2020年のNHK大河ドラマ第59作品目となる『麒麟がくる』を見始めたばかりのあなた!
大河ドラマ『麒麟がくる』は、若かりし頃の明智光秀(あけちみつひで)を中心とした人物群像劇を描いた大河ドラマとなっています。
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そして歴史上、明智光秀をはじめとする明智一族は、2019年現在もわからないことが多くあり、謎めいた一族であることも有名となっています。
今回のテーマである、明智光秀の叔父に当たる明智光安(あけちみつやす)についても、同じくわからない点がたくさんあるんです。
では、明智光安はどの様な人物なのでしょうか?
今回は、その人物像や逸話、明智光秀との関係についても触れながら、明智光安についてわかりやすく解説していきます。
目次
明智光安の生涯
では、光安はどのような経歴の持ち主なのでしょうか?
冒頭でもお話の通り、明智光安については詳細な経歴が明らかとなっていません。
現在、判明している範囲での明智光安の経歴をご紹介していきましょう、
明智光安の生涯年表
- 1500年ごろ 生まれる
- 1535年 明智家の家督を継ぐ
- 1547年 室町幕府第12代将軍・足利義晴に謁見、従五位下兵庫頭を授かる
- 1553年 出家
- 1556年 明智光安 死去(戦死)
生まれてから56年という短い生涯の中、明智家の家督を継ぎ、出家からの戦死という、何とも波乱な経歴がありますよね。
明智光安の人生には、いったい何があったのでしょうか。詳しくひも解いていきましょう。
明智光安の人物像と壮絶な人生
(明智城の跡 出典:Wikipedia)
明智光安は、美濃の長山城主(現在の岐阜県)である、明智光継(あけちみつつぐ)の三男として1500年ごろに誕生しました。
兄には明智光綱(あけちみつつな)がいますが、この明智三綱が、明智光秀の父にあたることから、明智光安は明智光秀の叔父にあたる、というわけです。
兄以外には、妹である小見の方(おみのかた)が有名で、彼女は後に、斎藤道三の後妻として斎藤家に嫁ぐことになります。
①明智光安は明智家を守っていた!?
明智光安は、明智光綱が1535年に若くして亡くなったのを受け、兄の代わりに家督を継ぐこととなります。この一件で、美濃の明智城へと入城するのです。
それと同時に、すでに隠居した自分の父である明智光継に、まだ幼かった明智光秀の後見人となるように命じられたのです。
(※後見人とは、本人に代わって様々な判断をしたり、本人の利益を守り、保護する人のこと)
そのため、明智光安は明智光秀にとっての育ての父でもあるんです。
実際に、明智光秀が元服(成人)した後も、家を守っていたと言われています。
その理由には諸説ありますが、一説では、明智光秀自身が家督を継ぐことを遠慮していた、という説があります。
②位を授かるも、出家!
明智光安はその後、室町幕府の12代将軍・足利義晴(あしかがよしはる)に謁見し、従五位下兵庫頭という位を授かります。
従五位下とは、日本の階級制度のひとつで、室町時代においては守護大名や国人領主に与えられた役職。兵庫頭は軍事を司る役職のことを指します。
この2つの言葉が合わさった役職を、明智光安は与えられたというわけです。
しかし、理由は不明ですが、その6年後の1553年に出家しています。
【CHECK】
この時代の出家は特に珍しかりません。
どちらかというと、跡目争いを避けるため、本人の意向で出家ということが良くあったようです。
出家した後は、その名を宗寂と改めています。
③時は下剋上、斎藤家の対立に巻き込まれる
明智光安が生きていたのは、戦国時代の初期。
この頃、美濃国の戦国武将である斎藤道三(さいとうどうざん)と息子である斎藤義龍(さいとうよしたつ)の対立が激化していきます。
(斎藤 義龍 出典:Wikipedia)
もともと、明智光安の主君は斎藤道山でした。
そのため、主君に味方するのは当然のこと。
何故かといえば前述通り、明智光安の妹である小見の方が、斎藤道三に人質として嫁いでいたためです。
そのため、明智家は斎藤道三に従うしかありませんでした。
④斎藤道三・義龍親子の争いに巻き込まれる
明智光安は斎藤道三・義龍親子の対立では、斎藤道三へ味方します。
(斎藤道三 出典:Wikipedia)
そして1556年。斎藤義龍と斎藤義龍に見方する、稲葉良通(いなばよしみち)らに、明智城が襲われます。
明智光安は、弟である明智光久(あけちみつひさ)や仲間である氏族の三宅氏、妻木氏と共に明智城へ籠城!
しかし、籠城むなしく、斎藤義龍らの陣営には敵わないと判断した明智光安は、そこで自害します。
⑤逃げ延びた明智光秀たち
ここで明智光安は、実質明智家の嫡男である明智光秀をはじめ、自分の息子であるとされている明智秀満(あけちひでみつ)を逃がしたという逸話があります。
(明智秀満 出典:Wikipedia)
実はこの明智秀満は、明智光安の息子だということは実証されていません。
それだけ、明智光安の人物史は不明瞭な点も多いのです。
⑥小見の方は後の”濃姫”
小見の方は、斎藤道三の後妻として斎藤道三に嫁ぎ、子供をもうけます。
それが後の濃姫(のうひめ)こと帰蝶(きちょう)と呼ばれる人物なんです。
濃姫(帰蝶)は、政略結婚により織田信長の妻となる人物です。そして、通説では織田信長の正室であったとされている、超重要人物です!
このことから、明智光秀と濃姫は、実質いとこ同士であり、双方とも織田信長と強い関係を持つ人物です!
⑦明智光安が遠山景行だった説
明智光安についてはもう一つ、逸話があります。
それは、明智光安が美濃の明知遠山氏当主・遠山景行(とおやまかげゆき)だった説があるんです。
遠山景行は、美濃(恵那/南岐阜)・明知城主とされている人物で、1509年に生まれました。
1543年までには、明知遠山氏の家督を継いだ、とされる人物です。
生誕年や亡くなった年は明智光安とは異なるものの、遠山景行と同一人物だった説も押さえておくと、見方が変わるかもしれませんね。
大河ドラマ『麒麟がくる』で明智光安は誰が演じるのか?
大河ドラマ『麒麟がくる』で明智光安を演じるのは、演技は俳優の西村まさ彦さんです。
息子・十兵衛を諌める明智光安の想像図#麒麟がくる #真田丸#黙れ小童#西村まさ彦 pic.twitter.com/jfJZmHk5zv
— 羽ぴょん (@dahanekesuike) March 8, 2019
西村まさ彦さんといえば、これまで本名である「西村雅彦」から、俳優活動30年を機に芸名を「西村まさ彦」と改名したばかり!
西村まさ彦さんは、富山県出身の俳優で、主な出演作品は『古畑任三郎』シリーズ、『マルタイ女』、『ラヂオの時間』など、様々!
さらに大河ドラマ『真田丸』では、室賀正武を迫真の演技で演じていたのが、私たちに記憶に新しいですよね。
主に出演されている映画やドラマでは、主役よりは脇役が多いものの、その存在力は絶大!出演されている作品を盛り上げる、縁の下の力持ちといった存在です。
明智光秀が日に当たる存在ならば、明智光安は陰で支え、引っ張っていく初代リーダーといえる存在です。
脇役ながらもどんな役でも存在感ある演技をこなし、視聴者に強い印象を与えている西村まさ彦さんに、明智光安はぴったりの役といえます。
まとめ
まとめ
✔ 明智光安は1500年ごろに美濃で生まれ、1556年に自害による戦死してしまう。
✔ 明智光安は、若くして亡くなった兄・明知光綱に代わり、明智家の家督を継ぎ、幼少の明智光秀の後見人となる。
✔ 明智光秀の成人後も、家督をそのまま継いでいた。
✔ 明智家はかねてより斎藤道三に仕えており、妹の小見の方は人質として斎藤道三の後妻になる。
✔ 小見の方の娘が濃姫。濃姫と明智光秀はいとこ。
✔ 明智光安は出家後、斎藤道三と斎藤義龍の争いに巻き込まれる。
✔ 明智光安は斎藤道三に味方せざるを得なかったが、斎藤義龍らの攻撃により、籠城を余儀なくされる。しかし、なすすべなく自害をすることになる。
✔ 籠城の際、自分の息子とされる明智秀満と明智光秀を逃がしている。
✔ 明智光安は、美濃明知遠山氏・遠山景行であるという説がある。
✔ 2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の明智光安は、西村まさ彦さんが演じる。