日本の文化史と言うのは、どの時代においても特徴が似たり寄ったりな時期もあって、とても覚えるのが難しい時代ってありますよね。

 

特に、古代の文化史は短いスパンでぱっと見たら似たような文化的特徴もあったりして、とにかくややこしい!

 

今回は、古代文化史の代表的存在の『飛鳥(あすか)文化・天平(てんぴょう)文化・白鳳(はくほう)文化の違い』について、その特徴を含めて簡単にわかりやすくまとめていきます。

 

飛鳥文化・白鳳文化・天平文化の共通点

 

飛鳥文化・白鳳文化そして天平文化ですが、いずれも7世紀の奈良県で花開いているという共通点があります。

 

その為、共通点として、「全て7世紀の奈良発祥」と覚えておくと楽かと思います。

 

飛鳥文化・白鳳文化・天平文化の違い

 

では、この3つの文化はそれぞれどのような違いがあるのでしょうか。

 

最初に簡単にまとめてみましたので、ご覧ください。

 

3つの文化の違い

 

✔ 興った時代と場所が微妙に違う

飛鳥文化・・・7世紀初期の奈良・飛鳥地方

白鳳文化・・・7世紀後半の奈良・藤原京

天平文化・・・7世紀終盤~8世紀頃の奈良・平城京

 

✔ 文化的特徴が違う

飛鳥文化・・・仏教の教えを活かした文化

白鳳文化・・・日本風の文化

天平文化・・・平城京の貴族たちが中心になり作った仏教文化

 

✔ 全て国際色豊かな文化ですが…

飛鳥文化・・・中国、朝鮮半島、ギリシャ、西アジア、インドなどの文化に似ている

白鳳文化・・・中国・朝鮮半島の文化+日本人らしさが組み込まれている

天平文化・・・中国・唐が伝えた文化(その中にインド、ペルシャ、アラビア文化も有)+日本的個性

 

✔ 作風が違う

飛鳥文化・・・仏教の教えや遠くヨーロッパの技術を日本で真似ていた

白鳳文化・・・真似るだけでなく、日本字らしい作風が作られる

天平文化・・・白鳳文化を引き継ぎながらも、貴族らしい壮大で華やかな作品が多い

 

✔ 文字が違う

飛鳥文化・・・漢文だけを使っていた

白鳳文化・・・和歌が誕生し、万葉がなを使い始める

天平文化・・・貴族は漢文を学び、万葉がなは広く普及

 

 

それではそれぞれの文化について詳しく見ていきましょう。

 

飛鳥文化について詳しく解説!

 

では最初に、飛鳥時代に興った、飛鳥文化について詳しく見てみましょう。

 

飛鳥文化というのは、一般的に言うと仏教伝来から大化の改新までの間のことを指しています。

 

この時代は、推古天皇を頂点とした大和(今の奈良県)を中心の時代です。

 

これまでの日本は原始的な文化でしたが、命がけで大冒険をしてきた使者たちによってもたらされた仏教により、全てが変わったといえます。

 

①きっかけは仏教伝来!

飛鳥文化は、仏教の教えを活かした文化です。

 

なぜかというと6世紀ごろに、朝鮮半島の百済(くだら)や高句麗(こうくり)からやってきた使者たちによって伝えられた仏教がきっかけでした。

 

この時持ち込まれたのが、お経仏像といったものです。これに感銘を受けた当時の朝廷や貴族たちは、この文化を日本に広めよう!と考えたのです。

 

実はこの裏には、仏教推進派の蘇我氏と仏教反対派の物部氏の貴族による争いもありましたが、これはまた別の機会に。

 

②飛鳥文化の立役者、聖徳太子

飛鳥文化の立役者といえば、あの聖徳太子です。

 

聖徳太子は当時の摂政で、天皇の代理を務める偉い役職でした。

 

聖徳太子は特に仏教を広めることにも熱心であったため、中心となって仏教文化の布教活動をおこなってきたのです。

 

その代表的建築物が、奈良の法隆寺です。

 

③飛鳥文化には、仏教だけでなく、ヨーロッパ文化も!

法隆寺といえば、聖徳太子が作った飛鳥文化の代表建築です。

 

法隆寺はなんと、世界で一番古い木造建築!それに、古代ギリシャ神殿にも使われていた「エンタシス」と呼ばれるふくらみのある柱の形が採用されている建築物です。

 

実は仏教文化の伝来と同時に、ヨーロッパなどの文化や技術も一緒に入ってきており、それが用いられるようになったのも、飛鳥文化の特徴の一つです。

 

白鳳文化について詳しく解説!

 

続いて白鳳文化について詳しく見ていきましょう。

 

白鳳文化が興った時代は、645年の大化の改新から710年の平城京遷都までの間と言われています。

 

実は、“白鳳“という年号は書物によって記録されていない場合がある様ですが、飛鳥文化と区別をつけるために、この様に名付けられたそうです。

 

この時代といえば、藤原京と呼ばれる古代の都の中でも最大規模の中国風都城が大変有名です。

 

期間は短いものの、白鳳文化は貴族や天皇たちがいた藤原京を中心に最盛期を迎えることになります。

 

①仏教が基盤の文化だが・・・?

飛鳥文化は「仏教や同時に伝えられてきたヨーロッパやシルクロードの文化をそのまま広めた」という感じですが、白鳳文化ではこれに日本風の文化をミックスさせるようになります。

 

当時は朝廷を中心とした国造りが始まったばかり。「よし!やってやるぞ!」という様な元気いっぱいの若々しいエネルギーに満ち溢れていたんだとか・・・。

 

これも影響し、日本人らしい作風も入り込んでくるきっかけになったようです。

 

②飛鳥文化の仏像と比較するとわかりやすい

一番わかりやすいのは、飛鳥文化の仏像と比較することです。

 

白鳳文化の時に作られた仏像は、大らかさと爽やかさに満ち溢れているのが特徴的です。

 

表情もやわらかな日本風になってきた、という感じですね。

 

③万葉がなの誕生

飛鳥文化までは、中国からやってきた漢文だけを使ってきた貴族たちですが、白鳳文化に入ると、現在の「ひらがな」の祖先である、「万葉がな」を使い始めるのです。

 

これも、中国の真似から日本風にアレンジを始めたという、白鳳文化の特徴を受けていますね。

 

「万葉がな」の発生は、時を同じくして貴族たちが和歌を作るようになるという様にもなりました。

 

こうして、初めて文章が記録されていくようになったと言う訳です。

 

天平文化について詳しく解説!

 

最後に、天平文化について詳しく見ていきましょう。

 

天平文化の時期としては、7世紀の終盤から8世紀の中頃にかけて興った文化です。

 

この頃は天平という年号が使われていて、平城京に都を抱えていました。

 

 

①貴族たちが文化の中心に立つ

天平文化は貴族が作り上げた文化という特徴があります。

 

そのため、白鳳文化の日本的特徴を入れつつも、貴族らしい壮大で華やかな作品が多いのが特徴です。

 

日本の朝廷はこの頃中国の唐(とう)に使者を送り、どんどん唐の進んだ文化を取り入れようとします。

 

当時の唐は、遠くインドやペルシャ、アラビアなどといった文化も取り入れていたようで、これらも唐から学んだことの内容に入っていた様です。

 

また、唐から正しい仏教やその文化を取り入れようという目的もあったようです。

 

というのも、丁度この頃に失明しながらも唐から有能な僧侶である鑑真(がんじん)がはるばるやってきた時代でもあるからです。

 

これも相まって、ますます仏教文化が盛んになっていきます。

 

②書物が誕生

白鳳文化では「万葉がな」が興り、和歌が生み出されたとお話しましたよね。

 

これを踏襲した天平文化では、なんと書物が誕生するのです。

 

貴族たちはみんな漢文を学び、和歌は貴族だけでなく、農民や兵士などにも波及します。

 

漢文による書物がこの時に作られ、日本最古の歴史書である古事記日本書紀が生まれたのも、天平文化です。

 

「万葉がな」を使った「万葉集」という日本最古の和歌集も作られたんですよ。

 

まとめ

 飛鳥文化・白鳳文化・天平文化は、全て7世紀の奈良発祥。

 3つの文化は興った時代と場所の微妙に違いがあり、飛鳥文化は7世紀初期の奈良・飛鳥地方、白鳳文化は7世紀後半の奈良・藤原京、そして天平文化は7世紀終盤~8世紀頃の奈良・平城京。

 3つの文化は文化的特徴の違いがあり、飛鳥文化は仏教の教えを活かした文化、白鳳文化は日本風の文化、天平文化は貴族たちが中心になり作った仏教文化。

 全て国際色豊かな文化だが、飛鳥文化は中国、朝鮮半島、ギリシャ、西アジア、インドなどの文化に似ていて、白鳳文化は中国・朝鮮半島の文化に日本人らしさが、天平文化は中国・唐から学んだ文化と日本的個性のコラボレーション。

 3つの文化は作風の違いがあり、飛鳥文化は仏教の教えや遠くヨーロッパの技術を日本で真似ていて、白鳳文化はただ真似るだけでなく、日本字らしい作風が作られ、天平文化では白鳳文化を引き継ぎながらも、壮大で華やかな作品が増えた。

 3つの文化は文字の違いがあり、飛鳥文化では漢文だけを使っていて、白鳳文化では和歌が誕生し、万葉がをなが使われはじめ、天平文化になると貴族は漢文を学び、万葉がなも広く普及した。

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