上げていました。

 

また、浪人は月代が無い代わりに、銀杏髷を結っていたことから、浪人銀杏という名前がついています。

 

②本多髷

本多髷は、相手に柔和な印象を与える、髷スタイル

 

月代を広くし、髷はネズミのしっぽの様に細くなっているのが特徴です。この髪型だと、遊郭で爆モテだったそうです。

 

③おまけ・茶筅髷(ちゃせんまげ)

厳密に言うとちょんまげではないので、おまけとしてご紹介します。

 

これは江戸時代にはなかった髷ですが、戦国時代で名を馳せた、織田信長の若かりし頃の髷スタイルがこちら。

 

月代を作らず、髪を紐で巻き上げたら、毛先をツンツンさせた髷スタイルです。

 

毛先がツンツンしているのが、茶筅の様に見えたことから、このように名付けられたんだとか。

 

寝るとき大変そう!どうしていたのか?

 

こんなに大流行していた髷ですが、寝る時ってどうしていたんでしょうか。

 

実は、そのまま寝ていたそうです!

 

寝るときに頭を横にすると、折角のちょんまげスタイルが崩れてしまいますよね。

 

そのため、ちょんまげ崩れ防止に、首の下に箱枕という高い枕を当てて寝ました。

 

髷スタイルを維持するために、枕を高くしようと考える江戸時代の人たちには、脱帽ですよね。

 

髷はどうやって維持していたの?

 

これも、ちょんまげを見ていると、疑問に思うことですよね。

 

将軍や大名、武士の様に、お金がある人の場合は、頻繁に結いなおしをすることが出来ました。

 

しかし一般庶民は一度髷を結ったらしばらくはそのまま。型崩れしないように、びんつけ油でカッチカチに固めていたんです。

 

しかし、油の質は現代のスタイリング剤の様に良いものではなかったので、ダマになっていたり、ゴミが付いてたりしていたそうです。

 

そう考えると、髷も良いんだか悪いんだか…となりますよね。

 

しかし、当時の庶民の間でも大流行した髷スタイル。

 

江戸っ子たちはそんな細かいこと、気にしなったのでしょう!

 

まとめ

 ちょんまげというのは、江戸時代に、髪の毛の少なくなった老人がやるような小ぶりの髷のことを指す。

 “ちょん“というのは、「ゝ(ちょん)」の字の様に見える髷(まげ)という名前の由来がある。

 ちょんまげの起源は飛鳥時代。烏帽子内のムレ防止のために髪を結いあげることがきっかけだった

 私たちの知る、あのちょんまげが本格的に始められたのは平安時代末期。兜を着用する武士のムレ防止のためだった。

 戦国時代で月代に髷の髷スタイルが確立。しかし、戦時のみだった。

 戦以外で髷スタイルをしていなかった武士たちを見て、江戸っ子たちの批判の嵐。これにより武士たちが日常的に月代に髷の髷スタイルをすることとなり、庶民にも浸透した。

 庶民たちにより、様々な髷スタイルが誕生していく。

 寝るときも髷はほどかず、枕を高くして寝ていた。

 将軍や大名、武士たちは頻繁に髷の結いなおしを行っていたが、結いなおしを頻繁に行えない庶民は、髷を油で固めていた。

 庶民の髷は整髪剤の油のダマがついていたり、ゴミがついていたりが日常茶飯事だった。そんなことを気にしない程、髷は浸透し、明治時代まで大流行していった。




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