【打ちこわし・百姓一揆・米騒動の違い】簡単にわかりやすく解説!

 

打ちこわし・百姓一揆・米騒動はそれぞれ内容も似ており、違いが今一つわからないものです。

 

今回は、これらの用語の違いについてわかりやすく解説していきます。

 

打ちこわし・百姓一揆・米騒動の違い

年代の違い

✔ 打ちこわし・・・江戸時代。

 

✔ 百姓一揆・・・江戸時代。

 

✔ 米騒動・・・江戸時代と大正時代。

 

襲った相手の違い

✔ 打ちこわし・・・商人や名主、金貸し。

 

✔ 百姓一揆・・・領主、もしくは村役人。

 

✔ 米騒動・・・江戸時代の場合には誰も襲わず、大正時代の場合には米商人を襲う。

 

襲った場所の違い

✔ 打ちこわし・・・江戸や大阪の都市部。

 

✔ 百姓一揆・・・都市から離れた農村。

 

✔ 米騒動・・・江戸時代の場合は全国。大正時代の場合は、富山から始まり全国。

 

目的の違い

✔ 打ちこわしの目的

・・・米不足で上がった米価を下げるためにおこなわれた。

 

✔ 百姓一揆の目的

・・・年貢の減免や、不正をおこなう村役人を交代させるためにおこなわれた。

 

✔ 米騒動の目的

・・・江戸時代の場合には上昇した米の価格に対して世論を作り、米価を下げるためにおこなわれた。大正時代の場合には、米商人の米の買い占めにより上がった米価を下げるためにおこなわれた。

 

ここからはそれぞれの語句について詳しく解説していきます。

 

打ちこわしについて詳しく

打ちこわしとは、江戸時代の飢饉の後などに江戸や大阪などの都市部で起こった豪商や金貸し、名主らを襲う出来事です。

 

打ちこわしの目的は、飢饉などで米が不足し、商人が米を買い占めたことによってつり上がった米価を引き下げるためです。

 

飢饉の後には自分たちが食べる米が不足してしまっては困るということで、お金を持っている人々が米を買い占めました。

 

米を買い占めることができたのは、裕福な商人、お金を持っている金貸し、役人でもある名主などです。

 

そのため、米の買い占めをやめるように破壊行為で訴えたことを打ちこわしといいます。

 

百姓一揆について詳しく

 

 

百姓一揆とは、江戸時代の飢饉の後などに農村を中心に起こった領主に直訴し、村役人を襲った出来事です。

 

百姓一揆の目的は、年貢の減免や不正を働く村役人を交代させるためにおこないました。

 

これは、藩主や将軍に対して直訴するという意味合いが込められています。

 

米騒動について詳しく

米騒動とは

米騒動は江戸時代と大正時代におこりました。

 

江戸時代の米騒動は、米価が上昇したことに対して困ったと声を上げるだけです。

 

そのため、他の百姓一揆や打ちこわしと異なり破壊行為は全くありませんでした。

 

大正時代の米騒動とは、大正時代の第一次世界大戦後に起こった米屋を主婦が襲う動きです。

 

大正時代の米騒動については、わかりにくい部分も多く、混乱してしまう部分なので背景を見ていきます。

 

②第一次世界大戦後にロシア革命!

第一次世界大戦にて、三国協商側で戦争をおこなっていたロシアでは、多くの一般人が戦争に巻き込まれました。

 

本来、一般人は戦争などしたくはなかったのです。そこで、レーニンを中心としてロシア革命がおこなわれます。

 

ロシア革命の成功後、ソビエト社会主義共和国連邦ができました。この国は、世界初の社会主義の国でした。

 

シベリア出兵

 

 

ロシア革命後、世界初の社会主義国家が誕生しました。

 

世界各国は社会主義が自国に広まることを恐れて、軍隊を派遣することにしました。

 

イギリス・アメリカ・フランス・日本が連合軍として兵を派遣することになりました。これをシベリア出兵と言います。

 

シベリア出兵の日本での影響

シベリア出兵が決まると、日本では米商人が米の買占めをおこないました。

 

シベリアに兵を出すということは、兵の食料が必要になり、米が高く売れると考えて一般の人へ米を売らず価格を高騰させたのです。

 

そして、富山県の主婦達が米屋に対して米を売るようにと暴動を起こしました。

 

その動きが全国に広まり米騒動と発展していくのです。

 

 

米騒動のその後

米騒動は全国的な運動に発展したため、警察や軍隊を動員して騒動を鎮めようとしました。

 

また、米価を安くしようと国費を投入しました。

 

しかし、思ったような対応になることがなかったため、民衆は寺内内閣に退陣を求めました。

 

その結果、生まれたのが平民宰相と言われる初の本格的な政党内閣である原敬内閣です。

 

 

間違えやすいその他の語句との違い

 

 

ここまで説明してきたものは、代表的な整理が難しい事項でした。

 

合わせて整理しておきたい内容として有名な一揆がいくつかあります。ここで復習してしまいましょう。

 

有名な一揆は以下です。

代表的な一揆

・正長の土一揆

・加賀一向一揆

・山城国一揆

 

すべて一揆と名前が付いているので百姓一揆と混ざってしまいやすい内容です。

 

しかし、上記のものはすべて室町時代におこなわれた出来事なので混乱しないように整理をしていきましょう。

 

覚え方は、原則一揆は室町時代と覚えておきましょう。百姓一揆のみ例外で江戸時代まで続いていきます。

 

理由は、百姓という言葉が使われるようになったのは、江戸時代だからです。

 

百姓という呼び方をしていない、江戸時代以前では農民という言葉を使っていました。

 

江戸時代にも農民という言葉はありましたが、百姓という言葉が登場するのは江戸時代以降だと押さえておきましょう。

 

それでは、詳しく他の一揆を見ていきます。

 

正長の土一揆

 

 

1428年、正長1年に畿内を中心に起こった一揆のこと。

 

農民や馬借が自らの借金に対して徳政令を要求して起こしました。

 

 

近江国では、一揆の勢いに負けて徳政令を出しています。

 

その後、京都周辺での一揆も行われましたが、これは幕府軍により鎮圧されています。

 

土一揆とは、農民が起こした一揆のことを指します。

 

加賀の一向一揆

加賀一向一揆は、1474年から1580年まで今の石川県を一向宗の信徒が支配した一揆です。

 

一向宗とは、親鸞を開祖とする浄土真宗系の仏教です。

 

この一揆は100年続いた一揆として有名で、加賀国の守護大名との対立が100年間続きました。

 

山城国一揆

一般の民衆が、武装蜂起して地侍となり1485年に起こした一揆。

 

畠山氏の軍が対立していたことで国が混乱していました。

 

そこで、地侍となって民衆が蜂起をしました。

 

戦いの末、畠山氏の軍勢を国外に追放し、8年間民衆のみで自治をおこないました。

 

まとめ

・打ちこわしと百姓一揆と米騒動は江戸時代におこなわれた民衆の運動である。

・打ちこわしと百姓一揆は破壊行為がおこなわれた。米騒動は破壊行動が無かった。

・打ちこわしと米騒動の目的は米価を下げること、百姓一揆の目的は年貢の減免。

・打ちこわしは、江戸と大坂を中心とした都市部でおこなわれ、百姓一揆は農村でおこなわれ、米騒動は全国でおこなわれた。

・米騒動は大正時代にもおこなわれており、大正時代の米騒動は富山県からスタートした米の値下げを求める運動。