2019年も残す所後僅かとなり、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」が発表され、謎多き戦国武将明智光秀(あけちみつひで)を主人公とする作品に決定し、続々と主要キャストも発表されています。
明智光秀本人が大変謎多き人物ではありますが、先ず明智光秀の周囲の人物として思い付くのは、何と言っても主君織田信長です。
今回取り上げる土田御前(どたごぜん/つちだごぜん)は、明智光秀の主君織田信長の生母で織田信秀の正室にあたる女性です。
信長公像かと思いきや、織田信秀公と土田御前に抱かれる幼子の信長(吉法師)様という
ちょっと他では見ないものでした。 pic.twitter.com/9Dtn3tc5KR— 鳰 (@nioneko) August 14, 2013
あまり有名な人物では無いのでご存じの方は少ないかもしれませんね!
果たしてどのような人物なのでしょうか?それでは、見て行きましょう!
目次
土田御前の生涯
(四天王寺にある土田御前の墓 出典:Wikipedia)
果たして土田御前の生涯とは、どのような物だったのでしょうか?
残念ながら日本の歴史では、女性は表舞台で活躍する事が少なく、土田御前を始め女性の歴史はあまり残されていません。
その為、土田御前に関しても詳しい事は、いまひとつ分かっていない状態です。
名前は、土田御前で「どだごぜん」と呼ばれていますが、「つちだごぜん」とする説もあります。そのため、現在分かる範囲でのご説明となりますが、見て行きましょう!
土田御前の生涯年表
- 誕生年不詳
- 1534年以前 輿入れしたと推測される
- 1534年 信長を出産する
- 1536年 信行を出産する
- 1543年 信包を出産する
- 不詳 秀孝を出産する
- 不詳 犬の方を出産する
- 不詳 お市の方を出産する
- 1594年 死去
誕生年が不詳である事から、正確な年齢ははっきりとしない物の若くて美しい娘として知られていたと言う伝承があり、信長の誕生から死去迄60年も費やしている事から当時としては、かなり長生きだったのではないかと推測されます。
一体、彼女のどのような人生だったのでしょうか?詳しくひも解いていきましょう。
土田御前の人物像に迫る!
(土田城址近くの土田御前の像 出典:Wikipedia)
土田御前は、一般的には土田政久の息女とされて来ましたが、それを裏付けるはっきりとした記述は残されておらず、家系図にもはっきりと出てないない為、出自に関しては未だに謎が残されています。
その為、幾つかの説が取り沙汰されており、通説では土田政久の息女になっていますが違う可能性も高いようです。
出自は、おろか誕生年や本名輿入れ時期もはっきりとしておらず、幼少期の人物像に関しては全く分かっていません。実に謎多き人物です。
ただ、夫織田信秀には、土田御前以前に別の正室が居たとされている事や土田御前所生の子としての長子である信長が1534年の誕生とされているのでそれ以前の輿入れと推測されます。
①跡取り織田信長を出産!
1534年土田御前は、かの織田信長を出産します。
(織田信長 出典:Wikipedia)
信長は、幼名吉法師と名付けられます。
夫信秀には、信長誕生以前に既に庶子である信広が誕生していたとされていますが、正室所生の男子として始めての子である信長は、生まれながらに嫡男として扱われていました。
当時嫡男は、親元から離され家臣達によって帝王学を学びながら成長する習わしがあった事から、信長は早々に土田御前から離されます。
当然どのように養育されているのか話は、伝え聞いていたでしょうが、信長は赤ちゃんの頃から乳母の乳首を噛みちぎると言う粗悪な赤ちゃんだったようで、実母としては複雑な思いを抱いていた事でしょう。
実際それが原因で何人もの乳母が辞めて行ったと言われています。
ここで
【check!!】嫡男とは?
正室の生んだ最初の男子で正当な跡取りの事を言います。
先に側室が長男を生んでいたとしても、後に正室が男子を生めば正室の子が嫡男として扱われるのが普通でした。
その為、必ずしも長男=嫡男とは、限りません。
②その後もたくさんの子を出産する
嫡男となる信長を出産後も1536年、後に信長と一悶着を起こす弟信行を出産します。
信長の直ぐ下の弟である信行は、嫡男である信長とは、異なり両親の元で手塩にかけて養育されます。
その後、信包秀孝と続きお犬の方お市の方を生むも、信包お犬の方お市の方の生母が誰なのかははっきりとしておらず、定説では、土田御前の子とされていますが定かではありません。
後世の資料から信長と同母腹とはっきりとしているのは、信行と秀孝となっています。
同母腹=土田御前の子となりますが、信包に関しては、信長の一門の中でもかなり上位に扱われている事から、推測上同母腹だったのでは、無いかと言われています。
娘達に関しては、はっきりしない物のお市の方に関しては、通説では、信長と13歳年が離れていたと言われています。
ただ夫信秀は、息子12人娘13人をもうけたとされているので、側室もかなりの数が居たのでは、無いでしょうか?
③うつけの信長と優等生の信行
織田家中でも度々問題となったのが、嫡男である信長は、大うつけと称され、幼少期から度々悪戯や非行を繰り返し世間からかぶきものとして馬鹿にされていました。
(織田信長 出典:Wikipedia)
それに対し、弟の信行は品行方正な優等生として知られていました。
そうなると当然家中では、大うつけの信長より優等生の弟信行を跡目に付けようと言う勢力が発生しますね!
しかしそう願っていたのは、家中のみならず実母土田御前も同様でした。
実母土田御前は、離れて暮らし大うつけと噂される息子信長よりも自分の元で養育し、真面目な優等生である信行を溺愛していました。
幾ら我が子とは、言え良い噂の無い信長よりも品行方正な信行を溺愛するのは、当然の流れではありますね。
④壮絶な兄弟喧嘩の勃発
そのような流れの中信長は、父信秀の死去に伴い家督を継ぎますが、当然それに異を唱える家臣達は少なくありません。
その筆頭各であった柴田勝家は、信行を当主にする事を掲げ挙兵すると稲生で両者は激突します。
(柴田勝家 出典:Wikipedia)
結果は、信長の勝利に終わり、信行は居城の末森城に籠城しましたが城下町も焼き払われ結局実母土田御前の取りなしもあり、信行は、助命を嘆願して信長に謝罪します。
この時ばかりは、流石に実母土田御前の願いでもあり信行は許され、柴田勝家も以後は信長の事を認め、その後は終世信長の家臣として働きます。
しかし、その後も信行には不穏な動きがあり、数年後謀反の企てがあると噂された信行は、信長によって暗殺されるのでした…。
⑤信行死後の土田御前
溺愛していた息子信行が暗殺されるも先代当主の正室で、かつ現当主信長の実母である土田御前の立場は、決して家中でも低い物ではありません。
信行が生きていた頃は信行と共に末森城で暮らしていたようですが、死後は、信長の元に引き取られ信長の庇護下で暮らしたとされています。
晩年は、信長の子や出戻る事になったお市の方の子、つまり土田御前の孫達の世話をしながら平穏に暮らしたと言われています。
溺愛していた息子信行を殺害したのも我が息子信長と言う複雑な面持ちを持ちながらも晩年は静かに過ごしていたようです。
当時の戦国の習いを考えれば信行の暗殺は、やむを得なかったのかもしれません。
ただ信行暗殺後も信長は、甥にあたる信行の遺児信澄を養育して信長一門の中でも上位に扱っている事から、心から信行を嫌っていた訳では、なかったのでしょう。
大河ドラマ「麒麟がくる」で土田御前を演じるのは?
大河ドラマ「麒麟がくる」で土田御前を演じるのは、元タカラジェンヌである女優の檀れいさんです!
いいCMですよねぇ…
家に帰ったら #檀れい みたいな
綺麗な奥さんが居て、帰りを待っていてくれて「一緒に飲もう♪」
みたいな…🍻CM開始の頃、携帯の待受にしてたのを思い出します📱#サントリー金麦 pic.twitter.com/o6xrlw2oaw
— コミ 乗換ver. (@silvermira2) October 19, 2019
その美貌に関しては、右に出る者は、居ない位の美しさで清純派の代表的な女優でもあります。
檀れいさんと言えば時代劇では、檀れいさんを一段と有名にした「武士の一分」では、主人公木村拓哉さんを健気に支える妻役が印象的でしたね!
また、大河ドラマでは、松山ケンイチさん主演の「平清盛」で平安時代の魔性の女とも言うべき侍賢門院璋子を熱演されました。
侍賢門院璋子とは、鳥羽天皇の后ながらそのその祖父である白河法王と関係を持ち、息子の崇徳天皇は、その不義の子と当時から噂されていました。
勿論本当かは分かりませんが、息子崇徳天皇は最後迄父帝に冷遇され続け、最後には天皇として唯一怨霊となってしまいました。
現在は、キャリアウーマンから母親役まで幅広くこなす女優さんなので、どんな明智光秀との掛け合いを見せてくれるのか楽しみですね!
この一瞬だけでも良いから檀れいになってこの人達に囲まれたい人生だった(「麒麟がくる」観ます) pic.twitter.com/atdfPFFTA7
— いづも〜ホットカーペット始めました〜 (@idumo) June 18, 2019
まとめ
まとめ
✔ 土田御前は未だはっきりとした出自、本名、誕生年など前半の人生に関しては謎が多い。
✔ 嫡男となる信長を始め複数人の子を信秀との間にもうける。
✔ 土田御前は不良である信長よりも品行方正の信行を溺愛する。
✔ 溺愛する信行のピンチには、母親として信長に助けをこう。
✔ 結局最後迄信行は、信長に従いたくなかったのか殺される。
✔ 土田御前は晩年は、孫達と静かな余生をおくる。