江戸時代の農村の生活というのは、試験勉強でも頻繁にできますよね。
百姓の中にも、いろんな名称が出てくるものだから、覚えるほうもなかなかハード。
さらにそこに、地主や小作人が出てこようものなら、もう混乱間違いなしですよね。
今回は、本百姓・水呑百姓・地主・小作人の違いについて、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。
目次
本百姓・水呑百姓・地主・小作人の違い
では、この本百姓・水呑百姓・地主・小作人ですが、それぞれどのような違いがあるのでしょうか?
最初に簡単にまとめてみましたので、ご覧ください。
それぞれの違い
✔ 登場する時代が違う
本百姓・・・江戸時代前期
水呑百姓・・・江戸時代前期
地主・・・江戸時代中期
小作人・・・江戸時代中期
✔ 働き方が違う
本百姓・・・自分の所有する土地で農業を行う人
水呑百姓・・・本百姓の元で働く人
地主・・・土地を小作人に貸し出す人
小作人・・・地主から土地を借りて農業をする人
✔ 年貢の納め方が違う
本百姓・・・自分の田畑を持っているため、年貢を納めていた
水呑百姓・・・年貢を納めていなかった
地主・・・年貢を納めていた
小作人・・・直接年貢を納めていなかった代わりに、年貢代込みの借地料を払っていた
✔ 本業か副業かが違う
本百姓・・・本業だった
水呑百姓・・・ほとんどが副業だった(本業が別に存在していた者も)
地主・・・本業だった
小作人・・・本業だった(地主から土地を借りる)
✔ 貧富が違う
本百姓・・・双方存在しているが、幕府が法律を出すほど疲弊していたことに間違いはなかった
水呑百姓・・・「水しか飲めない」百姓という意味だが、実は裕福なものも多くいたとされている
地主・・・土地を買い取っているので、貧困ではない
小作人・・・借金問題で土地を手放しているため、貧困層が多かった
本百姓について詳しく解説!
本百姓は、自分が所有する農地で耕作をする農民のことを指します。
ここが水呑百姓との違いというわけですね。
本百姓と水呑百姓は、主に江戸時代前半に登場します。
①本百姓は自分で年貢も納める
本百姓は、今でいう本業が農家の人たちのことを指しました。
つまり、自分で田畑を所持し、年貢も規定通りに納めていた百姓のことなのです。
それは同時に、年貢の負担で農村の疲弊があったということにもなるのです。
後述の小作人となったほうが、年貢の負担もしなくていいのでラクですよね。
②江戸幕府も対策を練っていた
①のことから、江戸幕府も本百姓の維持に力を入れていました。
その代表例が「田畑永代売買禁止令」という法律です。
これは、本百姓が田畑を手放して小作人になってしまうことで、農村が疲弊するのを防ぐのが目的だったのです。
またこの法律は、豪農による土地の占有を防ぐとともに、農民から移動の自由を奪ったともされています。
水呑百姓について詳しく解説!
水呑百姓(みずのみひゃくしょう)というのは、本百姓の下で働く百姓のことを指します。
本百姓がコンビニの店長なら、水呑百姓はその下で働くアルバイトのような存在です。
しかし、水呑というワードと百姓というワードがなかなか結びつかないですよね。
なぜ彼らは水呑百姓というのでしょうか。
それは本来、「水しか飲めないほど貧しい百姓」を指すからなのです。
本百姓と水呑百姓は、江戸時代前半に登場します。
①水呑百姓はアルバイト的存在
水呑百姓は、アルバイトのような存在。
その彼らには、年貢を納める義務はありませんでした。
彼ら水呑百姓はほかにも本業を持っていて、本百姓のお手伝いをして、お駄賃をもらっていたそうです。
②貧しい百姓だけではなかった?!農業は副収入?!
一説によれば、水しか飲めないような生活を送っていた百姓だけでではなかったようです。
なんと、裕福な水呑百姓もいたんだとか。なぜでしょう?
①でもお話のとおり、お駄賃をもらいながら本業もしていたというのですから、必ずしも極貧ではなかったということですね。
③小作人と水呑百姓は似ているようで違う!
①や②のことから、小作人と水呑百姓の間の違いも見えてきます。
水呑百姓はアルバイトと紹介しましたが、小作人と同じということですよね。
ですが、小作人側から見ると、水呑百姓とは違うんです。
小作人は後ほど紹介しますが、水呑百姓と同じく、年貢は納めませんが、地主に土地を借りるお金、借地料を払うんですよね。ここが大きな違いといえます。
地主について詳しく解説!
地主は、耕作する農地を持っていて、小作人に土地を貸し出す人のことを指します。
彼らは、本百姓が手放した土地を買い占め、それを小作人に貸していました。
地主と小作人は、江戸中期に現れます。
また、地主は全体にもその割合がかなり少なく、およそ15~20%ほどです。
小作人について詳しく解説!
小作人とは、自分の土地を手放し、地主などから土地を借り、農業をする農家のことをさします。
”小作”という農業の定義自体が、「ほかの人から土地を借りる」という定義であるため、そのような農業をしている農民のことを指します。
つまり、本百姓だった者が土地を手放せば、小作人というわけです。
小作人と地主は、主に江戸中期に現れます。
①水呑百姓と間違われやすいけど、微妙に違う!違いは借地料の支払い!
水呑百姓の時にもご紹介しましたが、小作人と水呑百姓は似て非なるもの!
小作人は、水呑百姓と同じく年貢を納めませんが、地主に農地を借りて農業を行います。
ですが、完全に年貢を納めないというわけではありません。
実は、地主の受け取る借地料の中に、年貢も込み込みなのです。
②小作人が増えたきっかけは貧富の差
小作人は、最初に挙げた通り、江戸時代中期に登場します。
この頃は農村の貧富の差が広がり、借金を返せない本百姓が現れてきます。
借金問題で田畑を失い、小作人になる農民が多くなったのです。
まとめ
✔ 登場する時代が異なる。本百姓と水呑百姓は江戸時代前期、地主と小作人は江戸時代中期に登場
✔ 働き方が異なる。本百姓は自分の所有する土地で農業を行う人。水呑百姓は本百姓の元で働く人のこと。地主は土地を小作人に貸し出す人のことを指し、小作人は地主から土地を借りて農業をする人のことを言う
✔ 年貢の納め方が異なる。本百姓は自分の田畑を持っているため、年貢を納めていた。水呑百姓は年貢は納めていたなかった。地主は年貢を納めており、小作人は直接年貢を納めていなかった代わりに、年貢代込みの借地料を払っていた。
✔ 本業か副業かが異なる。本百姓と地主、小作人は本業だったが、水呑百姓のほとんどが副業だった。本業が別に存在していた者もいたとされている
✔ 貧富が異なる。本百姓は双方存在しているが、幕府が法律を出すほど疲弊していたほどだ。
水呑百姓は本来、「水しか飲めない」百姓という意味だが、実は本業の傍ら、本百姓のもとで農業をしていた人物もいたため、裕福なものも多くいたとされている。地主は土地を買い取っているので、貧困ではないが、小作人は借金問題で土地を手放しているため、貧困層が多かった。