【戦後の日本の暮らし】衣食住や経済の復興についてわかりやすく解説!!

 

 

戦後から現在までの約74年間、日本ではいろんな出来事や事件、そして生活の変化が起こりました。

 

そこで今回はそんな戦後の日本の生活についてわかりやすく解説しています。

 

昭和20年~30年までの日本の暮らし

①すごく貧乏だった戦後まもない日本

戦争が終わった1945年、この頃の日本はアメリカの空襲による産業の破壊、戦争による莫大な死傷者、そして貧困などかつてアジア唯一の先進国と呼ばれていた日本の姿は見られなくなっていました。

 

空襲で焼けた家の代わりにバラックという臨時の家に住んでそこで生きるか死ぬかの状態をさまよっていました。

 

そんな日本で流行ったのが闇市

 

 

(新橋にあったヤミ市 出典:Wikipedia

 

 

普通では買えない服も闇市ならば高い金を払わなければいけないものの、必ず買えるというものでした。

 

この頃の日本国民は国から認められていない闇市で買うほど生活に困っていたのです。

 

②共産主義と朝鮮戦争による復興

そんな中流行ったのが共産主義

 

まぁ、貧困で喘いでいる国のほとんどが共産主義が流行るというジンクスがありますからこの流れは不思議ではありません。

 

しかし、この頃日本を占領していたアメリカは共産主義を敵視しており、なんとか日本が共産主義に染まることがないようにしようと必死でした。

 

また、この時期お隣の朝鮮では朝鮮戦争が勃発しておりアメリカは韓国を支援するため日本を利用。日本の需要がどんどん上がりアメリカの支援も受けながらなんとか戦後復興への道を歩んでいきました。

 

 

昭和30年~50年までの日本の暮らし

(昭和40年代に日本 出典:Wikipedia

①生活が良くなっていった時代

朝鮮戦争の特需によってなんとか復興の道を歩み始めた日本。

 

この頃の日本人の生活は戦前とほとんど同じレベルに達して『もはや戦後ではない』という名言も生まれました。

 

 

今の時代では当たり前にある白黒テレビ・電気冷蔵庫・洗濯機などは1955年から1960年に国民の間に普及して三種の神器とも言われるほど家庭に身近な存在となっていきます。

 

そして日本では団地という国民に人気のある住宅が生まれていきました。

 

団地は今でもあるマンションの集合体みたいなものですが、この団地には当時国民の憧れの的であった家電製品や洋室などが備わっており、競争率も非常に高かったようです。

 

また、この頃の洋食が普及。コロッケやオムライスが食卓に並ぶようになり、また洋服を着るようになるなどアメリカなどの海外に憧れる人も少なくありませんでした。

 

ちなみにこの頃流行ったものの代表的な言葉に『巨人・大鵬・卵焼き』という言葉があります。

 

巨人は皆さんご存知読売ジャイアンツ、大鵬はこの頃人気だった大横綱、卵焼きは子供からしたらとても嬉しい家庭の味であり、それぞれ子供が大好きだったものでした。

 

②東京オリンピックによる建設ラッシュ

(東京オリンピック 出典:Wikipedia)

 

 

そしてそんな日本の復興と発展を象徴する出来事が1964年の東京オリンピックでした。

 

東京オリンピックに合わせて新幹線や高速道路がどんどん整備されていき、また日本の首都である東京周辺は建物などの建設ラッシュが始まっていました。

 

さらにこの頃になると白黒テレビ・電気冷蔵庫・洗濯機の三種の神器はもう古く、代わりにカラーテレビ・クーラー・車の3Cが国民の憧れの的になりました。

 

そして70年になると大阪府にて万博が開催。この頃は最先端だった携帯電話や今では駅や空港に当たり前にある歩く歩道など国民をワクワクさせるいろんなイベントが立て続けに起こった時代でもあったのです。

 

昭和50年~平成元年までの日本の暮らし

①この頃の生活

1980年、戦後35年を迎える時代に入ると戦後直後の様子はいざ知らず。

 

日本はGDPが2位となり、また国民の生活は安定。オイルショックなどの事件がありながらもどんどん日本は発展していきました。

 

この頃人気を博したのが松田聖子や山口百恵などのアイドル。聖子ちゃんカットなんてのは80年代に学生だった人は懐かしく感じられるはずです。

 

また、原宿などでは竹の子族という歩行者天国などでラジカセを担ぎながら踊っていたそうです。

 

今考えるとダサい思いますが、まぁ、昔ですからね。

 

②豊かになる日本、そしてバブルへと

この頃の日本は安定成長期という昔みたいな高度経済成長期ほどではないものの、経済が発展している時期であり会社ではパソコンやワープロが普及。オフィスのIT化がどんどん進んでいきます。

 

また、この頃日本にマクドナルドやKFCなどのファーストフード店が進出。

 

さらにコンビニエンスストアも同じ時期に日本に普及していき今につながる状態が生成されていきました。

 

そして1985年に入るとプラザ合意という日本の円高を推進させた国際会議をきっかけとしてバブル景気が到来。バブル時代が始まりました。

 

③バブルの頃の日本

バブル期とも言われている1987年から1991年までの日本はそれはそれは今ではとんでもない驚きの実態だらけでした。

 

例えばこの頃の就職活動は就職希望者が行くのではなく、企業が取るものでありその希望者達は企業に接待されるかのような状況だったそうです。

 

また、この時期にイタ飯などの海外ブームが訪れ、日本人はバブルで得た資金を元手に有名な海外の高級ブランドを次々とお買い上げ。

 

ハワイやヨーロッパにも旅行する人が増えて国民は浮かれまくっていました。

 

ちなみに、この頃を象徴するデザートにティラミスがあります。イタ飯の流行によって自動的にイタリアのスイーツとして流行ったみたいだそうで、またジグゾーパズルを完成させて家に飾ることも流行ったそうです。

 

平成元年~平成15年までの日本の暮らし

①平成不況とナウい時代

こうして巻き起こったバブル時代でしたが、こんな好景気は長くは続かず1991年にバブルは崩壊

 

 

日本はバブル時代の浮かれ具合は嘘のように無くなり、平成不況と呼ばれる長い経済低迷が始まるのでした。

 

そんな時代に日本で行われたのがいわゆるゆとり教育というものです。今でもこの時期に学生だった人はゆとり世代と呼ばれていますね。

 

それが原因になったのかは定かではありませんが、1990年後半になると新宿や渋谷などではコギャルというぶかぶかのルーズソックスや茶髪、そして丈の短いミニスカートなどをきた女性たちが街中でたくさんいました。

 

ちなみにこの服装が流行したきっかけを作ったのがあの2018年に引退した歌姫である安室奈美恵だったのです。この時代から活躍していたんですね。

 

また、そんなコギャル以外の真面目な人もWindows95の発売によるパソコンの爆発的普及。任天堂のスーパーファミコン、SEGAのセガサターン、そしてソニーのプレイステーションなど今にも続くサブカル文化にハマっていったのです。

 

もし、パソコンを使い過ぎて電話代がバカにならないぐらいの高額請求されたことがあるのであれば立派な90年代の人ですよ。

 

平成15年~現在の日本の暮らし

 

 

こうして時代は現在へと至りますが、2000年に入ると日本では今まで普及していたポケベルに変わってJ-PHONEが普及。

 

携帯電話を一人一台持つ時代が到来し、またインターネットの普及によるニコニコ動画やYouTubeなどのインターネット動画サービスにハマる人が続出する人がちらほら現れます。

 

また衣食住でも多様化が見られるようになり現在ではいろんな文化に触れ合えるグローバル化が進んでいっている時代でもあります。

 

 

日本は戦後まもなく何もない苦しい生活から、誰もが予想していなかったほどの急成長を遂げ、豊かな生活へと変化していきました。

 

まとめ

 戦後最初の日本は貧困にあえいでいた。

 朝鮮戦争による特需やアメリカの援助で経済が建て直されると日本は三種の神器という家電や団地という新しい生活スタイルが確立されていった。

 1964年に東京オリンピックが開催されると東京中心に建設ラッシュが始まり、三種の神器に変わる3Cという家電が流行した。

 バブル時代になると日本はお金に物を言わせて海外ブームが起きた。

 平成時代に入ると日本は不景気となり、ゆとり世代やコギャルなどの新しい文化が形成されていった。

 今の時代ではネットの普及などによるグローバル化が進み衣食住の多様化が見られるようになった。