日本が一番浮かれていたであろうバブル時代。

 

しかし、このバブル時代はいきなりやってきたのではなく、とある合意がなされた上で起こっていったのです。

 

今回はそんなバブル時代に突入していった要因の1つである『プラザ合意』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

プラザ合意とは?

(プラザ合意前後の「対USD」各国為替推移 出典:Wikipedia

 

 

プラザ合意とは、ドル高を調整するために1985年(昭和60年)にアメリカが日本を含む先進国5カ国に為替市場に介入することについて会談した出来事のことです。

 

この出来事によって日本はバブル時代へと向かっていくことになります。

 

プラザ合意の背景と目的

(ベトナム戦争「ナパーム弾投下の様子」 出典:Wikipedia

①ベトナム戦争の爪痕 アメリカの赤字財政

プラザ合意の最大の理由の1つにこの頃のアメリカの財政が危なかったことにありました。

 

1981年、アメリカではロナルド・レーガンが大統領に就任します。

 

 

(ロナルド・レーガン 出典:Wikipedia

 

 

この頃のアメリカはベトナム戦争の煽りもあってインフレ状態にありました。

 

そこでレーガン大統領はまず、これまで続いていたインフレの状態をなんとかするために20%にもなる高金利と厳しい金融引き締めというダブルセットを使って世界からの投機を集めるといういわゆるレーガノミックスで、なんとインフレを脱出することに成功しました。

 

しかし、インフレに脱出したらしたで大問題が発生します。

 

実はこの時インフレを脱出したおかげでとんでもないドル高になってしまい、さらには貿易での赤字がかさんでしまい『双子の赤字』という財政赤字と貿易赤字が重なってしまう大ピンチに追い込まれてしまいました。

 

②アメリカの対日貿易

アメリカが一番なんとかしたかったもの。

 

それは日本との貿易関係でした。当時日本は円安の勢いもあってか日本の製品をアメリカによく輸出していました。

 

例を挙げるとすれば・・・今でもトヨタとか日本車などがアメリカ国内などで売れていますよね。

 

日本としたらアメリカでも売ることができてお金が稼げることができますが、こんなことされてもらうとアメリカとしたら国内の車が売れなくなってしまい大変困ってしまいます。車なんて1つで十分ですからね。

 

さらにアメリカの会社は「ならば、日本にも車を売りつけてやろう!」となりますが、アメリカの車ってでかいので日本には合わずあまり売れません。

 

そのせいでアメリカの車は日本で売れないのに日本の車は売れに売れまくるというアメリカが一番嫌な状態となり、アメリカは日本との貿易摩擦が深刻なものになってしまいました。

 

アメリカでは日本車を壊すジャパン・バッシングが起こっていたほどです。

 

 

(ジャパンバッシング 画像引用元

 

 

そのため、アメリカは特に日本との貿易関係をなんとかするために貿易するのには不利なドル安・円高を目指そうとしていたのです。

 

プラザ合意の内容と結果

(ニューヨークのプラザホテル 出典:Wikipedia

 

 

 

プラザ合意は1985年9月2日にニューヨークのプラザホテルで行われました。

 

プラザホテルで行われたからプラザ合意という名前なんです。

 

アメリカは先進国の中でも特に経済大国だった西ドイツ・イギリス・フランスそして日本と会議を行い、自由貿易を守るために各国がそれぞれドル安を目指していくことで合意しました。

 

この時の日本の代表はのちに首相となる竹下登。彼はアメリカの依頼を受け入れて貿易の利益よりもアメリカとの友好関係を選びました。

 

そしてこの合意の翌日に日本の為替市場は1ドル235円から215円に、翌年には150円相当になるなど合意前よりも85円相当安くなりました。

 

(プラザ合意前後の為替レート「円高進行」 出典:Wikipedia

 

プラザ合意の日本への影響

①アメリカのインフレ

プラザ合意によってアメリカはドル高を維持し、貿易の赤字を少しは抑えることができましたが、一方でこれによってアメリカではレーガンがなんとかして収めたかったインフレ化が再び進んでいくことになっていきます。

 

そこでアメリカでは1987年にドル安を再びなんとかするためにフランスのルーブル宮殿にてルーブル合意が結ばれました。

 

しかし、この合意はプラザ合意とは違い、他国との調整がうまいこといかず、失敗に終わってしまい、しばらくの間アメリカでは再び日本との貿易摩擦を間抱え込むことになっていきます。

 

さらに日本がその後バブル景気に突入するとアメリカの企業がどんどん買収されていく屈辱的な光景が見られるようになっていくのでした。

 

②海外旅行のブーム

プラザ合意によって巻き起こった円高は日本の経済からすれば大打撃でしたが、一般庶民からすればこれによって海外旅行が行きやすくなります。

 

例えば・・・アメリカドルが360円の時に日本からアメリカに行った場合、一万円を持ったとしてもわずか27ドルにしかなりません。

 

しかし、プラザ合意以降一ドルが150円程度になりましたが、これによって一万円持って行ったら前の倍以上である66ドルに換金できるようになります。

 

これによって手頃となった海外旅行が大ブームに。日本に近いアメリカであるグアムやハワイなどに観光客が押し寄せていきました。

 

③円高不況と国内への投資

元々、安い為替市場を1つの柱として貿易を行なっていた日本にとってプラザ合意はまさに日本の貿易の死活問題でもありました。

 

プラザ合意によって極度な円高となると貿易で稼いでいだ日本の経済は一気に落ち込んでしまいます。これを円高が原因で起こった不況ということで円高不況といいます。

 

円高不況となって貿易がしづらくなった。そこで日本ではこれまで海外に対して投資していた分を日本に投資して国内産業を充実させていきます。

 

また、日本の中央銀行である日本銀行は公定歩合という民間銀行に対してお金を貸す時の金利を大幅に値下げ。銀行が金を借りやすくようにし、民間の手にお金が行き届くように調整しました。

 

また、国内企業の中ではアメリカに売るのではなく、東南アジアや中国などの需要があり、さらに労働力が豊富な地域に進出し、そこに工場を建てる企業が増加していき、東南アジアや中国などの発展の原動力の1つとなりました。

 

④そしてバブル時代へ

公定歩合の引き下げや国内投資の増加によって日本では流通するお金の量が極端に多くなり、さらに国内投資を行なったおかげで土地代がどんどん急上昇する土地バブルというものが始まっていくことになりました。

 

当時日本では土地神話と言って土地の価値は絶対に落ちることのないという今では考えられない迷信が広まっていました。

 

まぁ、当時日本は高度経済成長期が終わっていたことで土地の値段が大きく下がったことがなかったのが要因だったと思いますが、このような迷信のおかげで日本中で土地を買うブームが巻き起こり、さらに株ブームと合わさって日本はバブル景気という今では考えられないほどの一大好景気がやってくるのでした。

 

まとめ

 プラザ合意は1985年にニューヨークのプラザホテルで行われた各国がそれぞれドル安を目指すために為替市場に介入する合意のこと。

 プラザ合意以前のアメリカは特に日本の貿易摩擦が激しく、双子の赤字を持っている財政難の状態だった。

 プラザ合意によって一気にドルが安くなり、海外旅行がブームとなった。

 プラザ合意によって日本は円高不況に入っていくようになり、その後国内への投資が増加していってバブル時代へとつながっていった。




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