【江戸時代の医師はなぜちょんまげをしていない?】当時の身分制度や医療について

 

テレビや映画で時代劇を見ていると、必ずと言っていいほど登場するのが「ちょんまげ」というヘアスタイルです。

 

ちょんまげといえば、主に侍や町人といった人たちが結っているヘアスタイルです。

 

しかし、医者が主役の時代劇ドラマ『仁 -JIN-』のように、医師が主人公となると、医師にフォーカスされますよね。

 

そこで気づくかと思いますが、侍や町人とは違って、医師のヘアスタイルは、また違うことにお気づきになってくるかと思います。

 

今回は、江戸時代に活躍してた医師はなぜちょんまげをしていないのか?当時の身分や医療制度も絡めて解説していきたいと思います。

 

これを押さえたら、時代劇を見るときに新たな発見ができるかもしれませんよ!?

 

そもそもちょんまげとは?

(1890年職人のちょんまげ 出典:Wikipedia)

 

では、最初にちょんまげについてお話ししましょう。

 

ちょんまげとは、もともと武士が甲冑をするときのムレ対策の一環として、前頭部から後頭部にかけて髪を剃り上げて(月代/さかやき)、髪を結い上げ(髷/まげ)たことに端を発します。

 

それが江戸時代に、庶民にまで定着したことで、髷(まげ)文化が発達していきます。

 

またちょんまげというのは本来、江戸時代に髪の毛の少なくなった老人がやるような、小ぶりの髷のことを指しています。

 

ちょんまげの“ちょん“は、「ゝ(ちょん)」の字の様に見える髷(まげ)からきているのです。

 

なぜ江戸時代の医師はちょんまげじゃなかったの?原因は○○制度!

「楽市楽座 日本史」の画像検索結果

 

では、江戸時代の様々な場面で活躍している医師たちですが、どうしてちょんまげをしていなかったのでしょうか。

 

それは、江戸時代の身分制度に関係しているのです。

 

 

江戸時代の医師たちは僧侶と同じく、身分制度からかけ離れた存在で、江戸時代の身分制度に即する必要はありませんでした。

 

つまり、江戸時代の医師は、僧侶と同じ扱いだったということです。

 

どういうことかというと、現代と違い、江戸時代の医師というのは当初、薬草学を修めた僧侶が行うものだったからなのです。

 

江戸時代の医師の髪型の変遷

 

江戸時代の医師たちは、もともと僧侶出身者であったということがお分かりいただけたかと思います。

 

でも時代劇を見ていると、坊主頭の僧侶よりも、伸ばした髪(総髪/そうはつ)を結わく(結髪/ゆいはつ)束髪(そくはつ)スタイルが多くみられますよね。

 

それはいったいなぜなのでしょうか。

 

当時の医者のヘアスタイルの変遷と一緒に見ていきましょう。

 

①江戸時代初期の医師は坊主頭(剃髪)だった!

江戸時代初期の医師に坊主頭が多かったというのは、これまでの流れでよくわかったのではないでしょうか。

 

理由は前述のとおり、もともと江戸時代の医師は、僧侶が薬学の知識を生かして、医療に従事していたのがきっかけであったからだとされています。

 

江戸時代の医師に剃髪が多かったのは、その名残なのです。

 

②江戸時代中期!束髪の流行を作った医師がいた?!

では、私たちがテレビドラマで見ているような、坊主頭じゃない医師がいたのはどうしてでしょうか。

 

それは、江戸時代中期に出現した、医学の流派に関係しています。

 

江戸時代中期ともなると、様々な医術の流派が生まれてきます。その中でも、江戸で総髪に短い髷を結った医師たちは古方派(こほうは)と言われる医術の流派に属していました。

 

最初に始めた医師は、江戸中期の名医・後藤昆山(ごとうこんざん)という医師です。彼は、古方派を代表する医師でもありました。

 

医術の流派である古方派とはいったい何か

古方派とは漢方医学の一派で、古方派は、古の聖人が行っていた医学を再現する流派のことです。

 

先人の医学を再現する医療行為を行っていた一方で、中国の宋時代以降に興った薬学(薬理論)や病理論に対して批判的な流派でした。

 

医師の専門分野も髪形で見分けられた?!例外もある!

 

新たな医術の流派の出現とともに、江戸中期以降からは剃髪の医師と束髪の医師と二分化していきました。

 

これらの流れをここで整理するとわかるのは、医師のヘアスタイルによって彼らの得意分野もよくわかる、ということです。

  • 坊主頭の医師は薬方派、薬草等に強い
  • 束髪の医師は古方派、薬方や灸などに強い

    しかし、医師たちは必ずしもその方法1つだけを使用していたわけではありません。

     

    あくまでメインで使用していた治療法が医術の流派というだけあるため、様々な医術を駆使するものもいました。

     

    江戸時代後期に現れたオランダからの学術を学ぶ蘭学が現れました。

     

    蘭学医であった杉田玄白の自画像は、頭を丸めた剃髪だったのを覚えていますか?

     

    このことから、髪形で医者かどうかや、ある程度の医流派は線引きはできても、杉田玄白のように蘭方医にもかかわらず、束髪でなく剃髪の医師もいたというわけです。

     

    オドロキ!江戸時代はだれでも医師になれた!!

     

    これは現代では考えられないことですが、江戸時代ではなろうと思えばだれでも医師になれる時代でもありました。の

     

    現代は、医師になるためには幼いころから人一倍の努力が必要なのは、あなたもご存じですよね。

     

    ですが、江戸時代は医師になるために特別な試験や資格はいらないのです。

     

    患者が来る来ない、医師のおかげで病気が治る治らないは、実力と運次第でした。

     

    そのため、落語や川柳に読まれるよなヤブ医者というものも数多く存在したのも事実です。

     

    また、ヤブ医者に指示していた人物を、タケノコ医師という呼ばれをされていたんだとか。

     

    とはいえ、正式に医師に師事して医学を学んだり、儒者などが医学書を読んで知識を蓄えた人が、主に医師として活動をしていたそうです。

     

    今考えたら、自分の命を預ける相手が独学っていうのも、なかなかに恐ろしいことですよね。

     

    まとめ

     ちょんまげというのは、江戸時代に、髪の毛の少なくなった老人がやるような小ぶりの髷のことを指していた。

     “ちょん“というのは、「ゝ(ちょん)」の字の様に見える髷(まげ)という名前の由来があった。

     ちょんまげは、兜を着用する武士のムレ防止のためだったが、江戸時代になると庶民にまで流行した。

     江戸時代の医師がちょんまげをしていなかったのは、僧侶と同じ身分だったから。

     当時の医師は、僧侶が薬草学を学んでいたことに起因し、その名残で頭を剃髪にしていた。

     江戸中期に登場した医師・後藤昆山は、新しい医学派である古方派を確立し、この流派の医師たちは束髪にしていったとされている。

     古方派は古の聖人が行っていた医学を再現する流派のこと。

     医師・後藤昆山が医師の中で頭を剃髪せず、束髪を行った。

     以降、医師の間では剃髪か束髪かで二分化されていった。医師の髪形で、流派を見分けることも可能だった。坊主頭の医師は薬方派、薬草等に強い。束髪の医師は古方派、薬方や灸などに強いとされるが、絶対ではない。

     江戸時代の医師は現代と違い、試験や資格がいらず、誰でも医師を名乗ることができ、患者のリピート率や病気を治せるかどうかの実力の世界であった。

     誰でもなれるというところから、ヤブ医者もかなり存在していたとされている。