江戸時代になると、幕藩体制という新体制が始まり、今までにない役職が出てきたりと、やや複雑になってきますよね。

 

特に、身分制度なんかは先の関ヶ原の戦いの勝ち負けによって左右されてきて、覚えるのもちょっと大変。

 

また、領地によって身分が変わるなんて言うこともあるので、結構複雑ですよね。

 

時代劇を見ても何だかよくわからない(笑)

 

今回は、その中でも『大名と旗本の違い』について、簡単にわかりやすくまとめていきます。

 

幕藩体制とは何かを知ることが大事!

大名と旗本の違いを知る前に、この上下関係を構築させている幕藩体制について簡単に押さえておく必要があります。

 

幕藩体制とは、江戸幕府(徳川将軍本家)と藩(大名)の強力な領主権によって、土地や人民を統治する統治体制を指します。

 

幕府権力の優越を決めるにあたっては、軍事力経済力があります。

 

特に経済的基盤は、本百姓を中心とするお米などの農業生産によって決まってきます。

  • 米の数量
  • 米の公定収穫高

    これが、年貢を納める際の基準となったのです。

     

     

    大名と旗本の違い

     

    では、大名と旗本に違いはあるのでしょうか。

     

    江戸時代も時代スパンがかなり長いことから、条件の変動もありましたが、この様な感じです。

     

    大名と旗本の違い

     

    ✔ 石高が違う

    大名・・・支給される土地や俸禄が1万石以上

    旗本・・・支給される土地や俸禄が1万石以下

     

    ✔ 役割が違う

    大名・・・都道府県(=藩)の守護者

    旗本・・・幕政の実務担当者

     

    ✔ 軍事力が違う

    大名・・・1万石に対して235人の軍役(兵馬の備え)が課されていた

    旗本・・・200石に対して5人の軍役(兵馬の備え)が課されていて、御家人も抱えていた

     

     

    大名と旗本の共通点は?

     

    大名と旗本の共通点は、こちら。

     

    御目見得以上

     

    どういうことかというと、将軍に直接お目通りすることが出来る、つまり将軍と直接会うことの出来る権利を持っているのが共通点となります。

     

    大河ドラマ暴れん坊将軍でも、旗本の三男坊と称している将軍がいたかと思います。

     

    旗本の三男坊であれば、旗本大名家の息子と言う訳で、直接将軍(徳川吉宗)に謁見でき、自らが吉宗であると名乗ることなく、城下町へおりて世直しが出来ていた、と言う訳です。

     

    それでは詳しく見ていきましょう。

     

    大名について詳しく解説!

     

    では最初に、大名について詳しく見ていきましょう。

     

    大名という名称は昔からある言葉で、元は自国で力を誇示していたもののことを指していました。

     

    これが武家社会となることには、多くの領地や部下を持つ武士へと変化していきます。

     

    では、江戸時代幕藩体制下の大名とはどんなものだったのでしょうか?

     

    ①石高が1万石以上の藩主が条件

    江戸時代では、主に1万石以上の領地を江戸幕府から給料として与えられた藩主のことを指すようになりました。

     

    江戸時代も期間が長いことから、途中途中で変化がありつつも比較的広い意味を持つ階級を持っていたそうです。

     

    ②大名には3種類ある

    大名の条件には、石高1万石が必須条件と記載しましたが、その中でもさらに3種類に分類されているのも特徴的です。

     

    2-1. 親藩大名

    親藩大名とは、徳川家の血を引く大名のことで、通称徳川御三家と言います。

     

    もし将軍に万が一のことがあって後継ぎが生まれなかった場合は、徳川家の血筋である親藩大名の御三家から、将軍を抜擢するように規定されていました。

     

    徳川御三家とは・・・

    • 尾張徳川家
    • 紀伊徳川家
    • 水戸徳川家

      のことを指します。

       

      2-2. 譜代大名

      譜代大名とは、関ケ原の戦い以前徳川家に仕えていた大名のことを指します。

       

      関ヶ原の戦い以降は、重要な領地を与えられ、幕府の中でも老中若年寄といった重役についていました。

       

      石高は5~15万石程度で、小・中大名が多いのが特徴です。

       

      関ヶ原の戦いでも徳川家サイドで活躍した、井伊直政のいる井伊家(いいけ)がこれにあたります。井伊家は譜代大名の中でも、35万石を保有する最大規模の譜代大名でした。

       

      2-3. 外様大名(とざまだいみょう)

      外様大名とは、関ヶ原の戦い以降より徳川家に仕えた大名のことです。

       

      当然の如く、関ヶ原の戦い以前は豊臣家サイドについていたため、徳川家からしたらいつ裏切られるか、わからない大名たちです。

       

      信頼がおけないということから、幕府内では重役につくことが出来ず、領地も江戸から離れた場所にありました。

       

      代表的な大名は、加賀前田家や奥州伊達家、薩摩島津家などです。

       

      特に、前田家・島津家・伊達家・萩毛利家については、30万石以上の大名です。

       

      ③軍事力

      大名は、1万石に対して235人の軍役(兵馬の備え)を課されていました。

       

      井伊家を例にとると、35万石あった井伊家には、8500万人の軍役が課されていた、という計算になる訳です。

       

      旗本について詳しく解説!

       

      一方の旗本は、どんな身分なのでしょうか。

       

      ①将軍と会える武士のこと

      旗本は、将軍の直々の家臣で、将軍に直接会うことの出来た武士のことです。

       

      その為、将軍が出席するイベントにも参加することが出来た家格を持つ者、というわけです。

       

      代表的な人物は、5代将軍・徳川綱吉の代で活躍した、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)です。

       

       

      (柳沢吉保 出典:Wikipedia)

       

      ②領地が与えられていた

      旗本は将軍直接の家臣のため、幕府から知行地という領地を与えられていました。

       

      ③様々な役職がある

      旗本には、様々な役職が存在しました。

       

      3-1. 番方

      番方とは、江戸城の警備将軍の警護を主な仕事としていました。

       

      3-2. 文官

      文官とは、司法、行政、財政担当を司っていました。

       

      主な役職としては・・・

      • 留守居
      • 町奉行
      • 勘定奉行
      • 大目付
      • 目付

        です。

         

        時代劇で言うところの、遠山の金さん町奉行だったので、遠山の金さんは旗本と言う訳です。

         

        旗本の仕事の中でも、留守居は重要な役割を担っており、大奥の取り締まりや、江戸城の留守を守ったりしていました。

         

        ③旗本の部下は御家人だった

        旗本の部下は、御家人という人たちです。

         

        しかも、御家人たちは、先ほど挙げた200万石に対する5人の軍役とは、別に存在していました。

         

         

        まとめ

         幕藩体制により、江戸幕府と藩による強力な領主権による、土地や人民を統治する統治体制が始まる。

         領地の経済基盤は、本百姓を中心とするお米などの農業生産によって決まり、石高で表される。

         大名も旗本も、将軍と直接会うことの出来る権利「御目見以上」を持っている。

         大名と旗本は石高の違いがあり、大名は支給される土地や俸禄が1万石以上で、旗本は支給される土地や俸禄が1万石以下である。

         大名と旗本は役割の違いがあり、大名は都道府県の守護者で、旗本は幕政の実務担当者。

         大名と旗本は軍事力の違いがあり、大名は1万石に対して235人の軍役(兵馬の備え)が課されていたが、旗本は200石に対して5人の軍役(兵馬の備え)が課されていたうえに、御家人も抱えていた。




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