遊女(ゆうじょ)、女郎(じょうろ)、花魁(おいらん)…。
歴史の教科書上ではそこまで重要視されてきていないワードでした。
しかし昨今では、成人式の“花魁”スタイルをはじめ、“花魁”体験が出来る場所が観光の一環として提供されているため、広く名前が知られてくるようになりました。
更に、遊女や女郎と言ったワードも、時代劇ドラマで数多く取り上げられるようになり、知らない人はいないワードとなっているのではないでしょうか。
しかし、花魁も遊女も女郎も、言葉だけを見たら同じ意味に見えてきませんか?
それに、花魁と遊女、女郎では、なにか大きな違いがあるのでしょうか?
今回は、言葉だけではなかなか違いがわかりにくい「花魁・遊女・女郎の違いと特徴」を、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。
目次
遊女・女郎・花魁の違い
大意としては、遊女・女郎・花魁は、男性に対して性的サービスをする女性のことを指します。
ぱっと見、やっていることは同じように感じられますが、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。その違いは、本当に微妙なところ!
最初に簡単にまとめてみましたので、ご覧ください。
それぞれの違い
✔ 職業内容が微妙に違う
遊女・・・客に性的サービスをする女性全般
女郎・・・客に性的サービスをする女性全般
花魁・・・客に性的サービスをする女性の中でも、最高級クラスの女性のこと
✔ 意味が微妙に違う
遊女・・・昔から使われていた呼び方
女郎・・・近世代に登場した、遊女の別の呼び方
花魁・・・遊女/女郎の中での格を表す呼び方
✔ なり方が微妙に違う
遊女・・・人身売買で、遊郭へ売られてしまった地方の少女
女郎・・・人身売買で、遊郭へ売られてしまった地方の少女
花魁・・・人身売買で、遊郭へ売られてしまった地方の少女の中でも、美人で才能あふれる選ばれた女性
✔ 客が買えるかどうかが違う
遊女・・・最下位クラスは1000円から、庶民は買いやすい
女郎・・・最下位クラスは1000円から、庶民は買いやすい
花魁・・・一晩数十万で、お相手になるまで最低3回は客が通う必要があるので、庶民はなかなか買えない
✔ 仕事場所が違う
遊女・・・幕府公認遊郭や、旅籠屋と装った非公認の遊郭、果ては路上にもいた
女郎・・・幕府公認遊郭や、旅籠屋と装った非公認の遊郭、果ては路上にもいた
花魁・・・幕府公認遊郭
遊女について詳しく解説!
(遊廓で遊女がくつろいでいる図 出典:Wikipedia)
遊女は、遊郭や宿場で、男性に性的サービスを行う女性全般のことを言います。
現代で言う、娼婦や売春婦と同じ意味です。
遊女という言葉の意味には、『客を遊ばせる女』という意味が一般的に当てはまるとされています。
このような女性の多くは、貧しい家族を救うために、人身売買で自らを売らなければならないという境遇の、地方の女性が多かったようです。
このような女性たちは、自らの意思で遊女になろうと思ったわけではなく、借金の方に売られてしまったのです。
①遊女の歴史は長い
遊女の歴史をたどると、かなり昔にまでさかのぼることになります。
性を売る仕事というものは、当初は神殿娼婦と呼ばれる、宗教的な儀式に縁のある職業とされていました。
世界的に見ても、神聖なものと考えられていたのですね。
古代の日本でもやはり宗教色が強く、かつては巫女として神に仕え、歌や踊りを行っていた一部の人が、神社を去った後に諸国を遊芸していく中で、性を売るようになったそうです。
②芸能面から二分化が起きる
①でもお話のとおり、徐々に“芸を売る”のか“性を売るのか”の二分化が成されてきたそうです。
その中で、“性を売る”法に特化していった女性たちを遊女と呼ぶようになっていくのです。
③遊女業が制度化に置かれ、完成していった遊郭。一方で…?
遊女たちは当初、個人や遊女屋と呼ばれる遊郭の前身で行われていた自由業でしたが、鎌倉時代になっていくと制度の下で運営をしていくように命じられてくるようになります。
様々な変遷を経て、最終的に江戸幕府で、ご存知の『吉原遊郭』(東京浅草周辺)、『島原遊郭』(京都朱雀野)、『新町遊郭』(大阪)、『丸山遊郭』(長崎/唯一の外国人対象の遊郭)などと言った、幕府公認の遊郭ができあがってくるのでした。
一方で、全国の城下町や宿場の遊女屋はというと、旅籠屋の名目で、『宿場女郎』などと呼んで密かに営業をしていたそうです。
④遊女を商品と考えた時の3つの価値
遊女の価値と言うのは、どういったところで決まってくるかと言うと、この3つとなります。
- 美貌
- 教養
- 芸事
この3つが、遊女たちと過ごす時間の値段に反映されてきました。
ざっくりと金額でだせば、最高級クラスでおよそ30万、最下位で1000円という形だったようです。遊女間でもかなりの格差があったのですね。
⑤遊女の年齢は?
遊女は、入口の年齢は大体7~8歳からとされており、彼女たちは禿(かむろ)と呼ばれるお世話係でした。
その上には遊女見習いの13~14歳くらいの少女たちがいました。
遊郭にいた遊女の年齢は27歳くらいまでとされていますが、遊女の中でも遊郭でなく路上で商売を行う者もおり、そういった女性は50代くらいまでいたそうです。
女郎について詳しく解説!
(明治10年代の娼妓と客 出典:Wikipedia)
実は女郎とは、遊女の別の呼び方なのです!そのため、遊女と同様の意味を持っています。
そのため、遊女=女郎と覚えていただければスッキリ解決です!
遊女の近世代の呼び方が女郎だった!
しかし、1つだけ違う点を挙げるとすれば、女郎という言葉が登場したのは、近世代になってからです。
言葉のおこりだけで見ると、遊女の方が古くから使われて、女郎という呼び方の方があたらしいのです。
花魁について詳しく解説!
(明治時代の花魁 出典:Wikipedia)
では最後に、花魁について詳しく説明していきましょう。
花魁とは、高級遊女のことを指す、一般的な呼び方です。
江戸初期までは、花魁よりも更に上には“太夫(だゆう)“という格がありました。
しかし江戸中期には、時代の変遷で超最高級遊女としての太夫は徐々に減っていき、最終的に花魁がとってかわった存在となっていきます。
①遊女の中でも選ばれし女性だけが歩める道
遊女の中でも、小さい頃から美人で才能あふれる女性は、遊女の中でも“金の卵“として大切に扱われ、様々な教育が施されました。
その年齢はと言うと、15歳!
15歳くらいまでには、舞踊に和歌、お茶、お花、お琴や三味線などと言った教養を身に着けていました。
その為、このような女性は高級遊女へと育てられたそうです。
②遊女と言う商品でも、最高クラス
遊郭の中で一生を終えてしまう悲しい運命をたどる女性もいれば、花魁の様に、遊女の中でも選ばれた道を進んでいくラッキーな女性もいたのでした。
美しさと賢さを兼ね揃え、かつ人気のあった女性は、花魁という最高の格が与えられていました。
③花魁は元は別の意味を持っていた?!
実は花魁という呼び方は、当初『呼出し』と呼ばれる、茶屋で待っていた遊女のことを指していました。
見習いについていた少女達(禿/かむろ)が、『おいらのところの姉さん』と呼んでいたことが、花魁の語源とされています。
花魁と言う呼ばれ方は、江戸時代の中期以降の呼び名だったそうです。
④花魁道中
花魁たちは、自分のお店から、お客のいるお店までの間を行き来する際、お付きの禿などを伴い、行き来していました。これがあの有名な花魁道中です。
この行き来も、かなり華やかだったとされています。
(花魁道中 出典:Wikipedia)
⑤花魁に認めてもらうまでにかなりの時間とお金がかかる!
花魁と一緒に過ごすためには、かなりの時間とお金が必要でした。
一晩のお相手してもらうのに数十万が相場で、しかもお相手になるまでには最低3回は通わねばならず、遊郭に多額のお金を落とさなければなりませんでした。
男性は、花魁にフラれたら、たまったものじゃないですね。どうやら、そんなこともあったようです。
庶民にとって、高根の花が花魁なのですね。
まとめ
✔ 花魁・遊女・女郎は『男性に対して性的サービスをする女性』のこと。
✔ 花魁・遊女・女郎は職業内容が微妙に違い、遊女と女郎は客に性的サービスをする女性全般を指すが、花魁はその中でも、最高級クラスの女性のことを指す。
✔ 花魁・遊女・女郎は意味が微妙に違い、遊女は昔から使われていた呼び方、女郎は近世代に登場した、遊女の別の呼び方、花魁は遊女/女郎の中での格を表す呼び方。
✔ 花魁・遊女・女郎はなり方が微妙に違い、遊女と女郎は人身売買で、遊郭へ売られてしまった地方の少女だが、花魁はその中でも、美人で才能あふれる選ばれた女性が歩める。
✔ 花魁・遊女・女郎は客が買えるかどうかが違い、遊女と女郎は最下位クラスは1000円から、庶民は買いやすいが、花魁は一晩数十万で、お相手になるまで最低3回は客が通う必要があるので、庶民はなかなか買えない。
✔ 花魁・遊女・女郎は仕事場所が違い、遊女と女郎は幕府公認遊郭や、旅籠屋と装った非公認の遊郭、果ては路上にもいたが、花魁は幕府公認遊郭にいた。