寺院法度と諸宗寺院法度、こちらは内容が似ていることからよく勘違いしてしまう歴史事項のひとつだと思います。

 

要点を抑えれば間違って覚えしまうことを回避することができます。

 

そこで、今回は寺院法度と諸宗寺院法度の違い、覚える要点を簡単かつわかりやすく解説していきたいと思います。

 

寺院法度と諸宗寺院法度の違い

 

寺院法度(じいんはっと)は、1601年にお寺やお坊さんに対して出された法律です。

 

お寺といっても今ではたくさんの宗派がありますが、出された当時昔からある宗派に向けて作られた法律になります。

 

一方、諸宗寺院法度(しょしゅうじいんはっと)は1665年に寺院法度を一本化し、宗派ではなくそれぞれの宗派本山に向け出された法律です。

 

いずれもそれぞれを統制するために作られた法律になります。

 

ここからは、「寺院法度」「諸宗寺院法度」それぞれについて詳しく解説していきます。

 

寺院法度について詳しく

 

寺院法度とはいったいどんな内容だったのでしょうか。詳しく掘り下げてみていきましょう。

 

①寺院法度が出された時代背景

寺院法度が出されたのは1601年のことです。

 

その当時の幕府は、寺院の勢力拡大を恐れ危機を感じていました。

 

どうにかしなくては……と考えた幕府が高野山をはじめとする各宗派や僧侶に対して法令を出しました。

 

ではなぜ幕府は寺院の勢力を危険視したのでしょうか。

 

これは関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は寺院の勢力だけを危険視していたわけではなく、ほかにも地方武士であったり、朝廷などが持つ力にも危惧を抱いていたためです。

 

 

(徳川家康 出典:Wikipedia

 

 

こうして、寺院の力を抑えるために行ったのが寺院法度なのです。

 

②寺院の力を抑えるために行った内容とは?

仏教の教団を統制するために本寺末寺制度を盛り込みました。

 

目的は無本寺寺院をなくすことでした。

 

本山と末寺という関係を固定させることで、勝手に新しい寺を建てることができなくなり、また幕府はなにかあれば本山の方にだけ通達すれば、各地にある寺院ひとつひとつに連絡する手間もなくなります。

 

ほかにも僧侶がみだりに昇進したりしないようにすること、悪僧を勝手に追放することができなくなりました。

 

こうして寺院側が勝手に力を誇示するような行為ができないようになったのです。

 

③寺院法度の結果

寺院への統制が取れ始めるとともに、一部の仏教やキリスト教への弾圧も加速していきます。

 

1665年、徳川家綱の時代になるとその制度はさらに組織化されていきます。今までの信仰を改宗させる動きも出てきたのです。

 

この改宗の対象には神職者も含まれており、改宗しない者への弾圧も日に日に酷くなっていきました。

 

また今の時代も残る檀家という制度が始まるのもこの頃からです。

 

今の時代も日本は仏教という印象が強いのは、この頃に出された法度が根底にまだあるからだと考えられます。

 

諸宗寺院法度について詳しく

 

一方、諸宗寺院法度は教派本山に向けられて出されたものです。こちらも詳しく掘り下げてみていきましょう。

 

①寺院法度が出された時代背景

諸宗寺院法度は、1665年、徳川家綱の時代に出されました。

 

 

(徳川家綱 出典:Wikipedia

 

 

この法令は1601年、先に出された寺院法度をより進めることを目的としています。

 

諸宗寺院法度を出した年、統制を目的としたのは寺院や僧侶だけではありません。神社や神職に対して統制するための諸社禰宜神主法度も出されていました。

 

幕府側としては宗教側に幕府以上の力を誇示してほしくない思惑があったのは否めません。

 

もちろん、統制することへの意味はそれだけではありませんが、寺院や僧侶に対しては勢いへの脅威はありました。

 

また幕府として受け入れ難い一部の仏教とキリスト教へは弾圧という手段で追い出しを図りました。

 

②諸宗寺院法度の内容

諸宗寺院法度は寺院法度とは違い、末寺などを抱える本山に向け通達されたものです。

 

そのため、かなり内容も細かくなっています。

 

たとえば・・・

・法式を乱さないこと

・新たな法式を取り入れたりあたかも本当だと言わんばかりの怪しい説はしないこと

・秩序を乱さないこと

・ほかの寺の檀家を奪い取らないこと

・僧侶の副業の禁止

・寺領の勝手な売買や質入れの禁止

などです。

 

今では当たり前のような事柄ばかりのように感じますが、それらを禁止しなくてはならないほど力を持っており、無法地帯のような存在であったことは容易に想像できます。

 

僧侶に対しては、

・儀式は盛大にと望まれても相応のものにすること

・家に仏壇を構えて寺にすることを禁止

・親類であっても女性を泊めてはならない

などがだされました。

 

僧侶の振舞への制限も、欲望のままが許された時代を得て手にした権力などを制御するためと思われます。

 

③寺院法度の結果

寺院を宗派ごとに本山と末寺で組織していくことで、幕府側は通達などを出す際、各宗派の本山にだけ通達すれば済むことになります。

 

また本山にある程度の地位などを認めることで、本山と末寺との関係に主従関係が成立します。

 

幕府が各地にある寺ひとつひとつを監視する必要性がなくなったともいえます。

 

本山に地位を与えたとしても、勝手にできない禁止事項があるため、本山側としても許された範囲内でしか地位を発揮することができなくなります。

 

幕府が認めない宗派やキリスト教への弾圧の酷さから、幕府に逆らってまで……という考えが無くなりつつありました。

 

結果、幕府が推奨する仏教へ改宗する人も少なくなかったと思われます。

 

幕府にとって脅威であった仏教の力を削ぐことと、国内の宗教の統制が整ったといえるでしょう。

 

檀家とは?

 

 

諸宗寺院法度にある、檀家を奪い取ってはいけない……この檀家とはなんでしょうか。

 

今の時代でも仏教、お寺と並び檀家は切っても切れない関係といってもいいでしょう。

 

檀家とは檀家制度からはじまり、これは幕府の宗教統制から生まれた制度です。

 

簡単に言ってしまえば、お布施のこと。檀家とは檀越ともいい、檀越はお布施のことを意味するからです。

 

檀家という言葉は江戸時代よりはるか前から存在していましたが、江戸時代から使われる檀家とは意味が違いますので、ここでは江戸時代以降の檀家に絞ります。

 

檀家とは信仰する宗派特定のお寺に属し、祭儀や供養などをそのお寺にすべて一任します。

 

お任せするにあたり、お支払い(お布施)することから来ています。

 

寺の存続や祭儀、法要などが行われるのは、檀家による力が影響しているといってもよいでしょう。

 

だからこそ、檀家を奪い合ってはいけないという禁止事項が入れられたと考えられます。

 

しかし、考え方によっては檀家は寺院に縛られる(人質的な?)という懸念もあるようです。

 

檀家制度の現在

第二次世界大戦の終戦後以降、寺院そのものが持つ権限はほとんど残っていないようです。

 

しかし、21世紀になった今でも檀家の制度は細々と残っています

 

仏教の在り方が江戸時代とかなり様変わりしてしまったことが一番の理由ではないでしょうか。

 

信仰はわずかに残り、ほとんどがお葬式など昔からある儀式は風習として根付いていますので、その時にしか仏教に触れないからではないでしょうか。

 

時代の移り変わり、宗教の自由が得られるようになったこともあり、年々減少、寺院の存続も危うくなりつつあります。

 

まとめ

 寺院法度はお寺とお坊さんに宛てたもの、諸宗寺院法度は各宗派の本山に宛てたもの。

 徳川家康が勢いある仏教の統制をはかりたく出したのが寺院法度。

 徳川家綱がさらに統制したいと考え新たにだしたのが諸宗寺院法度。

 諸宗寺院法度の後仏教の統制はとれたが、一部の宗教への弾圧も行われた。

 現在、寺院の権力はほぼないが、諸宗寺院法度の一部、檀家制度は今も細々と残っている。




関連キーワード