大老と言えば井伊直弼、老中は田沼意次などが名前として思い浮かびますね。

 

しかし、大老と老中の違いは?老中首座とはなんだったかな、と考えてしまいます。

 

今回は、似たような言葉である『大老・老中・老中首座』についてその違いや地位などの詳細を簡単にわかりやすく解説していきます。

 

大老・老中・老中首座の違い

 

耳にしたことがあっても、その違いが分かりにくい大老、老中、老中首座。

 

まずはそれぞれの違いについて理解しましょう。

それぞれの違い

✔ 大老(たいろう)

「井伊」「酒井」「堀田」「土井」の四家(大老四家)しかなることができない、江戸幕府における臨時の最高職。

定員は1名で3代将軍徳川家光以降に任命された。家光は「我が右手」と呼んで酒井忠勝と土井利勝を大老を任命したのが始まり。老中よりも格上である。

✔ 老中(ろうじゅう)

江戸の市政や治安を守る大目付。朝廷や公家の統括も行う江戸幕府の最高の職名。

但し、臨時で大老が任命された時は大老の格下となる。

✔ 老中首座(ろうじゅうしゅさ)

老中首座とは、一番席次が上の老中という意味、役割。席次は、本来は着任順になっていました。

 

大老・老中・老中首座の仕事の違い

 

 

大老、老中、老中首座の違いが分かってきたところで、それぞれの仕事内容についてみていきましょう。

 

①大老の仕事内容

大老は、江戸幕府初期、徳川家の信頼の厚い者が政務への助言を行う役職、名誉職として着任しました。

 

大老は常時いたわけではなく臨時的に置かれる役職でしたがその存在は征夷大将軍にアドバイスができるという立場にありました。

 

つまり、大老は老中の上にある幕府最高職で、常時ではなく臨時の職であるが大老が決定したことは将軍でさえ覆すことができなかったのです。

 

大老が置かれる「臨時」という状況は将軍が幼かったり、将軍では対応しきれない重大事態にある時が想定されます。

 

ただし、豊臣政権における大老は、臨時職ではなく常に存在していました。

 

「浅野長政」「増田長盛」「長束正家」「前田玄以」ら五奉行が合意の上で政治を行っていました。

 

②老中の仕事内容

老中は日中は江戸城で仕事をし、帰宅するという生活です。

 

しかし、緊急時や何かトラブルが発生した時は早朝や夜間に自宅に使者がやって来る為、都度対応しなければいけませんでした。

 

現代でいうところの管理職かそれ以上の仕事をしていたと考えられます。4、5名が月番制でやっていました。

 

③老中首座の仕事内容

4、5名いる老中の中で最高の権力をもっているのが老中首座です

 

老中の仕事を行う上での筆頭者であったと考えられます。

 

普段は(大老が置かれない場合の)幕府の中では将軍に直属する老中の中の最高職でした。

 

以上の事から、以下のような格付け順になります。

 一番偉いのは「大老」※但し、臨時の職

 二番目に偉いのは「老中首座」※大老職が設置されていな時は一番目に偉い

 三番目に偉いのは「老中」※老中の中の筆頭役。大老が設置されていない時は二番目に偉い

 

また、老中首座と老中についての覚え方としては現代に例えると老中は内閣閣僚、その中の筆頭である老中首座は内閣総理大臣と考えると良いでしょう。

現代に例えると

大老・・・臨時に置かれる最高職

老中首座・・・常時の最高職 内閣総理大臣

老中・・・内閣閣僚

 

大老・老中・老中首座で歴史上の有名人

 

 

ここからは、大老、老中、老中首座それぞれの歴史上有名な人物について紹介します。

 

誰がどのような立場で歴史的なことを行なったのかを知ることで、さらに理解を深めましょう。

 

①大老として有名な人物~井伊直弼~

歴史上、大老になった人物を上げると・・・

井伊直孝、酒井忠世、土井利勝、酒井忠勝、酒井忠清、井伊直澄、堀田正俊、井伊直興、井伊直該、(井伊直興と同一人物)、井伊直幸、井伊直亮、井伊直弼、酒井忠績

 

その中でも歴史上の認知度が高いのは井伊直弼でしょう。

 

 

 

そもそも大老は征夷大将軍にアドバイスをするという役割なのですが、井伊直弼は助言や名誉職にとどまらず、自らに権力を集中して実質的には政治の実権を握っていた大老でした。

 

井伊直弼が大老を務めていた時代は徳川家定が将軍に就いていた時代でした。

 

家定は病弱であり、井伊直弼は将軍代行のような役割をしていたとされています。

 

②老中として有名な歴史上の人物~初代老中・本田正信~

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(本田正信 出典:Wikipedia

 

 

本田正信は、徳川家康の重臣であり江戸幕府の老中でした。

 

家康の後半生における側近であり頭脳役として大きな存在でありました。

 

時代劇やドラマにおいては謀略家でダークなイメージで描かれることがおおいですが、秀吉の死から関ヶ原、大坂の陣にかけての徳川政権確立に多大な貢献をした人物です。

 

晩年は二代将軍秀忠の後見役となり、息子正純とともに幕府組織と近世的職制の整備、さらに武家諸法度と公家諸法度の制定発布に尽くし、15代264年におよぶ徳川武家政権の礎石を固めたのでした。

 

 

③筆頭老中=老中首座として有名な歴史上の人物~田沼意次~

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(田沼意次 出典:Wikipedia

 

 

田沼意次は江戸で旗本(殿様とよばれる武士の身分)の長男として生まれ、9代将軍の徳川家重に仕えました。徳川家重が死去した後は10代将軍の徳川家治に仕えました。

 

田沼意次は将軍からの信頼が非常に厚く、老中に就任しいわゆる「田沼政治」と呼ばれる政治を展開していきました。

 

田沼意次の政治は幕府の収入を安定させるために商人から税を取り、蝦夷地開発で貿易商品の増産を図ること、そして干拓により米の収入を増やすという内容でした。

 

これらの政策は当時非常に画期的であり「士農工商」の世の中でありながら商業を重視していたため、幕臣から嫌われました。

 

 

また、株仲間の結成を奨励し、その代わりに商人から税金を徴収するという方針であったため、株仲間の承認を取り仕切っている幕臣に対して賄賂を贈り、自らを株仲間として認めるよう働きかける商人が現れるようになりました。こうして贈賄政治が横行しました。

 

商業を重視して幕府財政の再建を図ったことの結果、反感や贈賄が生じ田沼意次の政治が悪政として伝わっていることが多いのです。

 

5代将軍徳川綱吉時代~柳沢吉保は「大老格」~

(柳沢吉保 出典:Wikipedia

 

 

ここまで、大老、老中、老中首座について主な歴史上の人物を見てきましたが、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉の時代、柳沢吉保は綱吉の小納戸役(こなんどやく)から出世していきました。

 

小納戸役は、将軍や殿様の身の回りの世話役です。脇に控える小姓という別の役割もありますが、小納戸役は、衣類、さかやきそり(頭をかみそりで剃る)、などの身の回り世話役で小姓よりも格下です。

 

小納戸役として仕え、老中、大老格へと柳沢吉保は出世していったのでした。

 

柳沢吉保は大老4家の出身ではないので正確には「大老」ではなく大老と同等の扱いを受けた「大老格」でありました。

 

まとめ

✔ 大老とは江戸時代、臨時の際に置かれた最高職で老中より格上である。

✔ 大老の仕事は征夷大将軍に対してのアドバイスを行うことである。

✔ 大老職に就くことができるのは「井伊家」「酒井家」「土井家」「堀田家」の「大老四家」と呼ばれる徳川家の名門家臣からしかなることができなかった。

✔ 大老は臨時の職であり、老中の上に位置し、幼い将軍にかわって政治を行うなどした。

✔ 老中とは江戸時代、将軍に直属し政務を統轄した幕府の常任の最高職。

✔ 老中は事実上、江戸幕府の政治を行う役職である

✔ 老中の中で最高の権力をもっているのが老中首座である。




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