戦前の日本の経済を支え、今でもその名残が色濃く残っている財閥。

 

しかし、この財閥は戦後GHQに目をつけられてしまい解体されることになってしまいました。

 

今回はそんな『財閥解体(ざいばつかいたい)』を日本の4つの財閥と合わせて、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

財閥解体とは?

(財閥家族の株券差し押さえの様子 出典:Wikipedia

 

 

財閥解体とは、戦後の1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)にかけてGHQ主導で行われた当時日本の経済を牛耳っていた財閥を解体した出来事のことです。

 

この財閥解体によって日本の経済が民主化していくことになりました。

 

日本の4つの財閥を見てみよう!

 

財閥とは創業者の一族や子孫などがグループ企業を支配しており独占している構造のことです。

 

今では日本に財閥という企業はありませんが、お隣の国である韓国は今でもロッテやサムスンなどの企業が財閥として存在していますね。

 

さて、財閥解体を解説する前にまずは戦前あった財閥の中でも特に有名な4つの財閥を見てみましょう。

 

①三菱財閥

(岩崎弥太郎 出典:Wikipedia

 

 

三菱財閥は岩崎弥太郎によって海運業を起源として開業した財閥で、戦前では日本の企業を牛耳っていた代表的な企業でした。

 

今でも三菱商事や三菱電機、三菱UFJ銀行なんかの企業がありますね。

 

そのほかにも三菱財閥は元々海運業だったことがあり、重工業に強く帝国連合海軍の軍艦などを製造したり、軽工業もカバーしていたなど戦前の日本の経済には三菱が欠かせないと言ってもいいほど三菱財閥は力を伸ばしていました。

 

ちなみに財閥解体された後は旧財閥の主要会社であった29社が三菱金曜会といって、毎月第2金曜日に定期的に会合を行なっているそうです。

 

②住友財閥

(別子銅山 出典:Wikipedia

 

 

住友財閥は住友家が大阪で別子銅山という銅山を経営していたことを起源として開業した財閥であり、世界最古の財閥とも言われていました。

 

今でも三井住友銀行や住友不動産なんかが存在していますね。

 

そんな住友家ですが、明治時代に入ると住友家は制銅業で多大な利益を得て銀行や保険業に進出し、財閥として急成長しました。

 

ちなみに、大阪で開業したこともありこの住友財閥は4大財閥の中では唯一大阪に本社を置いていました。

 

③三井財閥

(三井高利 画像引用元

 

 

三井財閥は江戸時代に三井高利によって呉服店である越後屋を開業したことを起源としている財閥です。

 

今でも『三越百貨店』なんて聞いたことがあったり、行ったことがあるかもしれませんが、この三越というのは三井家の越後屋という意味でつけられたのです。

 

そして呉服店として豪商となった三井家は明治時代に入ると金融業にも進出します。

 

三井銀行を創始し、さらに国が主導で作った官営の工場を三菱とともに優先的に払い下げたことによって軽工業が発展。三菱財閥と張り合うぐらいまでに拡大しました。

 

④安田財閥

(安田 善次郎 出典:Wikipedia

 

 

安田財閥は安田善次郎が両替商が開業したことを起源としている財閥です。

 

この安田財閥は元が両替商だったこともあり、明治時代に作られた安田銀行を中心に金融面で急速な発展を遂げ『金融の安田』と称されたほどでした。

 

今でも明治安田生命やみずほ銀行などがこの安田財閥の流れを汲んでいます。

 

財閥解体が行われた理由(目的)

さてここまで戦前の日本を牛耳っていた4つの財閥を見てきましたが、次はどうして財閥が解体されたのかを見てみましょう。

 

①GHQの進駐と軍国主義の不安

時代が降り、日本が敗戦した1945年。

 

アメリカは日本の占領政策を進めるためにマッカーサー元帥を中心としたGHQ(連合軍最高司令官司令部)が日本に進駐し始め改革を行い始めます。

 

 

(マッカーサー元帥 出典:Wikipedia)

 

 

その中でGHQは日本の財閥というものに注目し始めました。それもそのはず、戦前の財閥は日本が戦争に突入した時に軍艦を製造したり、石油を供給したりするなど日本の軍部と深いつながりがありました。

 

そのためGHQは「もし、財閥を放っておいたら再び財閥と政府がくっついて軍国主義に戻るかもしれない」と思い始めます。

 

そんなことされたらたまったもんじゃないGHQはさっさと財閥を解体して日本の経済を自由化する方針を打ち立てます。

 

また、この頃日本には賠償問題もあり、財閥を中心に支払いを行うという事情もありました。

 

②日本の経済の自由化

これはアメリカが日本の占領政策を転換してからの話ですが、アメリカは朝鮮戦争が勃発するとアジア諸国の中で資本主義国である日本の経済を成長させ、立派な国に仕立て上げるという方針を打ち立て始めます。

 

そのためには財閥が日本の経済を支配するという古臭い構造を取っ払って、いろんな企業が競争しながら経済成長していくという経済の自由化のために財閥を解体して新しい企業を作ろうとGHQは考えていました。

 

財閥解体の詳細

 

 

財閥解体には第1次から第5次までに及ぶ株の指定に分かれています。

 

この指定ではこれまで個人向けにはほとんど販売されていなかった企業の株が個人向けに売られたり、持株会社整理委員会という組織に渡され、さらに企業の解散勧告によって財閥の解体は進んでいきます。

 

さらに1947年には企業が一つの分野を独占しないようにする法律である独占禁止法過度経済力集中排除法が制定。

 

これによって財閥は消滅してかつて財閥の一子会社だった企業は軒並み独立しました。

 

しかし、アメリカが占領政策を急転換してこともあり完全に財閥を解体することはなく、今でも上に書いた通り財閥名をつけている企業や旧財閥のグループ企業が存在しています。

 

財閥解体の影響

①経済の自由化の完成

戦前の日本では資本主義社会とはいっても財閥という数少ない企業が経済を牛耳っており、アメリカなどの経済の自由化が進んでいる国に比べると少し遅れていました。

 

しかし、財閥を解体したことによって経済が一極支配されることはなくなり、日本では小さな会社でも十分な利益をあげられる可能性が生まれるようになりました。

 

さらに証券などの株を普通の一般人でも買えるようになって、日本はアメリカみたいな資本主義経済のような仕組みが完成しました。

 

この経済の仕組みは今でも日本のスタンダードなあり方となっています。

 

②新興企業のおこり

財閥を解体したことは中小企業からすればあまり関わっていない分野にも新規参入しやすい環境が整えられるようになりました。

 

例としてあげるのであれば、本田宗一郎が創業したホンダ自動車、松下幸之助が創業した松下電器(パナソニック)、盛田昭夫によって創業されたソニーなどがあります。

 

日本はこのように経済の自由化を受けたことによって、高度経済成長の時に世界二位の国内総生産を誇るまでにのし上がる原動力に変わっていくことになるのです。

 

まとめ

✔ 財閥解体とは戦後GHQによって行われた日本の財閥の株を個人に販売したり、解散勧告をした総称のこと。

✔ 日本の主な4つの財閥は三菱財閥・三井財閥・住友財閥・安田財閥。

✔ 財閥は戦時中に政府に協力した背景があったためGHQは財閥を残しておくと日本がまた戦争に突入するかもしれないと思っていた。

✔ GHQは最初の頃は財閥を完全に解体したかったのだが、朝鮮戦争を機に方針を変更して財閥解体は不完全に終わった。

✔ この財閥解体によって日本は経済の自由化が進みソニーやホンダなどの戦後日本の支える企業が続々と誕生し、日本が経済大国になる礎を築いた。




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