第二次世界大戦において戦後のことについて話し合われた会議はとても重要です。

 

その中でもカイロ会談という会議は皆さんが知っているポツダム会談とかヤルタ会談とはちょっと特殊な部分があったのでした。

 

今回はそんな『カイロ会談』についてわかりやすく解説していきます。

 

カイロ宣言とは?

(カイロ郊外にあるピラミッド 出典:Wikipedia

 

 

カイロ宣言とは、1943年(昭和18年)にエジプトのカイロで開かれたアメリカ・イギリス・中国の間で日本に対する方針&戦後の日本の処遇について話し合った会談を経て示された宣言のことです。

 

この会談によって日本の処遇はほとんど決まり、のちのポツダム宣言にも一部引き継がれました。

 

 

カイロ宣言が行われた背景

(ミッドウェー海戦 出典:Wikipedia

 

 

太平洋戦争においてミッドウェー海戦などで勝利し形勢が逆転した1943年。

 

 

この年、アメリカのルーズベルト大統領は日本のこれからの攻略方針を固めるために連合国の中心国で会談を行うことを提案してしきました。

 

しかし、この会談の一番の特徴はなんといってもそのメンバーに中国が入っていることです。

 

普通連合国の会談といえばアメリカ・イギリス・ソ連がメジャーであまり中国のイメージはありませんが、このカイロ会談だけにはなぜか入っています。

 

実はその裏にはアメリカの中国に対するとある思惑があったのです。

 

まずはそのアメリカの思惑についてみていきましょう。

 

①大東亜会議の結成に対する反抗

アメリカがカイロ会談を開く要因の一つに日本が大東亜会議を開いたことにあります。

 

大東亜共栄圏という言葉なら聞いたことあると思いますが、この会議はそんな大東亜共栄圏を築き上げてアメリカとイギリスの支配から脱出しようとするために東京にて開かれました。

 

 

これはアメリカからしたら気に食わない。日本からしたらアメリカの支配から解放して黄色人種の権利の向上という一見したら至極真っ当な大義名分を持ってしまうことになってしまいました。

 

ルーズベルトはこれにすごく危惧したのでしょうか、慌ててカイロで会議を開くことを決定。

 

大東亜会議の翌月に開くというスピーディな対応でした。

 

②アメリカの中国に対する期待

もう一つの要因になんとかして中国が最後まで日本と戦ってほしいという点がありました。

 

アメリカが一番恐れていること。それは日本が中国との戦いに勝利することで一気にアメリカに大攻勢をかけることでした。

 

実際問題、日本は確かにアメリカには完敗したものの、この時点では中国方面は日本の圧倒的優勢。

 

中国の国土の広さもあって長期化となりましたが、大攻勢をかけて当時の中国の臨時首都であった重慶さえ落とせば、もはや終わりというぐらいの危機的状況でした。

 

それは何としても避けたいアメリカ。そう感じていたルーズベルトは中国が決して中国が日本に対して降伏しないよう、ある程度の報酬と戦後五大国の一つにすることを約束します。

 

イギリスのチャールズ首相は中国の強さに懐疑的であり、この事に大きく反対していましたが、ルーズベルトはこれを押し通して会議に臨みました。

 

カイロ宣言の内容

(会談での蒋介石・ルーズベルト・チャーチル 出典:Wikipedia

 

 

こうして始まったカイロ会談。

 

上にも書いた思惑通りその時発表されたカイロ宣言では中国に配慮した内容となりました。

 

宣言の内容

  • 日本はこれまでに不当に手に入れた満州・台湾・澎湖諸島を中国に対して返還すること
  • 第一次世界大戦以降日本の信託統治となっていた南洋諸島を手放すこと
  • 朝鮮はしかるべき時に独立させること

 

これを見る限りアメリカは中国に対して「戦争が終わったら日清戦争で手放した台湾と澎湖諸島をあげるから頑張って」という風に捉えられますね。

 

 

この通りルーズベルト大統領は中国に報酬を与える事によって中国を頑張ってもらおうとしていたのでした。

 

カイロ宣言のその後

(アメリカ軍機から台湾にばらまかれた宣言の内容を書いたビラ 出典:Wikipedia)

 

 

カイロ会談の後はアメリカやイギリスは俄然として日本の主要拠点を落としていき、どんどん日本を追い詰めていました。

 

しかし、中国はカイロ会談の後になぜか日本に追い詰められてしまいました。

 

次はなぜカイロ会談を行った後に日本に追い詰められてしまったのかを見ていきましょう。

 

①アメリカの誤算と大陸打通作戦

アメリカの最大の誤算。それは何と言ってもあまりにも中国を買いかぶり過ぎたことだったと思います。

 

ルーズベルトは日中戦争に対して戦況は「中国と日本はどっこいどっこい」と思っており、この状況を打破するために中国に対して報酬を与えていました。

 

しかし、実際のところ日中戦争は日本の圧倒的優勢。

 

本当に太平洋戦争をしていなかったら、今頃降伏してもおかしくないような状況だったのです。

 

さらに1943年の頃、日本軍は最後の賭けに打って出たかのように大陸打通作戦という作戦を実行に移しました。

 

大陸打通作戦というのは当時中国北部にいた日本軍と中国南部にいた日本軍を陸路で結ぶことで中国方面の前線を立て直し、中国を降伏させるというものでした。

 

アメリカとしたら「俺たちが援助しているんだ。しかも、士気もご褒美をあげるんだから高いし日本にも勝てるはず」と思ったことでしょう。

 

しかし、結果は中国の惨敗

 

大陸打通作戦は成功してしまい、中国の航空基地や日本の最大の目的であった陸路での接続を成功させてしまったのです。

 

1944年というと太平洋戦争ではサイパンが陥落して日本に空襲ができるようになった頃です。

 

そんな時でも日本軍に負けてしまった中国を見てアメリカのルーズベルトはガックリ。

 

「情けねぇ...」と見放してしまったルーズベルトは、これ以降重要な会議に蒋介石を呼ぶことはなくなり、代わりに日本と日ソ中立条約を結んでいたソ連に接近するようになりました

 

 

②戦後の中国

こうして最後の最後まで中国の劣勢だったのですが、結局この戦争はアメリカとソ連がとどめを刺したことによって1945年に終戦しました。

 

アメリカからしたら不本意だったのかもしれませんが、これでも一応中国は戦勝国になります。

 

さらに、当時アメリカは日本に変わって中国がアジアの主役になってもらおうと期待したことによって、なんとか無事にカイロ会談で決められた内容は全て履行され、台湾や満州が中国に返還されました。

 

そして、中国は新たに作られた国際連合では常任理事国の地位も獲得します。

 

これまでなにかと虐げられてきた中国が世界の一等国になった瞬間でした。

 

しかし、戦後に入ると蒋介石率いる国民党は第二次国共内戦において毛沢東率いる中国共産党にあっさり敗北してしまいます。

 

ここにおいても国民党は弱さを見せつけてしまい、最終的には皮肉にも日本から返還された台湾に逃走。

 

中国は大陸に中華人民共和国、台湾に中華民国という二つの国ができたのでした。

 

アメリカからしたらこの中国の体たらくは期待外れに他なりません。

 

仕方なくアメリカは日本をアジアの西側諸国の代表と仕立て上げる方針に変更。そして、その状況は今でも続いているのです。

 

まとめ

 カイロ会談は1943年にエジプトのカイロで開かれた戦後の日本の処遇について話し合われた会談のこと。

 この会談ではアメリカとイギリスと中国が参加した。

 この会談によって戦後中国に満州・台湾・澎湖諸島が返されることが決まった。

 カイロ会談の後、日本は大陸打通作戦を決行。日本はこの作戦を成功させ、中国は二度と会議に呼ばれることはなかった。

 中国は戦後、台湾・澎湖諸島を奪還し、国際連合の常任理事国となった。




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