“楽市楽座”は“関所の廃止”と並ぶ有名な政策ですね。

 

読んで字のごとく…と分かりやすい内容にも捉えられがちですが、時代背景も含め、しっかり中身を確認しておくことも大切です。

 

今回はそんな『楽市楽座』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

楽市楽座の目的と内容

(洛中洛外図 出典:福岡市博物館蔵)

 

 

楽市楽座とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて、戦国大名が領地内の商工業を活性化させ、城下町を繁栄させる為に行った経済政策のことです。

 

商売をするためにかかっていた税金を免除「楽市」し、一部の商工業者団体の持っていた特権をなくすこと「楽座」で、誰でも自由に商売することができるようにしたのです。

 

(いち)とは

 

 

市場(いちば)ともいわれ、多くの人が集まって物資の交換や売買などの取引をすること、またはその場所を指しています。

 

①市の変移

日本では貨幣経済が始まる前の物々交換の時代から市が開かれていたようです。今のバザーのような感じでしょうか。

 

そして律令制の下では、都の東西に市が置かれ国家によって管理されていました。

 

最初は特定の場所以外での商売は禁じられていたようですが、後に人の集まる主要な地域では定期的に市が開かれるようになっていきます。

 

平安時代には月3回の三斎市(さんさいいち)も開かれていたそうです。

 

ここで“斎”の字が使われたのは、元々仏事や神事に関係する日に市が開かれていたからだと言われています。

 

②市の発達

鎌倉時代になると、農業や手工業が発達したことで農産物や手工業品の取引が増えていきます。

 

それに伴い定期市も盛んに各地で生まれ、月6回の六斎市も開かれるようになるのです。

 

現在もこれらの名残として四日市市や八日市市などのように市が開かれた日を示す地名が沢山あります。

 

また市はこの後、取引量の増加に伴いさまざまな商品を扱う市だけでなく、特定の商品を扱う市が発生し、生産者同士の取引から、専門の商人同士の取引する場所へ変化していきました。

 

江戸時代になると、問屋や仲買の専門商人が現れ、セリや入札などの競争取引も行われるようになります。

 

江戸日本橋の魚市場、大阪堂島の米市場などは卸売市場として発展していきました。

 

つい最近、築地から豊洲に移転した卸売市場も有名ですね。

 

座とは

 

 

()とは、中世に朝廷や有力な公家、寺院などから保護され、お金を払う代わりに商品の販売や営業を独占する権利を与えられた商工業者や芸能者の団体のことです。

 

①座の構成員

商業では各地で広く定期市が開かれるようになった頃、京都の西陣や、博多の絹織物をはじめ陶器、紙、酒、油など特産品が各地で生産されるようになり、刀や農具を造る鍛冶・鋳物業も盛んになりました。

 

このような様々な芸能や手工業に携わる人々は職人と呼ばれましたが、彼らのような人々が同業者団体である「」を作っていったのです。

 

また、「座」には土倉や酒屋のような金融業を営む団体や、大名の家来が統制する商人団体など大変多くの種類がありました。

 

「座」のメンバ-も通常は数十人程度だったそうですが、中には200人位の大規模なものもあったということです。

 

今でいう組合みたいなものとも考えられますね。

 

②座の特権

「座」はその所属する荘園を管理する公家や寺院など「本所」に、お金(座役)を納めることで様々な特権を与えられました。

 

その本所が支配する地域での、原材料調達や製品販売の独占権や、関所を通る際の関銭の免除、地域内の市で商売する際の税金免除などです。

 

また芸能団体には、その芸の興行独占権や税の免除などもあったそうですが、その代わりに地域内の神事に奉仕する義務があったようです。

 

これらの座の中でも石清水八幡宮の大山崎油座、東大寺の鍛冶座、北野社の麹座は大変有名でした。

 

③座の弊害

これらの「座」は、初期の頃は有力者の庇護の下でその活動を継続、発展させていく良い進化を遂げていたようです。

 

ところが、座に属さない団体の市での商売を認めない等と自由な交易を阻害し、市での価格統制なども行ったため、徐々にその弊害の方が目立つようになっていきました。

 

また、本所などの有力者に繋がっている「座」が独占商売により力をつけていくことは、領内を一円支配したいと考える戦国大名にとっても非常に都合の悪いことだったのです。

 

尚、補足ではありますが、「座」という言葉が近年はこの中世の座と違う意味合いで使われています。

 

江戸初期からの浄瑠璃や歌舞伎の「座」は『きちんと興行権を得ている証』から、そのまま興行をする場所そのものの名になってしまったものとなります。今も歌舞伎座などと呼んでいますよね。

 

楽市楽座の効果

(織田信長 出典:Wikipedia)

 

 

歴史上、最初に「楽市」を実施したのは1549近江国の六角定頼だったと言われています。

 

残念なことに実情があまり詳細に残っていないこともあり、広い支配地域内で大々的に政策を実施した点で、1577年織田信長が安土城下に出した「楽市楽座令」が有名となっています。

 

信長は先例を参考にしつつ、新たな効果も狙って政策を実施していったのでしょう。

 

①経済効果

例えば、バザーやフリーマーケットの出店料が高額だったら、出店数は減りますし、それによって取引する商品の量と種類も減ります。

 

また、ある一部のお店だけに特権(出店料無料)などあっては、クレーム問題になってしまいますね。

 

この政策は「楽市」によって市場税を免除したことで誰でも自由に市に参加できるようにし、また「楽座」により「座」の特権を廃止したことで、多くの新しい商人が取引に参入するようにしていったのです。

 

そのため商業が活性化し、狙い通りに領国内全体も活気づいたのです。これが通常よく知られる「楽市楽座」の経済効果です。

 

②政治的効果

経済効果も勿論ですが、武士による支配体制確立のためにも、「楽市楽座」は大きな役割を果たしました。

 

公家や寺院の勢力を極力削ぎたいと考えた信長は、「関所の廃止」で彼らの重要な収入源だった「関銭」を奪い、さらにここで座を廃止することで「座役」も奪います。

 

徹底して経済基盤を除いていくことで、権力を握らせないようにしていったのです。

 

また権力者の庇護をうける「座」がいないことで、領内での商工業を統制し、自分の支配下に確実におけるようにしたという点も非常に大きかったのです。

 

まとめ

・領国内の商工業の活性化と城下町繁栄のための政策が「楽市楽座」。

・市での課税を無くし、座の特権無くし、どちらも楽にした政策だった。

・市は物資の取引を行うことや、その場所のことを指す。

・座は同業者団体のこと。権力者に奉仕や献金することで特権を得ていた。

・信長の「楽市楽座」は1577年に実施、語呂合わせは

「これ以後(15)は泣く泣く(77)特権廃止で、楽市楽座だね。」で覚えるとよい。

・楽市楽座でも収入源の「座役」を奪われた公家や寺院などの没落は進んでいった。

・楽市楽座によって商工業者の支配もしっかり出来るようになっていった。




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