歴史の教科書や時代劇などで一度は耳にしたことがある、違いがはっきりしない用語。
「旗本」と「御家人」についてはどうでしょうか?昔のお役人の役職名、という感覚で記憶している人も多いと思います。
今回は『旗本と御家人の違い』について簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
旗本と御家人の違い
旗本と御家人は共に江戸時代に将軍に仕えていた家臣です。
身分や役割が異なりますので、その違いをしっかり覚えるようにしましょう。
それぞれの違い
✔ 旗本(はたもと)…江戸時代に将軍に仕え、直接会うことができる1万石未満の身分の家臣。
将軍に拝謁つまり直接会えるのが旗本=「お目見え以上」
✔ 御家人(御家人)…江戸時代に将軍に仕えていたが、直接に会うことは出来ない1万石未満の身分の家臣。
旗本同様に1万石未満であるが、旗本のように将軍に直接会うことは許されない身分でした。=「お目見え以下」
ちなみに、大名は旗本の上の身分であり、石高が1万石以上であります。
つまり、江戸時代に身分の高い順番は大名→旗本→御家人の順番になります。
※石高(こくだか)=①米穀の数量、②米の公定収穫高を表し、年貢を納める際の基準となった。
旗本(はたもと)とは
旗本とは、将軍の直々の家臣で将軍と会うことが出来た地位の武士です。旗本は幕府から知行知(領地)を与えられていました。
①旗本の仕事
旗本の仕事は、様々な役職に分かれていました。
江戸城の警備や将軍の護衛を任務とする「番方」、町奉行などの司法、行政、財政を担当する「文官」などがありました。
文官は町奉行や勘定奉行、大目付、目付などの役職につきました。
旗本の最高の役職は、大奥の取り締まりや通行手形の管理の他上軍が不在時には江戸城の留守を守るという重要な役割を担った「留守居」でした。
②旗本の暮らし
旗本と御家人にでは将軍に直接会うことができるか否かのちがいがありましたが、その他にも旗本は個別に屋敷を拝領していました。
江戸時代の身分制度では武士がトップにありますが、武士の中でも旗本は3割、御家人が7割でした。
将軍に直接会うこともでき、屋敷も与えられている旗本はいかに身分が高く良い暮らしができていたか想像に難くありません。
③最も出世した旗本は柳沢吉保
歴史上、旗本から最も出世したのは柳沢吉保です。
柳沢吉保は「生類憐れみの令」で有名な徳川綱吉の小姓として仕え、綱吉が5代将軍になると、側用人に昇進します。
その後も柳沢吉保は綱吉の寵愛を受けて旗本から大名までに出世しました。
御家人(ごけにん)とは
御家人は鎌倉時代から存在した身分であるが江戸時代の御家人とは意味合いが異なります。
鎌倉時代の御家人は将軍と主従関係を結んだ武士のことです。
一方、江戸時代は武士の身分を示す呼称として用いられました。
①御家人の仕事
御家人は奉行所や他の役所の配下である「与力」や「同心」として働いていました。与力と同心は町の治安を守る警察のような仕事です。
与力が上司、同心はその部下にあたり、与力は馬に乗ることができましたが、同心は出来ませんでした。
御家人全てが何らかの仕事に就くことはできず、むしろ仕事がない人の方が多かったようです。
時間を持て余し、収入を得るために傘を作る、作物を育てて売る等の内職に勤しんでいた御家人はかなり多かったとされています。
②御家人の暮らし
個別に屋敷を拝領できた旗本と異なり、御家人は所属する組単位で屋敷が与えられていました。
これを組屋敷と呼び、八丁堀に多くの組屋敷があったため「八丁堀」が俗称になっていきました。
与えられた組屋敷は、組の人数で分けられましたがその活用方法は個々に活用する他に、組で活用するなどもされました。
いずれの場合も農地や植物の栽培をして朝市に出す、武士以外の者に土地を貸し付けるなどしながら収入を得ていました。
それほど御家人の生活は苦しいものでした。
③御家人の生活の苦しさが記録されている『藤岡屋日記』
江戸後期の情報記録家、藤岡屋由蔵(ふじおかやよしぞう)による『藤岡屋日記』には、いかに江戸時代の御家人の生活が苦しかったのかがわかるエピソードが記録されています。
その内容は、「江戸時代後期、ある御家人が、自宅裏山の崖崩れで土に埋まり圧死したという事故があった。その頃の江戸は、山の斜面を背にした武家屋敷が多かったため、崖崩れにあったのだろうと思われた。しかし、その後、世間では崖崩れで亡くなった御家人は、屋敷の庭の土や、裏山の崖の土を取って、ひそかに土壁用に売って金にしていたらしいという噂が立った。そこまでしてお金を得なければならなかったのか。実はこの時代、御家人の多くは生活が困窮していた。亡くなった御家人も恐らく家計の足しにと考えて土を売ったのだろう。」と記録されています。
旗本と御家人の違いあれこれ
旗本と御家人の違いについていくつかみていきましょう。
1.武士としての格
旗本:侍(騎兵) 御家人:徒(歩兵)
2.人数(江戸時代)
旗本:約5000人 御家人:約17000人
3.将軍への謁見
旗本:代々、家として将軍家への御目見を許される家格を持つ
御家人:出来ないので、代理として大目付が御目見えする
江戸文化歴史検定の出題問題から覚える旗本と御家人の違い
「江戸文化歴史検定」とは、江戸時代の優れた文化や生活の知恵を学び、日本人の心を改めて思い起こし未来に役立てようという趣旨の検定です。
その江戸文化歴史検定1級において過去に旗本と御家人の違いについての問題が出題されました。
江戸文化歴史検定1級の合格者は2017年は14%。旗本と御家人の問題が出題された2015年はわずか4.2%の合格率でした。
実際の問題を確認してみましょう。
【2015年江戸文化歴史検定1級問題より】
問1】旗本・御家人は将軍直属の家臣で、家禄1万石未満の者たちです。では、旗本と御家人の身分を分ける基準として、正しいのはどれでしょう?
(い)家禄500石以上が旗本で、未満が御家人
(ろ)江戸城内に入れるのが旗本で、入れないのが御家人
(は)将軍に御目見(拝謁)できるのが旗本で、できないのが御家人
(に)関ヶ原の戦い以前からの家臣が旗本で、以後になったのが御家人
(出典:Newsポストセブン)
正解は・・・
【正解】
【問1】(は)
昌平坂学問所では、旗本は御家人を「イカ」(御目見以下の意)、御家人は旗本を「タコ」(上にあがることばかり考えている意)と呼び、反目しあっていた。ちなみに旗本は譜代(世襲制)、御家人は基本的に抱席(一代限り。ただし実際には世襲)だった。
(出典:Newsポストセブン)
解説
(い)については、500万石ではなく、1万石が基準でしたね。
(ろ)は、江戸城に入れるか否かではなく、将軍に会えるか否かが旗本と御家人の違いですので不正解ですね。
(は)将軍に御目見(拝謁)できるのが旗本で、できないのが御家人は正解です。
(に)については、関ヶ原の戦いの時期の前後で家臣の呼び名が変わったということではないので不正解です。
まとめ
・旗本と御家人は共に江戸時代に将軍に仕えていた家臣。
・知行(支給される土地や俸禄)が1万石以上だと大名。
・1万石未満で将軍に拝謁(直接会える)のが旗本。
・1万石未満で将軍に会うことができないのが御家人。
・旗本は個別に屋敷を拝領していた。
・御家人は所属する組単位で屋敷が与えられていた。