GHQ統治下にあった終戦直後の日本では、戦争によるダメージを受けた日本経済を早期に復興させるため、アメリカがGHQを通して、次々と経済政策を打ち出していきました。

 

経済安定9原則とドッジラインは、そうした経済政策の基本をなすものです。

 

今回は、『経済安定9原則とドッジラインの違い』について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

経済安定9原則とドッジラインの違い

 

経済安定9原則とは、アメリカが1948年12月、日本が取るべき経済政策を9項目にまとめ、GHQを通して吉田茂首相に示したものです。そこでは、予算の均衡、徴税強化、賃金安定、物価統制などが主張されました。

 

他方、ドッジラインとは、翌1949年2月、訪日したGHQ財政金融顧問のジョゼフ・M・ドッジが、経済安定9原則にしたがって、具体的な経済政策を取りまとめ、吉田茂首相に示したものです。

 

ドッジラインは日本の財政再建を実現する反面、深刻な不況と社会不安をもたらしましたが、その直後に勃発した朝鮮戦争により、日本経済は新たな局面へと突入しました。

 

当時の時代背景

連合国軍最高司令官総司令部が入った第一生命館(1950年頃撮影)

(連合国軍最高司令官総司令部 出典:Wikipedia)

 

1945年8月の終戦以降、日本はアメリカ率いる連合国が設置した連合国最高司令官総司令部(GHQの占領下で、戦時中の総力戦体制により壊滅的な打撃を受けていた国内経済の建て直しを目指していました。

 

 

それと並行して1946~48年には極東国際軍事裁判(東京裁判)が行われ、その判決により、多くの政治指導者や官僚たちが公職追放の処分を受けました。

 

しかし、日本の官僚システム全体は戦前からほぼそのまま受け継がれたので、その点ではスムーズに経済復興の問題に取り組むことができました。

 

ところが、1948年時点の日本では復興資金を確保するため、政府が「復興金融債」と呼ばれる債権を大量に発行し、その大半を日本銀行が引き受けるという状況が起きていました。

 

その結果、日本銀行が大量の日本銀行券(紙幣)を増発し、生産が回復するスピードよりも、通貨が増発されるスピードの方が上回ってしまったため、激しいインフレが起こりました。

 

このインフレを解消しないかぎり、日本の経済復興は達成されません。これが当時の日本政府、そして日本政府を統括するGHQの課題でした。

 

経済安定9原則の発足

Shigeru Yoshida suit.jpg

(吉田茂 出典:Wikipedia)

 

そうした状況下で、1948年12月、アメリカがGHQを通して吉田茂内閣に命じた対インフレ政策の基本方針が、経済安定9原則です。

 

①経済安定9原則の内容

経済安定9原則は、以下の9項目から成り立っています。

 

まとめ

 

(1)財政支出を厳しく引き締め、国家予算の歳入・歳出の均衡を図ること。

(2)徴税計画の実施を促進・強化し、脱税者に対しては徹底的に刑事訴追すること。

(3)融資を経済復興に貢献する事業に限定することで、信用拡張に限定を設けること。

(4)労働者の賃金を安定させること。

(5)物価統制を強化すること。

(6)外国貿易を統制する事務を改善し、外国為替の統制を強化すること。

(7)輸出貿易振興のために資材割当てをし、配給制度を効率化すること。

(8)重要な国産原料や工業製品の生産を拡大すること。

(9)食糧集荷計画の効率化を図ること。

 

 

②経済安定9原則の狙い

アメリカがこうした経済安定9原則を通して、急速に日本経済の復興を促したのには、2つの狙いがありました。

 

1つは、「1ドル=〇〇円」という単一為替レートを設定できるようにするための条件を整えることでした。そのためには、1948年時点の日本で起こっていた激しいインフレを早期に収束させなければいけません。

 

もう1つは、アメリカを中心とする資本主義勢力と、ソ連を中心とする共産主義勢力の間で起こっていた冷戦が激化したことを受けて、アメリカが日本を資本主義勢力に取り込むため、対日占領政策を転換し、日本の経済復興を加速させようとしたことです。

 

 

実際、1948年7月に開かれた、アメリカの国家安全保障会議では、日本の経済復興を対日政策の基本方針とすることが決定されていました。

 

経済安定9原則もこの方針に沿うものでした。

 

ドッジラインの導入

(ジョゼフ・ドッジと大蔵大臣の池田勇人 出典:Wikipedia)

 

そして、1949年2月には、デトロイト銀行頭取のジョゼフ・M・ドッジがGHQ財政金融顧問として来日し、経済安定9原則に基づいた具体的な経済財政政策を取りまとめ、GHQを通して吉田茂内閣に示しました。

 

これが「ドッジライン」と呼ばれるものです。

 

①ドッジラインの内容

ドッジラインの内容は、1949年3月7日にドッジが日本内外の記者団と会見した中で、明らかにされました。その基本ラインは、経済安定9原則を具体化することにありました。

 

では、具体的にはどのような内容だったのでしょうか?ドッジラインに沿って実施された主な政策を見ていきましょう。

 

まず、税制改革に関しては一般会計だけでなく特別会計も含めた総予算の均衡を図るため、日本の税制の問題点を指摘したシャウプ勧告に基づき、直接税中心の税制を確立しました。

 

次に、財政支出の削減と予算の均衡に関しては特別会計の分も含めてすべての補助金を洗い出し、整理・削減することを推進しました。

 

その結果、例えば・・・鉄鋼、石炭、肥料などの基礎的な物資について、供給者価格が消費者価格を上回る場合に、その差額を国庫から支出していた補助金である「価格差補給金」が、1949年度の予算で大幅に整理・削減され、1951年度までに全廃されました。

 

さらに、インフレ対策に関してはその主な原因となっていた復興金融債の発行を停止し、1949年度以降は債権の回収に専念することで日本銀行券の大量増発を抑え、インフレの進行を防ぎました。

 

また、アメリカからの援助物資の払い下げ代金を新設した「見返り資金特別会計」に集中させ、それを復興金融債の償還原資として運用しました。

 

そのほか、傾斜生産方式から集中生産方式への転換、封鎖経済体制から開放経済体制への移行が重要政策として打ち出されました。

 

②ドッジラインの影響

ドッジラインとして打ち出された経済財政政策により、財政支出の削減が徹底的に行われ、予算の均衡という面では1949年度にはすでに黒字予算を達成することになりました。

 

また、インフレの影響で高騰していた物価は1949年初頭をピークに急速に下落し、安定に向かっていきました。

 

そのおかげで、1949年4月25日「1ドル=360円」という単一為替レートを設定することができるようになりました。この為替レートは、1968年まで続きました。

 

 

しかし、その反面、1949~50年にかけて深刻な不況が発生し、中小企業の倒産や大規模なリストラが相次ぎました。

 

中でも、国鉄の公社移行に伴う10万人のリストラは、下山事件松川事件といった怪事件を引き起こす要因となり、大きな社会不安を巻き起こしました。

 

その後の日本

 

ドッジラインの実施で深刻な不況と社会不安に襲われた日本経済。

 

しかし、その後の1950年6月に勃発した朝鮮戦争でアメリカ軍が日本に大量の軍事物資を発注したことにより、朝鮮特需がもたらされ、一気に好況へと転じます。

 

こうして日本経済は新たな局面へと突入することになりました。

 

まとめ

まとめ

 

 経済安定9原則とは、アメリカが1948年12月、日本が取るべき経済政策を9項目にまとめ、GHQを通して吉田茂首相に示したもの。

 

 経済安定9原則には、予算の均衡、徴税強化、賃金安定、物価統制などが含まれていた。

 

 ドッジラインとは、経済安定9原則を具体化したもので、GHQ財政金融顧問のジョゼフ・M・ドッジが策定し、吉田茂首相に示した。

 

 ドッジラインは日本の財政再建を実現する反面、深刻な不況と社会不安をもたらした。

 

 だが、その直後に勃発した朝鮮戦争により、朝鮮特需がもたらされ、日本経済は新たな局面へと突入した。

 

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