【金銀比価問題とは】わかりやすく解説!!意味は?幕末の日本。海外に金貨が流出!

 

金銀比価問題は幕末期に起こった貿易問題です。

 

日本史なのに数字の話が出てきて数学が苦手な人はちょっと遠ざけてしまうような問題ですが、数字はさほど重要ではありません。

 

今回は、金銀比価問題の影響、原因などをわかりやすく解説していきます。

 

金銀比価問題とは

 

日本は安政の五か国条約をもって開国しました。

 

その際に日本と外国で金銀の交換比率が違ったことから、日本から大量の金が流出してしまった問題のことを言います。

 

金銀比価問題の背景

 

 

鎖国体制について簡単におさらいしたいとおもいます。

 

鎖国とは文字通り国を封鎖すること、つまり他国と国交を持たないことをいいます。

 

しかし、交易はしていました。幕府は長崎を窓口としてオランダと清、対馬藩を窓口として朝鮮、薩摩藩を窓口として琉球王国、松前藩を窓口としてアイヌと交易をしていました。

 

 

鎖国政策で一番よく知られる要因としてキリスト教や、スペイン・ポルトガルなど幕府に反する思想を持つ宗教や国とのかかわりをなくすことが挙げられるでしょう。

 

しかし、鎖国の意図は他の藩が貿易によって富を築き幕府にたてつかないようにするところにもあったのです。

 

幕府には自身が直轄地である長崎で貿易を独占することで、貿易による富を集中させたいという思惑がありました。

 

鎖国政策は幕府の強力な貿易統制システムといえるため、国政上の問題があったときには幕府側から貿易を自由に統制できました。

 

例えば、1715年に江戸幕府が定めた海舶互市新例が挙げられます。当時の日本はや銅が主要な輸出品目でしたが貿易額が増加していく一方で国内の銀の産出量は減っていきました。そのため、幕府は海舶互市新例を定めて日本から流出する銀の量を制限していたのです。

 

100年間その体制をずっと維持し続けて貿易していたため、日本の一般人はもとより幕府でさえも金銀比価に関する観念は強く持ち合わせていなかったとまで言われています。

 

金銀比価問題の発生

 

日本は安政の五か国条約をもって開国しました。ここで安政の五か国条約を少し見てみましょう。

 

安政の五か国条約には条文と貿易章程が添えられています。有名な条文は「領事裁判権を認める」、「関税自主権がない」ですが「自由貿易を行う」という条文も大事です。

 

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先述の通り日本では貿易統制を敷いていましたが海舶互市新例のように銀の流出を抑えるような法律も自由貿易のもとでは役に立ちません。もちろん、金と銀の交換について規制する条文なんてなかったのです。

 

さらに100年という時間のせいで金銀比価に対する問題意識は幕府にはありませんでした。

 

日本の金銀比価はおよそ金:銀=1:5でしたが、外国の金銀比価は金:銀=1:15です。

 

数字だけいわれてもなんのことかさっぱりだと思います。単純化していいましょう。日本では銀貨5枚で金貨1枚と交換できます。外国では金貨1枚手に入れるのに銀貨が15枚も必要です。外国商人からすれば本国で銀貨15枚を使っても金貨は1枚しか手に入りませんが、日本で交換すれば金貨3枚も手に入るのです。そして、それを本国に戻って金貨3枚を交換すれば銀貨は45枚にもなります。銀貨15枚が銀貨45枚に増えました。

 

外国商人がこんなお得な情報を見逃すわけがありません。金銀比価の違いを発見した外国商人は日本で金と銀を交換し大量の金が日本から流出していきました。これが金銀比価問題です。

 

金銀比価問題への幕府の対策『貨幣改鋳』

(万延小判の発行 出典:Wikipedia

 

 

さすがの幕府も大量に金が流出し始めて金銀比価問題に気づきました。

 

日本から大量に金が流れては日本全体の富が減ります。日本は外国にどんどんお金を奪われ貧乏人になっているも同然の状況でした。

 

そして、幕府がとった対策は貨幣改鋳です。つまり現存の小判が含有する金の数を減らして外国の金銀比価に揃えようとしたのです。

 

そして、出来たのが万延小判です。万延小判を作ってから確かに金銀比価はほとんど等しくすることに成功し金のさらなる流出は抑えることができました。

 

貨幣改鋳を行った影響

①日本経済は大混乱

しかし、貨幣改鋳の影響は国内経済に大きな影響を与えました。

 

金の含有量が減るということはそれだけ小判の価値は低下するということです。結果、貨幣の価値が下がり深刻なインフレーションが発生しました。

 

例えば今まで100円で食べることができた寿司が貨幣改鋳後は1000円の価値になっているような状況です。もちろん日本経済は大混乱を起こしました。

 

②攘夷運動の激化

もちろん経済界の大混乱は経済界にとどまりません。

 

金銀比価問題に端を発した貨幣改鋳は経済の混乱から社会不安に及びました。外国との貿易が原因で社会の混乱を招いたことは当時盛んであった外国人排斥運動である攘夷運動を激化させる要因の1つになりました。

 

実際に生麦事件イギリス公使館焼き討ち事件(ともに1862年)が発生し、生麦事件にいたっては処理が失敗して薩英戦争にまで発展しています。

 

 

また、長州藩も四国艦隊下関砲撃事件1864年)を引き起こすなど他国との武力衝突を起こす原因の一つとなったのです。

 

 

そして攘夷運動の激化は最終的には討幕運動にもつながります。

 

③文化へも影響

さらに社会不安は文化的な影響も残しました。社会不安が発生すると人間は救済を求めます。

 

過去においても疫病や飢饉など社会問題が起こると比叡山に参拝したり、貴族がこぞって寺社を建造したことは知っていると思います。

 

江戸時代でも新興宗教が民衆からの支持を集めました。それが天理教金光教黒住教です。

 

また、宗教に頼らず世直しを期待した民衆の中には、世直しを掲げた百姓一揆や打ちこわしが起こるなど大きく混乱を引き起こしました。

 

 

以上が金銀比価問題についてです。

 

金銀比価問題はただの金の流出問題と思っていた人もいるかもしれませんが、日本の政治を大きく変える要因の1つになったであろうと思われるくらいには大きな問題でした。

 

金銀比価問題は貨幣改鋳の影響もあわせて押さえておきたいところです。

 

まとめ

・日本は開国するまで海舶互市新例を定めるなど強力な貿易統制を敷いていた。

・安政の五か国条約を結んでから日本は条約国と自由貿易をするようになった。

・金銀比価は日本が金:銀=1:5、外国が金:銀=1:15。

・金銀比価の違いから日本から大量に金が流出した。

・金銀比価をそろえるために貨幣改鋳をして金の含有量の少ない万延小判を作った。

・貨幣改鋳は経済の混乱を引き起こし社会不安も引き起こした。

・社会不安が攘夷運動を激化させる要因にもなった。

・社会不安は民衆にも影響を与え新興宗教、世直し運動のきっかけにもなった。