主権国家体制という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

 

17世紀のヨーロッパで成立した、複数の主権国家からなる国際社会のことをいいます。

 

当時のヨーロッパで成立した主権国家や国際社会の仕組みは、現代の世界政治にも大きな影響を与えるとても重要なものです。

 

今回は、そんな『主権国家体制』の特徴とその成立過程、またその後の展開までを、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

主権国家体制とは?

 

 

17世紀のヨーロッパで、主権国家と呼ばれる国家システムが確立しました。

 

主権国家とは主権・領土・国民の3要素をもつ国家のことです。

 

そしてこの主権国家が複数集まって構成される国際社会を主権国家体制といいます。

 

それでは、この主権国家体制が確立するまでのプロセスをくわしく見ていきましょう。

 

主権国家体制が成立するプロセス

(カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂 出典:Wikipedia

①中世ヨーロッパの終わり

中世ヨーロッパでは、カトリック教会が圧倒的な地位にありました。

 

各国の王は、カトリック教会が君臨する世界の一地方を支配する領主のような存在にすぎなかったのです。

 

国と国との境界線もあいまいでした。現在私たちがイメージするようなドイツとかフランスとかいったような国は、まだ存在していなかったと言ってもいいでしょう。

 

しかし16世紀になるとカトリック教会の権力に陰りが見え始めます。

 

各国の王は教会の支配から脱し、キリスト教内部からもカトリックに反抗する勢力が現れるのです。

 

②ルターの宗教改革

16世紀の前半、ドイツでマルティン・ルターによる宗教改革が始まりました。

 

(マルティン・ルター 出典:Wikipedia)

 

プロテスタントと呼ばれる新しい勢力が誕生し、キリスト教界は旧教のカトリックと新教のプロテスタントに二分されます。

 

プロテスタントは急速に力をつけ、衰退するカトリック教会に追い打ちをかける格好となりました。

 

カトリックとプロテスタントは対立を深めていきます。

 

そして、両者の戦いはドイツ三十年戦争でクライマックスに達します。

 

③ドイツ三十年戦争

1618年、オーストリアのプロテスタント教徒がカトリック信仰を強制されます。

 

しかし、新教徒らはそれに反抗。これがきっかけとなり、ドイツ三十年戦争が始まりました。

 

カトリック勢力とプロテスタント勢力が争う宗教戦争ですが、スウェーデンやフランスまでもが戦争に加わり、事態は混沌を極めます。

 

戦争の結果ドイツでは国土が荒廃し、人口は急減。人々のあいだには厭戦的なムードが広がり、和平へ向けた取り組みが動き出します。

 

そこで各国の代表はウェストファリア地方に集まり、講和会議を開きました。

 

ここで締結されたのがウェストファリア条約です。

 

④ウェストファリア条約の詳細

ウェストファリア条約は1648年に締結されます。

 

内容は多岐にわたりますが、主権国家体制の確立にとっていちばん重要なのは、それぞれの国が平等かつ独立した主権を認め合ったという点です。

 

宗教戦争の反省から、それぞれの国の領土を尊重し、他国の事情には干渉しないようにしようという取り決めを行ったわけです。

 

こうして誕生したのが主権国家であり、また複数の主権国家から構成される主権国家体制なのです。

 

したがってこの主権国家体制のことをウェストファリア体制と呼ぶこともあります。

 

主権国家体制の特徴

①主権国家の3つの条件

こうして誕生した主権国家ですが、国家が主権国家であるためには3つの条件を満たす必要があります。

 

それが領土国民主権です。

 

領土と国民はわかりやすいですよね。国と国は国境線で区切られて、それぞれの国境線の内側がその国の領土です。

 

そしてそこには国民としての一体感をもつ人々が暮らしています。

 

では主権とはなんでしょうか?

 

これは最高の権力を意味します。言いかえると、主権より上には他の権力が存在しないということです。

 

したがって主権国家に対しては、別の国や教会が上から命令したり干渉したりすることはできません。

 

②主権国家体制の特徴

この主権国家がいくつも集まって構成される国際社会が主権国家体制です。

 

その特徴は、国と国の関係が基本的にアナーキー(無秩序)なものである点にあります。

 

例えば国の内部で争いが起こった場合、政府や裁判所などの上位の権力がそれを鎮圧したり裁いたりしますよね。

 

しかし、主権国家同士の関係ではそうはいきません。

 

主権はその上に権力がないことをいうのですから、それぞれの主権国家を抑えたり裁いたりできる上位の権力は存在しないのです。

 

主権国家を抑えつける上位の権力が存在しないため、主権国家からなる国際社会は基本的にアナーキーな性格をもちます。

 

教会が各国の上に君臨し秩序を定めていた中世ヨーロッパと対比すると、この主権国家体制の特徴がよくわかりますね。

 

主権国家体制においては、利害に基づく国家同士の力の均衡(バランス・オブ・パワー)の上でかろうじて秩序が保たれるのです。

 

主権国家体制のその後

①主権国家体制が世界中に広まる

18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ各国は植民地を求めて海外に膨張していきます。

 

アジアやアフリカ、中東、南アメリカなど、世界中がヨーロッパの支配下に置かれることになりました。

 

その結果、主権国家体制が世界標準の政治システムになります。

 

ヨーロッパ諸国は世界を支配下に置くときに、主権国家の枠組みを使ったのです。いわばヨーロッパから主権国家体制が輸出されるような形になりました。

 

現代においても大枠では主権国家体制が維持されています。

 

私たちは基本的に国家単位で世界を見ますよね。これはウェストファリア条約以降の主権国家体制が生き残っている証拠です。

 

②主権国家体制の動揺

しかし、主権国家体制に変更をせまる力もまた存在します。

 

まず欧州連合(EUのような地域共同体。これは主権国家の枠組みを超えて、より大きな政治的共同体を作ろうとする試みです。

 

また経済のグローバル化によって、人やおカネやモノが国境を縦横無尽に飛び越えるようになりました。

 

もはや経済はかつてのように、一国の中だけで管理できるものではありません。

 

さらに世界的なテロリズムの拡大は、戦争の形も変えています。ここでは、かつてのような一国と一国のあいだの戦争という形式は見られません。

 

17世紀ヨーロッパが生み出した主権国家体制は、今まさに大きな動揺の時期を迎えていると言えるでしょう。

 

まとめ

 主権国家体制とは、17世紀のヨーロッパで成立した複数の主権国家からなる国際社会のことをいう。

 主権国家とは、領土・国民・主権の3要素をもつ国家のこと。

 中世ヨーロッパはカトリック教会の支配下にあったが、王の独立やルターの宗教改革によってその体制が崩れた。

 カトリックとプロテスタントの宗教的対立はドイツ三十年戦争でクライマックスを迎える。

 ウェストファリア条約によって三十年戦争は終結、ここで主権国家と主権国家体制の基礎ができあがる。

 その後ヨーロッパ諸国が世界を支配下におさめたことで、主権国家体制も世界中に広まった。

 主権国家体制に変更を迫る動きが次々に登場しているものの、基本的には現代においても主権国家体制が維持されている。

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