今の時代でも恐慌というものは怖いものです。

 

例えば、近い時期であれば2009年のリーマンショックなんかは日本の経済に大打撃を与えましたし、1929年の世界恐慌なんかはのちの日本の方針に大きな影響を及ぼしていきました。

 

今回はそんな恐慌の中でも第一次世界大戦の特需によって盛り上がっていた日本がどん底に落ちた『戦後恐慌』について見ていきたいと思います。

 

戦後恐慌とは?

 

戦後恐慌とは、1920年(大正9年)から起こった日本における恐慌のことです。

 

この場合の戦後は第一次世界大戦のこと。つまり、この恐慌は第一次世界大戦が終わった直後に起こった恐慌だったのです。

 

戦後恐慌が起こった背景や要因

 

戦後恐慌が起こった要因。

 

それは何と言っても第一次世界大戦が終結したことにありました。

 

当時、日本では第一次世界大戦におけるヨーロッパへの需要の拡大によって日本企業特に造船業の輸出によって大好景気が訪れていました。(大戦景気)

 

 

その好景気は凄まじく、日本はアメリカに次ぐ利益を得たことによって成金と呼ばれるいきなり大富豪となる人が続出。皆さんご存知お札を燃やすあの絵もこの時の成金の様子を表していたのでした。

 

しかし、1918年に第一次世界大戦が終結するとヨーロッパの復興によって徐々に日本の需要は低下。

 

一時期は中国への輸出によって立ち直ったこともありましたが、それが帰って仇となり1920年には日本は生産過剰と呼ばれる状況に突入しました。

 

売れるわけもないのに商品を作り続けたことによって日本企業の業績は低下。株価も大暴落してしまい日本は急激に不景気となる恐慌と呼ばれる時代を迎えてしまうことになったのでした。

 

戦後恐慌によって大損した企業&個人

(1918年以前の鈴木商店本社 出典:Wikipedia

 

戦後恐慌によって日本中で不景気となりその煽りを受けて倒産していく企業も出てきてしまいました。

 

次はこの戦後恐慌によって不利益を被ってしまった代表的な企業を見ていきましょう。

 

①鈴木商店

この戦後恐慌において一番負債を大企業といえばかつて砂糖の販売業で大儲けをし、三井・三菱と並ぶ大財閥を築き上げた鈴木商店でした。

 

鈴木商店は第一次世界大戦においていち早く大戦景気を察知して海外に投資しました。

 

その結果、莫大な利益を得て三井・三菱にも並ぶ巨大な財閥を築き上げ、同時日本の国民総生産の1割を占める16億円の売り上げを叩き出したのです。

 

しかし、第一次世界大戦に起こった米騒動を機にどんどん鈴木商店は陰りを見せ始め、さらには戦後恐慌によってその煽りをモロに食らってしまい、株価ば大暴落。

 

売上金も底をつき始め、1921年には鈴木商店の資本金が1億円なのに対してその負債が10倍というとんでもない債務超過を起こしてしまいました。

 

②山本唯三郎

戦後恐慌によって大損をしてしまったのは何も企業だけではありません。大戦景気にて利益を得た個人も被害を喰らっていたのです。

 

その代表格が虎大尽と呼ばれた舟成金の山本唯三郎でした。

 

 

(山本唯三郎 出典:Wikipedia

 

 

彼は元々北海道にて開拓事業を行なっていたのですが、第一次世界大戦が勃発すると当時ヨーロッパで不足していた物資や舟を輸出する海運業に転換。

 

これが上手くあたり、山本は巨額の富を得て成金の中でも海運業でなった舟成金の代表的な人物までのし上がったのでした。

 

そんな彼ですが、彼の性格はとにかくド派手。特に第一次世界大戦中の1917年には富をふんだんに使って朝鮮半島にて虎狩りを行なっていました。

 

虎を二頭とその他の獣車両1両分を狩って日本中で大きな話題となりました。

 

ちなみに、皆さんご存知あの成金が芸者のために火をつけたこの頃の成金を象徴する『どうだ明るくなったろう』の絵はこの人が行なったのが元になったのです。

 

 

 

 

さらに山本は火をつけるどころの話ではなく、その後沢山の百円札をちり紙として使用するなどの奇行を見せたとかなんだとか。(ちなみにこの頃の日本の平均初任給は70円)

 

しかし、第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパがどんどん復興していくと山本の海運業は一気に落ち込み、戦後恐慌に入ると一気に山本が積み上げてきた財産を食い潰してしまい、最後には1927年にひっそりと亡くなってしまいました。

 

皆さんも決して驕ることなく、堅実にお金は使っていきましょう。

 

戦後恐慌の影響

①財閥の成長

こうして成金や鈴木商店といった有名どころが次々と業績を落としていく中、これをチャンスと変えた企業もいたのです。

 

それこそが戦前から日本の企業を牛耳ってきた財閥でした。

 

日本における財閥は三井・三菱・住友・安田の4つが代表的ですが、この4つの財閥は恐慌によって破産していった企業のシェアをどんどん奪取。

 

財閥だから潰れないというブランドも後押ししてここから財閥は急激に成長を遂げることとなるのです。

 

しかし、この頃は日本の経済競争に歯止めをかける出来事でもあり、ここから先戦後にGHQが独占禁止法を発令するまで続くことになるのでした。

 

②社会の不安定

この戦後恐慌によって財閥が急成長することとなったのですが、もちろんそんな企業は一握り。ほとんどの日本国民が企業が倒産したり、株に手を出して大損をこいたりするのがほとんどでした。

 

こうなると不満の目を向けられてしまうのが政府と財閥です。

 

特に安田財閥は、株が大暴落した後に株を買い占め大儲け。それが原因で政治活動家「朝日平吾」が安田財閥の創始者である安田善次郎を暗殺するという事件が起きてしまいます。

 

 

(安田善次郎 出典:Wikipedia)

 

 

また、政府の方でも当時平民宰相として大人気の中、総理大臣となった原敬が財閥と手を結び、たくさんの疑獄事件を起こし・・・

 

さらに、この時期になっても普通選挙を実施しないことが国民の不満を募ることとなってしまい、安田善次郎の暗殺の1ヶ月後に原敬は東京駅にて暗殺される事件が起きてしまいました。

 

このように戦後恐慌によって日本が不景気となっていくとそれに合わせてどんどん社会全体が不安定となっていったのでした。

 

しかし、戦後不況と呼ばれる恐慌は迅速に日本銀行が経済対策をしたおかげで辛うじて脱出。なんとか不景気からは回復していったのでした。

 

③関東大震災の発生

こうして大戦恐慌と呼ばれる状況はなんとか脱出した日本でしたが、1923年9月1日、日本の首都東京を含む関東地方に大地震が襲いました。(関東大震災)

 

この大地震によって東京は火の海と化し、銀行は焼失。銀行が持っていたお金すら無くなるという状況となり、日本の経済に大打撃を与えることとなりました。

 

もちろん、日本の中央銀行である日本銀行はこの状況をなんとかしなければなりません。

 

そこで日本銀行は企業が持っていた約束手形と呼ばれる借金を肩代わりすることを約束しました。震災恐慌と呼ばれることになるこの大不景気を脱出しようと必死だったのです。

 

こうして不景気が連発した日本はなんとか経済を大戦景気まで戻すため、海外へと活路を求め進出することを計画します。

 

そして時代は満州事変、そして日中戦争へと突っ走っていくことになったのです。

 

 

まとめ

 戦後恐慌とは第一次世界大戦が終結してしばらく経って日本で起きた大不景気のこと。

 日本は第一次世界大戦の特需によって輸出がどんどん拡大していったが、戦争が終結すると輸出超過となっていき、企業の業績が落ち込んでいった。

 戦後恐慌で被害を受けたのは鈴木商店や山本唯三郎など。

 戦後恐慌は日本銀行の金融政策によって終結したが、その後日本は関東大震災によって起こった震災恐慌に突入していった。




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