治安警察法と治安維持法は名前が似ているため混同しやすいですが、時代や目的・内容が異なり、さらに歴史的意義が大きいため、しっかりと理解しておきたい事柄です。

 

今回は、そんな『治安警察法と治安維持法の違い』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

治安警察法と治安維持法の違い

まず、二つの違いをおおまかに説明します。

✔ 治安警察法

日清戦争後に企業勃興により高揚した労働運動や社会主義運動などを取り締まるために成立した治安立法のこと。明治時代に制定されました。

 

✔ 治安維持法

ロシア革命を背景に社会主義の伝播に危機感を抱いた政府が社会主義を取り締まるために成立した治安立法のこと。昭和時代に制定されました。

 

よって、治安警察法は「労働運動や政治結社の取り締まり」を、治安維持法は「社会主義者や国体変革者の取り締まりを行うためのもの」といった点ではっきりと区別可能です。

 

治安警察法について詳しく解説!

(山県有朋 出典:Wikipedia)

 

 

この時代は、社会主義や労働運動・農民運動が多く台頭したのです。

 

そのために1900年に第二次山県有朋内閣がそれらの規制強化を図って発布しました。

 

年号もチェックしよう!

 

単純な語呂ですが、年号も覚えておきましょう。

 

「日暮れ(190)恐(0)ろしい治安警察法」

 

 

①治安警察法が制定された背景 

日本国内では1886年~1889年頃にかけて最初の企業勃興がおこりました。

 

 

これにより、日本にも産業革命が訪れたのです。

 

産業革命の中心は、綿糸を生産する紡績業でしたが、幕末以後、自由貿易が展開されていく中でイギリス製の綿製品の輸入に圧迫され、日本の綿織物などの生産は衰退していました。

 

しかし、ジョン=ケイが開発した飛び杼により生産は向上。1883年には大阪紡績会社が開業して機械制生産が増えました。

 

さらに、製糸業の発達も進みました。

 

こちらも器械製糸と呼ばれる製糸方法が以前の座繰製糸を上回り、機械の普及が見てとれます。

 

これらの工場制工業の開業・普及を経て、賃金労働者は増加していきました。

 

これらの労働者の大半は女性で、女工と呼ばれていました。彼女らは、大変劣悪な環境で、さらに欧米などと比べても大幅に低い賃金で働いていたのです。

 

特に紡績業では、昼夜2交代制がとられ、製糸業では労働時間が15時間を超えることも多くありました。

 

この実情に対して、産業革命期には工場での労働者らが賃上げの要求や待遇の改善をもとめてストライキを起こしました。多い年には40件ほど確認されています。

 

1897年、アメリカの労働運動の状況を知った高野房太郎と片山潜は労働組合期成会を結成して労働運動の指導をし、新たに鉄工組合や日本鉄道矯正会が組織されました。

 

(※1897年は、労働組合期成会・貨幣法による金本位制の確立・官営八幡製鉄所の創業・綿糸の輸出が輸入を上回るといった様々な事柄が同時におこった非常に重要な年号なのでぜひ覚えてみてください。)

 

さらには、1898年に社会主義研究会が発足して社会主義の普及も始まりました。

 

様々な運動が起こった時代だったのです。

 

②治安警察法の内容

1870年以降、日本では自由民権運動が盛り上がりをみせました。

 

 

その中で、政府は弾圧や懐柔案を出しながら、国会開設へと至りました。

 

その弾圧案として讒謗律・新聞紙条例、集会条例そして保安条例と治安法が次々に発布されました。

 

第二次山県有朋内閣はこれらの治安立法を集めて治安警察法としたのです。

 

一連の労働運動などに対して、政府は規制を図るために立法し、労働運動の団結権やストライキの禁止、女性や未成年者の政治に関する集会などへの参加禁止などが主な内容で、警察権の強化が図られました。

 

③治安警察法の影響・結果

治安警察法には、女性の政治運動を禁じる文言が書かれた項も存在しました。

 

1911年の青鞜社の結成に始まった女性解放運動は1920新婦人協会の設立により盛り上がりをみせました。市川房枝や平塚らいてうは女性の地位拡大に努めたのです。

 

そしてついに1922年には、治安警察法第5条の改正に成功して女性も政治演説会に参加できるようになりました。

 

このように治安警察法は大きな効力を持ちましたが、政府の内外からも批判がおおく寄せられたため、1926年にはストライキ権や団体交渉権が含意される17条が消去されてしまいました。

 

これにより、争議(ストライキ)が自由化されました。

 

しかし、1945年、日本がアジア・太平洋戦争に敗れると治安警察法は廃止となりました。

 

治安維持法について詳しく解説!

(加藤高明 出典:Wikipedia)

 

 

1925年、加藤高明内閣が普通選挙法を成立させる直前に成立した法律です。

 

普通選挙の際に社会主義の拡大や、日ソ国交が回復した後の社会主義運動を規制することが目的でした。

 

年号もチェックしよう!

 

1925年は治安維持法とともに、普通選挙法、日ソ基本条約の締結も行われた非常に重要な年ですので年号も積極的に覚えると良いでしょう。

 

「ひどく(19)都合(25)のいい治安維持」

 

 

①治安維持法が制定された背景

治安警察法により、労働運動や社会主義の規制を行っていたさなか、1917年にロシア革命が起こりました。

 

 

これにより世界で初めての社会主義国が生まれました。

 

その影響を受けて、日本国内で運動が激化する恐れを抱いた政府は、新たな治安法の制定を考えていました。

 

また、同時期に加藤高明内閣は衆議院議員の選挙を平等にするために普通選挙法の制定に乗り出したのです。

 

 

1925年以前は、直接国税15円以上を納める25歳以上の男子のみに選挙権が与えられていました。

 

しかし、普通選挙法によると25歳以上であれば納税額に関係なく選挙に参加できるというのです。

 

もちろん、平等という面からみると良い法案ですが、裏を返すと今まで社会主義運動などに参加していた様な人たちも選挙に参加できてしまうことから、労働者階級が政治に影響をあたえる、つまり社会運動の激化が見込まれたのです。

 

以上、双方の要因から社会運動に対する規制を強化する目的として治安維持法が必要とされました。

 

②治安維持法の内容

治安維持法の目的は社会主義運動を弾圧して、国体変革者など国家の体制に反する思考の人々が起こす運動や、私有財産制度の否認を掲げた結社を取り締まることです。

 

罰則としては10年以下の懲役、禁錮がありました。ちなみに、1928年には死刑が追加されました。

 

1941年には新たな改正案が出され、結社を支援する組織の結成の禁止、組織を準備することを目的とする結社の禁止が決まりました。

 

つまり、反国家的であると疑いをもたれた時点で罰せられ得るということです。

 

治安維持法は太平洋戦争の時期に軍国主義を支えた法律と言えるでしょう。

 

③治安維持法の影響・結果

1945年の敗戦後も治安維持法は効力を持ち続けました。

 

しかし、GHQの命令により軍国主義的法律の廃止が求められたため、194510月に幣原喜重郎内閣が治安維持法を廃止しました。

 

まとめ

 治安警察法は、産業革命期に労働者が起こした労働運動や社会主義運動を取り締まるために発布された法律。明治時代に制定された。

 治安維持法は、ロシア革命や普通選挙を根拠とした社会運動の激化を規制・弾圧するために発布された法律。昭和時代に制定された。




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