伝馬役と助郷役というワードを聞いたことがありますか?実はどちらも、日本の交通制度の足掛かりとなったものです。

 

戦国時代から日本国内の交通制度は国ごとに徐々に整いつつありましたが、制度として確立していったのは、江戸時代以降からとなります。

 

江戸時代にもなると制度が増えていきますよね。

 

江戸時代の交通制度については、歴史の教科書でも簡単にしか取り上げられることがなく、補足として習ったという人が、ほとんどなのではないでしょうか。

 

それにもかかわらず、入試なんかにも出てきたりするので、結構落とし穴的存在であることは確かです。

 

今回は、そのなかでもなかなか違いがわかりにくい伝馬役(てんまやく)と助郷役(すけごうやく)の違いについて、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。

 

伝馬役と助郷役の違い

「伝馬役」の画像検索結果

 

どちらも江戸の交通制度に深くかかわる伝馬役と助郷役について、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。

 

最初に簡単にまとめてみましたので、ご覧ください。

 

それぞれの違い

 

✔ 課されていた場所が違う

伝馬役・・・宿場町に課されていた

助郷役・・・宿場町周辺の村や近隣の村

 

✔ 仕事内容が違う

伝馬役・・・公用で使われる伝馬や人足を提供する労役

助郷役・・・伝馬役でも賄えなかった伝馬や人足を補充していた夫役

 

✔ 担当がメインなのか臨時なのかが違う

伝馬役・・・宿場町に課されていたのでメイン担当

助郷役・・・臨時で人馬を提供していたピンチヒッター

 

✔ 仕事の回し方が違う

伝馬役・・・リレー方式だった

助郷役・・・割当て制で、近隣の宿場町で伝馬が足りない場合泊まり込みで助っ人に行っていた

 

ここまではそれぞれの違いについて要点だけをお伝えしました。

 

これだけでは少々理解しにくいかもしれませんので、ここからはさらに「伝馬役」「助郷役」について詳しく解説していきます。

 

江戸時代の交通事情について簡単に解説

 

伝馬役と助郷役の違いを詳しく説明する前に、江戸時代の交通事情について先にお話ししてきます。

 

当時は現代の様に、車や自転車は勿論、飛行機や電車、車と言ったものはなく、県から県への移動は街道と呼ばれる主要な道路を、馬や徒歩、駕籠で移動する形態をとっていました。

 

街道は今の様に整備された道ではなく、街灯はもちろんありません。そのため、当時の人々が一日で移動できる距離は限られたものとなっています。

 

また懐中電灯もないので、夜の移動は行灯のみ。これでは、いつ誰に襲われるか、わかりませんよね。

 

これは、時代劇を見れば想像がつくかと思います。

 

このことから、それぞれの街道には宿駅(宿場、宿ともいう)という、宿泊や休憩のための施設が置かれていました。

 

また宿駅は宿泊・休憩施設だけではなく、荷物を運ぶための人や馬を集めていた場所でもあります。

 

こういった施設が各地にあったからこそ、長い旅路を行く人や馬が安心して休息を取れたり、物流が動いていたのです。

 

ここまで、ご理解いただけましたか?

 

この宿場町制度から端を発したのが、伝馬役と助郷役という役職なのです。

 

伝馬役について詳しく解説!

 

伝馬役と助郷役の違いと、当時の交通事情や宿場について押さえたところで、最初に、伝馬役について詳しく掘り下げていきましょう。

 

①伝馬とはどういう意味なのか

 “伝馬”とは、荷物や文書を運ぶ馬のことを指します。

 

当時は、現代で言うところの宅配便サービスや郵便サービスが、この伝馬を使って行われていた、ということになります。

 

また、走って書状を届ける人飛脚と呼んでいました。

 

このように、公用で使われる伝馬や人足を提供する労役を、伝馬役と呼んでいたのです。

 

公用ということはつまり、幕府の流通の一端を担っていた労役ということにもなりますので、名誉ある仕事とされていました。

 

②伝馬役の義務とは?

伝馬役は、主に街道沿いに土地を持っていた村ごと(宿場)に課されていた義務です。

 

現在の配送事情と比較させながらだとわかりやすいかと思いますが、各街道ではいつでも書状を滞りなく届ける必要があり、その為の人手や馬を常に用意する必要がありました。

 

現代の配送事情にたとえると、配送に使うバイクやトラック、ドライバーを常に準備しておく必要があり、それを拠点ごとに配備することを義務付けていた、ということと同じです。

 

③伝馬役はリレー方式だった

伝馬役は、原則1つの宿場ごとにそれぞれ義務付けされていました。

 

どういうことかと言うと、A村の宿場→B村の宿場の間は、A村の人馬を提供し、B村→C村の宿場間はB村の人馬を提供していく、というもの。つまり、リレー方式だったのです。

 

そして伝馬役をまとめていたのは、問屋場と呼ばれる組織。とても大変だったことでしょうね。

 

④伝馬役の負担は相当だった

これらのことから、伝馬役の負担はかなり過酷だったようです。

 

伝馬役の仕事は無賃経費は全て、村単位で負担しなければならなかったのです。

 

そう考えると、いくらやってもやる気なんて起きませんよね。

 

しかしその反面、街道の交通量は年々増え続け、伝馬のお世話代や人足の負担も増えていきました。現代の配送業者の過酷な労働実態と、配送料の賃上げに、何だか似ていませんか?

 

そのため、器用にやりくりが出来なかった者は、多額の借金を抱えてしまうといった問題もあったようです。

 

⑤商売上手の伝馬役はうまくやりくりしていた

そんな過酷な労役であった伝馬役ですが、宿場(宿)の一般利用者での収入や一般物流業務(駄賃継立)を行うことで、財政を上手くやりくりして収入を得ていた者もいたようです。

 

また、伝馬役になると町屋敷地にかかる年貢の負担が免除されていたりもしたようなので、決してデメリットばかり、と言う訳ではなさそうです。

 

助郷役について詳しく解説!

「助郷役」の画像検索結果

 

伝馬役について押さえたところで、助郷役についての解説に移りたいと思います。

 

後半④で、伝馬役の負担についてお話をしていきました。ほとんどの伝馬役はかなりの負担があり、伝馬役だけでは負担をどうすることもできない状況に陥っていました。

 

そこで登場するのが助郷役だったのです。

 

①助郷役はいわゆる近所のピンチヒッター

助郷役は、簡単に言えば伝馬役のピンチヒッター的役割を果たしていました。

 

助郷役とは、伝馬役が抱える負担を軽減するために、宿場周辺の村に対して、臨時で人足や馬の補充などの夫役をする人、またはその村のことなのです。

 

その為、助郷役という名称や、助郷村助郷という名称で登場するのです。

 

助郷役は宿場町周辺の村や近隣の村が、割当て制で伝馬役の義務を負担していました。

 

助郷役は、もし人馬を提供できないとなった場合は、金銭で代納するということもあったようです。

 

②ピンチヒッターにとっても負担が甚大だった

伝馬役のピンチヒッターとして人馬を提供していた助郷役ですが、徴発された村民(農民)たちの負担は甚大なものでした。

 

助郷役のお務めは、早朝から夜間に及ぶもの。その為、宿場への前後泊を余儀なくされていました。

 

それにも関わらず、彼らに対する法定の報酬はわずかなものだったそうです。

 

そのため、時代を経るごとに、金銭の代納がメインとなっていったようです。

 

まとめ

 「伝馬役」「助郷役」は課されていた場所が違い、伝馬役は宿場町に課されていたが、助郷役は宿場町周辺の村や近隣の村に課されていた。

 「伝馬役」「助郷役」は仕事内容が違う伝馬役公用で使われる伝馬や人足を提供する労役だが、助郷役は伝馬役でも賄えなかった伝馬や人足を補充していた夫役だった。

 「伝馬役」「助郷役」は担当がメインなのか臨時なのかが違い、伝馬役が主にメインとなって人馬を提供しているが、助郷役は臨時で人馬を提供していた。

 「伝馬役」「助郷役」は仕事の回し方が違い、伝馬役はリレー方式だったが、助郷役は割当て制で、近隣の宿場町で伝馬が足りない場合、泊まり込みで助っ人に行っていた。

 「伝馬役」「助郷役」は伝馬役も助郷役も、負担が甚大な労役であった。

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