【ロッキード事件とは】簡単にわかりやすく解説!!事件の真相・証人喚問・田中角栄など

 

昭和最大の汚職事件とされる「ロッキード事件」。

 

当時の前首相も関係した出来事ですが、謎も多い事件です。

 

今回はこの謎多き『ロッキード事件』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

ロッキード事件とは?

(田中角栄首相とニクソン大統領 出典:Wikipedia)

 

 

ロッキード事件とは、1976年(昭和51年)に発覚したアメリカの航空機製造会社であるロッキード社が自社の航空機を採用してもらうため世界各国の政治家に賄賂を渡していた事件です。

 

日本では当時の前首相である田中角栄がロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとされ、逮捕・起訴されました。

 

その後、田中角栄は裁判で実刑判決を受けます。

 

田中角栄は控訴しますが、2審も1審を支持、最高裁で裁判中に田中角栄が死去したことにより、1993年に棄却されました。

 

ロッキード事件発覚までの流れ

(ロッキード社“全日空のトライスター” 出典:Wikipedia

①ロッキード社の状況

ロッキードは戦闘機などの軍事用の航空機をたくさん生産していました。

 

しかし、ジェット機化の流れの中で民間の旅客機では市場のシェアを取れずに苦戦していました。

 

ロッキードは起死回生のため新型の旅客機を開発します。それがトライスターでした。

 

トライスターはロッキード社で初めて作られたジェット旅客機で、ロッキードが持っている軍用機の技術がふんだんに使われた画期的な飛行機でした。

 

ベトナム戦争が終結すると軍用機の売上比重が高いロッキードは経営的にも苦しくなります。トライスターが社の命運を握る存在になったのです。

 

しかしながらボーイングやダグラスといった他社との受注競争にさらされます。

 

そこでロッキードはトライスターを採用してもらえるようにいろいろな国の政治家や航空関係者に接触をとります。

 

日本の場合は全日空(ANA)が新しい大型機を選んでいる最中だったので、ターゲットにされました。

 

②チャーチ委員会

全日空では騒音面での優位性もあり、トライスターの発注を決めます。

 

トライスター納入の2年後、アメリカの上院で開かれたチャーチ委員会という外交委員会でロッキード社が世界各国へ賄賂を渡していたことが発覚します。

 

その中で全日空へも30億円が渡されていたことが明らかになりました。

 

しかも、ロッキード社の日本での代理人になっていた児玉誉士夫から実業家の小佐野賢治や商社の丸紅を通じて、前首相の田中角栄に5億円が渡っていたのです。

 

 

(児玉誉士夫 出典:Wikipedia)

 

 

全日空のトライスターだけでなく、自衛隊の飛行機でもロッキード製のものを採用してもらうためでした。

 

当時哨戒機を国産にするという話が出ていたのです。

 

ロッキード事件の経過

①証人喚問

事件発覚後、関係者が国会に証人喚問されます。

 

国民から注目を集めたものの、小佐野賢治は「記憶にございません」を連発、何も明らかににはなりませんでした。

 

小佐野としては嘘をつけば偽証罪に問われますし、事実を述べれば迷惑をかける人がいるのでこういう対応を取らざるを得なかったのでしょう。この言葉は当時の流行語にもなりました。

 

事件の資料などはアメリカ側にあり、それをもらわなければ日本側は捜査も進めることができなかったのです。

 

②田中角栄の逮捕

事件発生時の首相は三木武夫。三木は角栄の後任として首相になっていました。

 

それにはこのような経緯がありました。

 

田中角栄が金権問題で退陣したあと、後任の選定が副総裁の椎名悦三郎に委ねられます。

 

角栄のライバルの福田赳夫と角栄の盟友の大平正芳の二人の有力者がいましたが、どちらにしても自民党が分裂すると考えた椎名は三木武夫を後継に指名します。

 

 

(三木武夫 出典:Wikipedia)

 

 

しかし、三木は小派閥のリーダーでしたので党内基盤は脆弱。彼は国民の関心が高いロッキード事件を利用して国民の支持を集めようとしたのです。

 

三木は捜査を積極的に進めようとします。

 

これに対して角栄に近い議員たちを中心に三木内閣を退陣させようと反発。いわゆる三木おろしが行われます。

 

田中派だけではなく自民党内のほとんどの派閥が三木おろしに参加するなか、国民やマスコミの批判を頼りに三木はふんばります。

 

このような状況の中、ついに角栄は逮捕されることになりました。

 

角栄逮捕後、三木は首相の専権事項である解散権を行使することができず、戦後初の任期満了に伴う衆議院選挙が行われました。

 

ロッキード事件に関する自民党のゴタゴタを見ていた国民は愛想を尽かし自民党は8議席減の敗北。責任を取って三木は首相を辞任します。

 

ロッキード事件の裁判 

田中角栄

逮捕された角栄は起訴され、保釈金を払います。

 

裁判そのものは翌年開始され、世間の注目を集める中、1983懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下されました。

 

角栄は判決を不服とし、控訴。また国会議員の辞職も拒否しました。

 

元首相が有罪判決を下されたことを受け、国会で野党が反発。当時の中曽根内閣は事態収拾のため解散総選挙を選択します。

 

角栄は自己最高の票を集めトップ当選しますが、自民党は過半数割れ、新自由クラブと連立を組むことになりました。

 

裁判のほうは控訴が棄却され、角栄は上告しますが裁判中に角栄が死去し公訴棄却となりました。

 

児玉と小佐野

 事件の中心人物であった児玉誉士夫は証人喚問も病気を理由に欠席。

 

裁判も同じ理由でほとんど進みませんでした。

 

以後ほとんど自宅に引きこもることになり、1984年に児玉は亡くなります。

 

小佐野も懲役1年の実刑判決を受け、控訴するものの1981年に亡くなりこちらも公訴棄却となりました。

 

丸紅

丸紅は総合商社としてロッキードとの仲介役を担っていました。

 

自衛隊の哨戒機が国産になってしまうと、手数料が入ってきません。丸紅としてもロッキードの飛行機を採用してもらったほうがいいのです。

 

そういう理由で丸紅社長の檜山廣はロッキード社からお金を出させ、角栄に渡したとされたのです。いわゆる「丸紅ルート」です。

 

彼も最高裁で実刑が確定しますが、年齢が高かったため収監はされず2000年に亡くなりました。

 

全日空

全日空はロッキードから受け取ったお金の一部を政治家に配っていました。

 

そうすることで自社に有利にはからってもらおうとしたのです。

 

これは元のお金がロッキード社から出ていたというだけで、賄賂の目的は全日空のためでした。こちらは「全日空ルート」と呼ばれます。

 

受け取ったとされた政治家も全日空側の人間も有罪判決を受けました。

 

ロッキード事件の与えた影響

 

ロッキード事件は首相が関係した疑獄事件ということで大きな影響がありました。

 

そのため政治的な混乱も起きました。

 

ロッキード事件の対応を巡って政府や自民党が混乱したのはそのためでした。それだけ田中角栄の存在感が大きかったのです。

 

 

(田中角栄 出典:Wikipedia)

 

 

彼は金権政治と批判される面もありますが、政治家として人望も能力もある人物でした。

 

事件そのものがアメリカ発のものであったために、十分な捜査ができたわけでもなく、関係者が相次いでなくなったために真相がはっきりしない面もあります。

 

そのため、陰謀論が未だに残っているのも事実です。

 

重要な資料が誤送されたことでロッキード事件が発覚したことや、金銭の授受方法が大金の割にずさんなことから何か裏があるのではないかと憶測を呼んでいます。

 

田中角栄が石油を巡り中国やソ連と接近する政策を取ろうとしたことからアメリカに失脚させられたという説もあるくらいです。

 

事実が何か誰にもわかりませんが、角栄が失脚していなければその後の日本の姿がまた違っていたものになっていたことでしょう。

 

角栄は将来の国家設計ができる数少ない政治家の一人であったと思います。

 

ロッキード事件によって角栄の負の面がクローズアップされてしまったのは残念です。

 

まとめ

 ロッキード事件とは世界規模でおきた疑獄事件のこと。

 ロッキード社のトライスターを採用してもらうために各国首脳に賄賂が送られた。

 日本では全日空に採用してもらうべく、ロッキードから金をもらった人物がいた。

 その中に前首相の田中角栄がいたことが大問題になった。

 政敵の三木武夫は自己の権力基盤を強化すべく真相解明に奔走。

 親田中派と反田中派で自民党に内部抗争が起こった。

 関係者は裁判で有罪判決が下された。

 事件の発生過程や状況には謎があり、陰謀論も残っている。