【株仲間と座の違い】簡単にわかりやすく解説‼惣・五人組の違いについても!

 

平安時代以降は、武士たちだけでなく商人たちも活躍し始めます。

 

座も株仲間も、同じ職業に携わる人たちが集まってできた集団ですが、登場した時代や内容が異なります。

 

また、同時期に惣や五人組と呼ばれる集団も登場するので違いを確認していましょう。

 

座と株仲間の違い

 

 

座も株仲間も、同業の職業の集まりで税を納める代わりに独占的な営業を認められていた点は同じです。

 

それでは違いについて確認していきましょう。

 

株仲間と座の違い

 

◎座(ざ)

 

時代・・・鎌倉〜室町時代

保護してくれたところ(税を納めたところ)・・・公家(貴族)や寺社

納めたもの・・・座金(税金)や座役(労役)

 

◎株仲間(かぶなかま)

 

時代・・・江戸時代

保護してくれたところ・・・幕府や藩

納めたもの(税を納めたところ)・・・運上金(営業税)や冥加金(独占的に営業させてもらうことへの御礼金)

 

 

座について詳しく

①座の登場

最初に登場したのは平安中期の頃で、同じ職業の人たちがまとまってできた集団と呼びました。現在でいうところの組合みたいなものです。

 

学校の授業などで取り上げられるのは鎌倉〜室町時代の頃で、公家(貴族)や寺社に税を納める代わりに保護を受け、独占的な営業を行っていました。

 

座が作られる以前も定期市と呼ばれる市場が開かれており、月に3回行われる三斎市(さんさいいち)などが行われていました。

 

この市場は交通の要所や寺社の前で開かれ、地元の特産物や米を売ったり、都市部からきた行商人が工芸品や織物を売ったりする人もいました。

 

②座が与えた影響

当時、権力の強かった公家(貴族)や寺社たちに商売の特権を与えられたことで商人たちは力をつけていきました。

 

しかし一方で、座に登録している人しか商売することを認められていなかったため、新しい人たちが参入できないというデメリットもありました。

 

また、商人たちは独占権を認められたことで、自分たちの都合の良いように価格の設定ができるようになり、法外な値段で商品が取引されるということも起こるようになってしまいました。

 

③座の廃止

座の特権を持つ人たちのみで商売が行われてしまうと特定の商人のみが儲けてしまう状況が続き、新しい人たちも商売を行えないため、座を廃止する動きが起きます。

 

楽市楽座・・・座を解散して、誰でも自由に商売を行えるようにした経済政策。1549年の六角頼家のものが最初とされているが、最も大規模で有名なのは1569年に織田信長が行ったものとされている。

 

 

④座の廃止後

楽市楽座によって座がなくなり、様々な人が商業に携わるようになり、城下町に多くの人が集まるようになりました。

 

規制が緩和されたことで、安い資金で商売が始められ、商売への新規参入も簡単になりました。

 

その結果、競争が強まり商品の価格も下落。取り扱われる品物も増え、地域の生産性が上がり、公家(貴族)や寺社の税収入も増えていきました。

 

それまでの年貢以外の収入を得られることで余剰金ができ、鉄砲などの火薬武器を揃える資金源ともなりました。

 

織田信長は、自分が納める城下町を経済的に活性化させ、支配力を強める狙いもあったのです。

 

株仲間について詳しく

①株仲間の登場

株仲間は、江戸時代幕府や藩から保護を受けた同業者の集団のことです。6代将軍徳川吉宗のもと、田沼意次によって奨励されました。

 

それまでお米が税の役割を果たしていましたが、商人などのお米を作っていない人々は地子税(宅地税)や運上税(営業税)を納めている程度で、多くの税を納めてはいませんでした。

 

農民ではない人々からも税を集める良い方法はないかと考えた結果、商人たちに独占的な営業を認める代わりに、営業税を納めさせる制度を実施したのです。

 

つまり、政治的に独占的な営業を認められていたため、この時代の商人たちの権力は強まりました。

 

・・・その団体の中での権利や地位のこと

 

商人たちはこのを買うことで株仲間に入ることができました。

 

②株仲間が与えた影響

株仲間が取り入れられたことで、同業の「仲間」うちで商品の価格などが話し合って決められ、競合することがなくなりました

 

これにより自由競争がなくなってしまったため、商品の価格は高騰し、庶民たちは適正な価格で商品を購入できないというトラブルも生じました。

 

また、商人たちの間では、特権を認めて欲しい、独占販売をしたいといった人たちが増え、田沼意次に対して運上金や冥加金の他に賄賂を送るようになってしまいます。

 

商人たちは儲かるけれども庶民たちが苦しむこととなりました。

 

③株仲間の廃止

1841年、老中だった水野忠邦は賄賂が横行した世の中を正して元の物価に戻すため、株仲間を解散させる天保の改革を実施します。

 

 

幕府は座を解散させた楽市楽座の時と同様、商人たちに自由な取引を行わせて価格競争を起こし、物価の引き下げを期待しました。

 

しかし、物価高騰の実質的な原因は株仲間ではありませんでした

 

商品の生産地から上方地方(京都や大阪をはじめとする近畿地方)に運ばれてくる前に下関や瀬戸内海など他の地域で売買されてしまい、流通量が減ってしまっていたのです。

 

④株仲間の廃止後

幕府は物価高騰の原因は株仲間だと考えて政策を行いましたが、株仲間を解散したことでさらに流通ルートが機能しなくなり、経済政策の効果がなかったどころか、市場を混乱させることとなりました

 

株仲間解散から10年後の1851年、株仲間再興令を出し、株仲間を復活させました。

 

しかし、以前の制度をそのまま復活させたのではなく、冥加金は納める必要はない、希望があれば株仲間への新規加入を認めるなど、前回の失敗を踏まえたものになりました。

 

惣と五人組の違いについて

 

 

 

どちらも農民の集団ですが、惣は村ごとに作られた集団で農民たちが自主的に作った集団です。

 

一方、五人組は、幕府や藩が農民たちを支配するために命令して作った組織です

 

イメージとしては荘園(しょうえん)と呼ばれる貴族や寺社が支配していた村々の中で、自主的に生まれた農民の集団、その農民たちを支配しようと幕府や藩が命じて作らせた集団五人組です。

 

 

①惣について

惣は室町時代に登場した集団ですが、座や株仲間と異なり、こちらは農民たちによって作られた集団です。

 

農民たちが村ごとに作った町内会のようなもので、協力しあって農業を行い、寄合(よりあい)と呼ばれる会合を開き、掟や決まりごとを定めました。

 

時には荘園領主や守護大名に年貢の軽減を訴え、受け入れられない場合は土一揆(つちいっき)を行い、武力で反抗することもありました。

 

②五人組について

五人組は幕府の命令で作られた農民の組織。

 

近くの家同士、原則5戸を1グループにして、税を納めさせたり、キリシタンがいないかどうか互いに監視をさせたりしました。

 

このようにすることで連帯責任を負わせ、農民の逃亡を防いだり、年貢をきちんと納めさせたりすることを目的としていました。

 

また、犯罪を働いた人を報告しないと罪になったため、治安維持の役割も果たしました

 

まとめ

✔ 座と株仲間は同業の商人たちの集団。

✔ 座は鎌倉〜室町時代に、公家(貴族)や寺社から保護を受けて税を納めた。

✔ 株仲間は江戸時代に、幕府や藩から保護を受けて税を納めた。

✔ 惣と五人組は農民の集団。

✔ 惣は、室町時代に登場した自治組織で、協力しあって農業を行い、時に力を合わせて領主に反抗した。

✔ 五人組は幕府の命令によって作られた組織で、連帯責任を負わせることで税を納めさせたり、犯罪行為を起こさないよう互いに監視させたりした。